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若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

昭和の日に敗戦の重みを偲ぶ

2007年04月29日 | Weblog
 玉音放送をどのように評価するかは人それぞれ色々あってしかるべきなんだと思う。

 玉音報送(昭和天皇が国民に終戦を宣告した報送)は、昭和史の最重要事項であるにも拘らず『学校教育で故意に教えなかった』のであるが、日本人のアイデンティティーが求められる昨今であるから、今日は一部を引用して、そのタブーに触れたいと思います。


 これは、現代人の国語能力減退を慮ってのことであるが、私なりの偏見を伴った解釈を試みるのでご承知願いたい。(この新たに制定された日本民族にとって重要な日に私は国旗を掲揚してその意味を咀嚼しようと努めたのである)


 敗戦の詔勅(終わりの一部分の意訳)

 帝国臣民にして、戦陣に死し、職域に殉じ非命に斃(たお)れたるもの及びその遺族に想いを致せば、五体が裂けてしまうほどである。

 また、戦傷を負い災禍を蒙り、家業を失いたる者の厚生に至っては朕の深く心を痛めるところである。

 思うに戦に負けた今後の帝国の受くべき苦難は真底尋常では無かろう。そう思うなんじ臣民の心の内も朕はよく分っている。

 然れども朕は、時運(時にあらずして戦争に負けた運命)のおもむく所に従い、『堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、もって(後の)万世のために太平を開かんと欲す』

 朕は、ここに国体を護持(結果として、日本国という名称は残ったのであるが、この時点で昭和天皇の国体というお言葉にどのような意が込められていたのか歴史家は回答を示すべきである)し得て、忠良なるなんじ臣民のまごうことなき大和心に信頼を託すとともに朕もなんじ臣民と共に在る。

 もし、(神国の敗戦を受け入れられず)感情のおもむくままに、いたずらに事を荒立て、或いは同胞同士いがみ合って、(敗戦という重大事を)見誤り、大道を誤り、信義を世界に失うような軽はずみな行動を起こすことあれば、朕はそれを最も戒めるものである。

 くれぐれも(戦争に負けたとはいえ)、一家子孫(国家と国民)が後世へ相伝へ我が神国の不滅を信じ、その任は重く道は遠いことを覚悟し、総力を将来の神国日本の建設に傾け、道義を篤くし志操をかためて、強い意志に誓って、国体(国の有りよう)の精華を発揚し、世界の進むべき道に後れをとることがないように期すべし、というのが朕の意であるから朕と一体となり、共にこの思いを共有致すべし。


 この日(昭和20年8月25日正午)が昭和の最も重大な日であったことは間違いない。

 この敗戦の詔勅で先帝『昭和天皇』は「我が皇国はその物量に勝る連合軍に物理的には確かに完封なきままに負けた、しかし、我が心根は間違っていたとも思えない」と言っていただきたかったと思います。・・・・勝ち目の無い戦争を敢えてしてしまったという観点でのみ戦争責任を問うのが日本国の作法であるにも拘らず、外国の脅しに載せられ、先祖供養のありようにまで手を突っ込まれている現状はあまりにも情けない。放置すれば奴等はケツ拭き方が悪いだの箸の持ち方が悪いなどと言ってくる。

 その原因は、敗戦を敗戦と自覚できないまま、GHQの占領政策を無批判にというより、積極的に受け入れてしまった精神的純粋さにあると思うのだが、日本を正常化するためには、渡辺昇一先生の戦後史公開講座(月刊WiLL)でも聴講して、一刻も早い日本精神正常化が望まれていると思います。