昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

Lo mas importante

2007年04月25日 | Weblog
全国学力テスト、名前書かず提出 芦屋(神戸新聞) - goo ニュース
 私は最近歳のせいか、今朝食べた朝食のメニューを思い出すのはとても苦労するのであるが、青春の日々の記憶はとても簡単である。

 実のところその青春の日々に私は在日朝鮮人の女性とできることなら結婚したいと思ったこともある。・・・で、その方の住まいが神戸の芦屋で、在日のご両親は戦後の成功者であったのだろうと思う。私などより余程裕福な暮らしぶりであったことを記憶している。(日本人にも在日朝鮮人にも行儀と節操があった)・・・・当時は、お互いに、今日のように生粋の日本人であるか在日であるかということに神経を尖らせることもなく自然にお付き合いできたことは、今となっては懐かしい思い出である。あの頃は、お互いの自意識過剰が災いするいがみ合いはなかったのである。

 その頃、学んだ言語はこのようなものであった。

 Besa me besa me mucho
 Como si fuera esta noche la ultima vez
 Besa me besa me muco que tengo miedo de perder te perder te despues

 ねえ あんた もっと キスしてよ 

 今夜が ほんとに これっきりの 夜みたいに

 ねえ もっと キスして だって もう これっきり あんたが
 
いなくなっちゃうのが 心配なんだからさ~・・・・

 まあ~ 本来のこの歌詞の主役は男性なんだろうけど、今風のあばずれ女の身にすればこんな恋の別れを惜しむ詩なんだろうと思う。・・・・しかし、いくら察してもエスパ二ア人にはなれない。

 多くの言語を操れる歌手は、こういうインターナショナルな歌を、幾つもの言語に置き換えて歌ってもらえないものだろうか。・・・・それが、インターナショナル・ミューチュアル・アンダースタンディングの第一歩となること請け合いである。

 第一番バッターは『ひととよう』さんあたりをマジで指名したいと思います。


 ところで、この記事についての感想であるが、あまりの秘密主義に徹することはろくな社会しか現出しないと思う。ソ連崩壊に際して、当時のゴルバチョフ書記長が暗殺の悪夢から何故身を守れたかといえば、西側メディアに対して徹底的に情報開示し、自らをメディアに晒したからに他ならない。
 
 ところが、日本の不当利得者は自分が身を隠せば近い将来必ず出現するであろう暗殺者から(うまくやって金をせしめた)自分の身が守れるとタカを括っているのかも知れないが、そんな個人情報は人知れず闇に流通すること必定であるからして、プライバシー保護法により、一万倍も危険な状況を自ら作り出したといえる。

 どこまで行っても、日本の官僚はケツの穴が狭く愚かなのだ。・・・身内に犠牲者の山ができてからゆっくり対処したまえ!。