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若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

世界が教育勅語を世界遺産としたあの頃

2007年04月20日 | Weblog
 押し付け憲法を『世界遺産にしよう』などと、とんでもない白昼夢を夢見るお笑い芸人が出現したりして「馬鹿日本ここにあり」と世界中のお笑いに晒されている今日の日本民族の哀れぶりは一日本民族としてとても情けないと思っている昨今であるが、日本が真の教育立国であった時代には『教育勅語は世界の教育規範』として羨望されていた。

 ・・・などと言えば冗談ではないかという向きも多かろうが、それほどに『教育勅語』は世界中から評価されていたのである。

 日本の教育について以下の文章を味わってもらいたいと思います。

 教育勅語と修身教科書、国語教科書の登場で、二十世紀の日本の教育は充実し、日本人の品格も見事に完成しました。
 この成功は単に日本だけに留まらず、全世界の教育学者と為政者の賞賛を浴びることになりました。

 明治四十年二月十四日、英国の招聘で、ロンドン大学において「教育勅語」の講演会が盛大に開催されました。日本の国の始まりから教育勅語の完成に至るまで、二十五回にわたっての講議を、英訳の教育勅語を配布して、文部省の菊池大麓(きくちだいろく)氏が担当しました。膨大な英文講演記録がロンドン大学に保管されてています。

 明治四十一年九月二十五日~二十九日、第一回世界道徳教育会議がロンドンで開催されました。当時の世界三十ヶ国の文部大臣と学者など、参加百九十二団体という史上空前の大盛況でした。この会議で注目の的になったのは日本の修身教科書と教育勅語でした。文部省は、修身教科書と掛図、英訳・独訳・仏訳の教育勅語を持参しましたが要望に応じきれず、後日、日本から発送する騒ぎとなりました。日本政府を代表して、北条時敬氏が教科書の内容に言及する演説を行いました。(以上、品格ある日本人を育てた小学国語読本 あすか会教育研究所長 小池松次編より)

 かつて我が父祖たちは右も左も分らずに、開国・明治維新を見事克服し、四十年足らずで世界中から「教育立国日本」という評価を受けたのだ。素晴らしい明治一代記であったことか。

 それにひきかえ、今のお粗末さには目を覆いたくなる。「GHQが日本人に成りすまして書いた被征服民のための日本国憲法を世界遺産に!」などと、へそで茶を沸かすような悪い冗談が真剣に語られ、それに喝采する被征服日本人も結構いるのだから、『日本人ここに極まれり』と外国から馬鹿にされ、いいようにカモられるのが今日の日本の生業となっているのである。

 『敗戦ショックで喪失した我が栄光の記憶を取り戻そう!』