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路上音楽情報紙『ダダ』編集発行人・青柳文信のブログ

なぜ「お茶の水」と呼ばれるの?

2022-10-05 14:42:28 | お茶の水博士と歩く楽器街
20を越える楽器店がある
お茶の水エリア。

そもそも、なぜ楽器街のあるお茶の水エリアが
「お茶の水」と呼ばれるようになったのか。

「お茶の水博士」になりたい青柳さんは、
思うのだ(笑)。うんで、調べてみた。

地元である千代田区の資料を見ると
以下のようなことがわかった。

1596年から1615年までの慶長の時代
(文禄の後、元和の前)。
神田山の禅寺、高林寺(現在は文京区向丘に移転)の
わき水を将軍、徳川秀忠公に献上した所、
お茶に用いられ、「大変よい水だ」と
お褒めの言葉を戴いた。

それから水を定期的に、差し上げる様になり
寺は、「お茶の水高林寺」と呼ばれるようになり、
その流れでお寺周辺が「お茶の水」と
総称されるようになったと。

へぇ~。そんないきさつがあったのか(笑)。

ちなみに、江戸時代、このエリアには、旗本、
大名などの武家屋敷が林立していて、例えば、
駅に近い「駿河台」の地名は、
徳川家康付きの旗本である「駿河衆」が
多かったことに由来するという。

その後、明治時代になり、こうした武家屋敷が
売りに出された所に、幕府唯一の学問所、
昌平黌があった影響もあってか
法律学校が進出してきた。

それが明治大学、日本大学、
順天堂大学などの沢山の教育機関が
集まったと資料にはあった。

なるほどね~(笑)。

路上音楽情報紙『ダダ』編集発行人・青柳文信


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