深く潜れ(Dive Deep)! キネシオロジー&クラニオセイクラル・ワーク(クラニオ)の蒼穹堂治療室

「ココロとカラダ」再生研究所、蒼穹堂治療室が送る、マニアックなまでに深く濃い、極私的治療論とお役立ち(?)情報の数々。

『ぼくらの』、そして『アンインストール』のことなど

2008-03-26 00:53:18 | 趣味人的レビュー
そのマンガの存在を知ったのは、数カ月前の朝日新聞のコラムだった。それ以来、その話がずっと気になっていた。だが、コミックも、それをアニメ化したものも、見たことがなかった。しかし最近、そのアニメがYouTubeにupされていたのを知って、見ている。今の時点で全24話のうち12話まで見終わった。

その物語のストーリーはこうだ。

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夏休みの自然学校に集まった14人の中学1年生と、その中の1人の妹(小学4年生)の15人は、海岸近くの洞窟で1人の奇妙な男と出会う。ゲームクリエーターだという、その男はココペリと名乗り、彼ら15人にゲームに参加しないか、と持ちかける。そのゲームとは、「これから地球を15体の敵が襲うので、巨大ロボットに乗って、その敵と戦う」というものだった。

小4の女の子を除く14人は、その戦いに参加する契約を結ぶのだが、それはゲームではなく現実だった。彼らは突然現れた巨大ロボットに乗せられ、敵と戦うことになる。ロボットを操縦して最初の敵を倒したココペリは、「ここから先は君たちの番だ」という言葉を残して姿を消す。こうして、彼ら14人+1人の戦いが始まる。

その巨大ロボット──彼らはそれを「地球」を意味するthe earthになぞらえて、ジアース(Zearth)と名付けた──は彼ら14人のうちの1人が交替で操縦するが、操縦者になるのは何物かに「呼ばれた」者だけで、それは彼らの意思とは無関係に選ばれる(ただし、残りの者も全員コックピットに搭乗する)。

敵との戦いでジアースが負ければ地球が滅亡する。だから彼らには負けることは許されない。そして、一度戦いの契約を結んだ者は、それを解除することはできない。

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どこから、何のためにやって来るのかわからない敵に、10代の少年少女が地球の命運を担って巨大ロボットで立ち向かう…笑ってしまうような陳腐なストーリーだ。今時、誰がこんな話を面白がって見るんだろう──少なくとも、ここまで書いた範囲ではそう思われるだろう。私だってそうだ。しかし、まだ続きがある。

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なおかつ、戦いの結果がどうであろうと、一度ジアースを操縦した者は、戦いの終わりとともに死ななければならない。なぜなら、ジアースは操縦者の命を動力としているから。

つまり、1つの戦いが終わるたび、14人のメンバが1人ずつコックピットから──そして現実世界からも──消えていくのだ。「死」という形で。

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彼ら1人ひとりがジアースを操縦するのは一度限り。彼らはその一度きりの戦いを前に、それぞれが自分の「生き様」と向き合わなければならなくなる。それが、この物語『ぼくらの』(鬼頭莫宏著、小学館刊)が描く世界だ。

これに先行する、似たような構造を持った物語に『新世紀エヴァンゲリオン』がある。こちらは、襲い来る「使徒」と呼ばれる敵と、エヴァンゲリオンに乗って戦う14歳の少年少女たちの物語である。『エヴァ』は形而上学的なギミックや謎を駆使して視聴者を引っ張りながら、実は物語の核心は主人公たちの内面世界を描くことにあった。

それに対して『ぼくらの』は、物語そのものが、主人公たちの内面に向かわざるを得ない構造になっている。実際、そこで描かれるのは、敵との戦いそのものより、操縦者に選ばれてから次の戦いまでの、彼らの「生きる姿」が中心になっている。物語の中で登場人物の生死観が語られるような作品は少なくないが、生死観そのものが物語の中心テーマであるような作品というのは、そう多くない。ましてや、その主人公となるのが中学1年の少年少女たちというのは。私が新聞のコラムを読んで以来、その作品のことがずっと気になっていた理由も、そこにある。

とは言っても、私は見たのは、まだアニメ全体の半分に過ぎない。実は12話の最後に、この物語の更なる仕掛けが暗示されている。それも、極めて悪意に満ちた仕掛けが。この先、物語がどのように進んでいくのか、全くわからない。もしかしたら、これまで書いてきたことが、最後の最後に全てひっくり返されてしまうのかもしれない。実は『ぼくらの』は、今、自分が思っているような物語とは全く違ったものなのかもしれない。半分そんなことを期待しつつ、後半に突入するとしよう。

YouTubeの『ぼくらの』は、第1話を除いてスペイン語の字幕付きだ(英語の字幕の回もあるが)。これも消されてしまう可能性があるので、見るなら早く。その前に、『ぼくらの』の番宣をどうぞ。

それから、このアニメの主題歌が石川智晶の『アンインストール』だが、この歌を聴いていて気づいたことがある。

この曲、私はとても気に入って、最近は毎日のように聴いているのだが、私の体はこの曲が始まるとすぐ変化が生じるのだ。具体的には、膵臓の働きが低下し、脳の一部の血管の血流量も減るようなのだ。そして、その症状は体のイオウ、ナトリウムなどが急激に低下することで起こっているらしい(試しに5回以上続けて聴くと、(気のせいかもしれないが)左季肋部から臍部に痛みが現れた)。この状態は『アンインストール』を聴くと必ず生じるもので、ある日たまたま起こった、というのとは違う。

別の人に同じ曲を聴いてもらって調べると、私とは違って腸間膜に弱さが現れたが、栄養の不足などは生じなかった。

プロモーション・ビデオで見る限り、歌っている石川智晶自身の体には、そういった悪い方向への変化は生じていない(当たり前だ)ようなので、多分、皆が皆そうなるわけではないが、ある種の人間にとって、この曲は「命を削りながら」聴く曲なのかもしれない。『ぼくらの』の操縦者がそうであるように。

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