80年代後半、現在、東京都副知事の猪瀬直樹の著書『ミカドの象徴』を読んだことがある。
残念ながら、初版本は手許にはないが、小学館文庫で出てるみたいだね。
そのときだったと思う。
日本の「中心」は皇居。
そこは「権力機構」はなく、
「日本国の象徴」としての天皇皇后両陛下がいらっしゃるだけの森。
ロラン・バルトのいう「空虚の中心」という概念を初めて知ったのは。
どうも、最近、私は“内田樹萌え”なので、
また内田の著書『期間限定の思想』(角川文庫版)から引用したい。
(以下、黒字部分が引用箇所。赤字部分は引用者)
たぶん、日本文化の根底には、たおやかさ、ある種の女性性みたいなものや、すべてを受け入れてしまう包容性のようなものがある。ヨーロッパ的な、実定的でポジティブなものを重ねてゆき、あらゆる隙間を埋め尽くしてゆく、という文化ではなく、空虚さに社会や人間の実質があるというような考え方が、日本人の美意識の内には抜き難く入り込んでいる。絵画にしても、音楽にしても。三島由紀夫的にいうなら、それは政治の中核に空虚がある、ということになる。
(同書239ページより)
そして、具体的な「ヒーロー」として例に挙げるのが長嶋茂雄と、『男はつらいよ』の主人公、寅さんだ。
天皇的キャラクターというのがあるじゃないですか。日本人がもっとも好きで、誰もその人の悪口を言えない、という人。たとえば長嶋茂雄。
(中略)何のために野球をやるのか、ということについて、あの人はたぶん何も考えていない。お金が欲しいだとか、名声が欲しいだとか、すぐれた運動能力によって自己実現をしたいだとか、そういう雑なものが何もなくて、目の前にポンとボールが飛んできたから打つ、捕る、ただそれだけなんです。普通に考えて「意味があること」のために野球をやっているわけではないんです。ボールが飛んでくる、ボールに身体が反応する、「ああ、なんて気持ちがいいんだろう」という純粋な快感だけで成り立っているキャラクターが長嶋茂雄なんですよね。
だから、長嶋を見ていると、その快感が観客にストレートに伝わってくる。ボールゲームに全身で興じている長嶋茂雄自身の快楽がそのまま、まじりけなしに、観客に伝達される。だから、長嶋茂雄を見ている観客はすごく気持ちがいいわけです。その快楽は、他の優れた運動能力を持つ選手(たとえばイチロー)の活躍を見ているときの快楽とは次元が違うんです。長嶋茂雄は空虚なんですよ。彼が空虚な通路だからこそ、彼をシャーマン的な媒介として、観客はボールゲームの本質に全面的に、直接的に触れることができるわけですよね。ああいう無欲無心の人というのが、日本人のもっとも好きなキャラクターなんです。
(中略)他にも、たとえば『男はつらいよ』の寅さんも日本人が好きなキャラクターですよね。
寅さんもまた、ある意味では中空の人ですね。
(中略)長嶋の悪口を言う人がいないように、『男はつらいよ』を徹底的に批判する批評家もいませんね。批判するとしたら、「どの作品も話が同じだ」とか「登場人物が類型的すぎる」とかそういうことでしょうけれど、類型的人物に同じ話を演じてもらうために作られてる映画なんだから、そんなに批判しても始まらない。それでも全四八作という記録的な連作が作られ、一貫して熱烈に支持されているということは、寅さんが日本人が非常に好きな人間のあり方であるということだと思うんです。まわりにいる全員を自分の中に受け入れ、取り込んでしまうけれど、本人は非常に虚ろであり、伝えるべきメッセージも情報も持たない。
寅さんが、「とらや」でみんなを前にとくとくと語ることって、全部、他人から聞いたばかりの話の「請け売り」ですよね。彼自身の経験の中からしみ出るような叡智の言葉というのはほとんどない。あるとしたら、「愛する人を大切にしろよ」ということぐらいだけですけれど、寅さん自身は絶対に「愛される人」にはならないで、去って行くわけです。だから、寅さんからのメッセージはいつも最終的には一方通行で、彼に対しての「返事」は誰からも届かないんですよね。
そういう、本質的に空虚な人間のあり方が日本人は大好きなんです。
他にも例が思いつくかもしれませんが長嶋や寅さんのようなキャラクターが、アメリカやフランスで満場一致的なポピュラリティーを獲得するなんてちょっと考えられないでしょう。
(同書240~243ページより)
「空虚」ではないだろうけど、拙著では日本人の「お笑い」のアーキタイプを「笑点」と指摘したけど(PDF版182ページ)、「類型的」なのがいいところだろうね。
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*詳細につきましては担当者とご説明に参ります。
【ソーシャルリスニング】につきましては、
GMOリサーチ株式会社 「GMOグローバル・ソーシャル・リサーチ」
http://www.gmo-research.jp/service/gsr.html#tabContents01
【激変するメディアライフ! 感性と消費の新常識】
アスキー総合研究所「MCS2012」
http://research.ascii.jp/consumer/contentsconsumer/
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残念ながら、初版本は手許にはないが、小学館文庫で出てるみたいだね。
そのときだったと思う。
日本の「中心」は皇居。
そこは「権力機構」はなく、
「日本国の象徴」としての天皇皇后両陛下がいらっしゃるだけの森。
ロラン・バルトのいう「空虚の中心」という概念を初めて知ったのは。
どうも、最近、私は“内田樹萌え”なので、
また内田の著書『期間限定の思想』(角川文庫版)から引用したい。
(以下、黒字部分が引用箇所。赤字部分は引用者)
たぶん、日本文化の根底には、たおやかさ、ある種の女性性みたいなものや、すべてを受け入れてしまう包容性のようなものがある。ヨーロッパ的な、実定的でポジティブなものを重ねてゆき、あらゆる隙間を埋め尽くしてゆく、という文化ではなく、空虚さに社会や人間の実質があるというような考え方が、日本人の美意識の内には抜き難く入り込んでいる。絵画にしても、音楽にしても。三島由紀夫的にいうなら、それは政治の中核に空虚がある、ということになる。
(同書239ページより)
そして、具体的な「ヒーロー」として例に挙げるのが長嶋茂雄と、『男はつらいよ』の主人公、寅さんだ。
天皇的キャラクターというのがあるじゃないですか。日本人がもっとも好きで、誰もその人の悪口を言えない、という人。たとえば長嶋茂雄。
(中略)何のために野球をやるのか、ということについて、あの人はたぶん何も考えていない。お金が欲しいだとか、名声が欲しいだとか、すぐれた運動能力によって自己実現をしたいだとか、そういう雑なものが何もなくて、目の前にポンとボールが飛んできたから打つ、捕る、ただそれだけなんです。普通に考えて「意味があること」のために野球をやっているわけではないんです。ボールが飛んでくる、ボールに身体が反応する、「ああ、なんて気持ちがいいんだろう」という純粋な快感だけで成り立っているキャラクターが長嶋茂雄なんですよね。
だから、長嶋を見ていると、その快感が観客にストレートに伝わってくる。ボールゲームに全身で興じている長嶋茂雄自身の快楽がそのまま、まじりけなしに、観客に伝達される。だから、長嶋茂雄を見ている観客はすごく気持ちがいいわけです。その快楽は、他の優れた運動能力を持つ選手(たとえばイチロー)の活躍を見ているときの快楽とは次元が違うんです。長嶋茂雄は空虚なんですよ。彼が空虚な通路だからこそ、彼をシャーマン的な媒介として、観客はボールゲームの本質に全面的に、直接的に触れることができるわけですよね。ああいう無欲無心の人というのが、日本人のもっとも好きなキャラクターなんです。
(中略)他にも、たとえば『男はつらいよ』の寅さんも日本人が好きなキャラクターですよね。
寅さんもまた、ある意味では中空の人ですね。
(中略)長嶋の悪口を言う人がいないように、『男はつらいよ』を徹底的に批判する批評家もいませんね。批判するとしたら、「どの作品も話が同じだ」とか「登場人物が類型的すぎる」とかそういうことでしょうけれど、類型的人物に同じ話を演じてもらうために作られてる映画なんだから、そんなに批判しても始まらない。それでも全四八作という記録的な連作が作られ、一貫して熱烈に支持されているということは、寅さんが日本人が非常に好きな人間のあり方であるということだと思うんです。まわりにいる全員を自分の中に受け入れ、取り込んでしまうけれど、本人は非常に虚ろであり、伝えるべきメッセージも情報も持たない。
寅さんが、「とらや」でみんなを前にとくとくと語ることって、全部、他人から聞いたばかりの話の「請け売り」ですよね。彼自身の経験の中からしみ出るような叡智の言葉というのはほとんどない。あるとしたら、「愛する人を大切にしろよ」ということぐらいだけですけれど、寅さん自身は絶対に「愛される人」にはならないで、去って行くわけです。だから、寅さんからのメッセージはいつも最終的には一方通行で、彼に対しての「返事」は誰からも届かないんですよね。
そういう、本質的に空虚な人間のあり方が日本人は大好きなんです。
他にも例が思いつくかもしれませんが長嶋や寅さんのようなキャラクターが、アメリカやフランスで満場一致的なポピュラリティーを獲得するなんてちょっと考えられないでしょう。
(同書240~243ページより)
「空虚」ではないだろうけど、拙著では日本人の「お笑い」のアーキタイプを「笑点」と指摘したけど(PDF版182ページ)、「類型的」なのがいいところだろうね。
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