「詩客」短歌時評

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短歌相互評26 松村由利子から染野太朗「初恋」に寄せて 

2018-08-30 22:03:34 | 短歌相互評

作品 染野太朗「初恋」  http://shiika.sakura.ne.jp/works/tanka/2018-08-04-19370.html         
評者 松村由利子

 実に初々しく、恋の喜びや幸福感、そして痛みを伝えてくる連作だ。最初の二首では、恋を失った現在の苦しい思いが描かれる。
ひとの幸せを願へぬといふ罰ありきメロンパン口に乾きやまずき
くるしみを求めてたんだみづたまりに雨降るかぎり死ぬ水紋の

 「ひとの幸せ」は、かつての恋人の幸せである。メロンパンによる口中の渇きさえ、「罰」と感じられるのは、「くるしみを求め」るストイックな人物だからだろう。水たまりに広がり続ける波紋は繰り返し水面を刻み、波立たぬ水面のような心には戻れない悲しみが迫ってくる。
 アスタリスクで区切られた三首目以降は、回想の中の恋が濃やかに描かれる。その完璧にも近い至福の感情と昂揚は、失われたものゆえの輝きを思わせる。
きみがぼくに搬んだそれは夏だつた抱へたらもう海に出てゐた
聞きづらいときは顔寄せてくれることも灯台の灯(ひ)のやうで近づく
 
恋の喜びを「夏」と表現した一首目は、人称や指示詞が効果的に使われており、独自の文体となっている。平坦、冗長になりがちな口語を用いつつ、翻訳文のような文体によって魅力的な起伏と展開がもたらされていることには驚く。染野は多彩な文体の使い手であるが、この歌は口語短歌の一つの到達点と言えるのではないか。
 二首目は、古典和歌のような、なだらかで粘っこい韻律がいい。一首全体が結句の「近づく」を修飾するために詠まれており、ここで主体が「顔寄せてくれる」君から、作中主体に変わる。「近づく」はまるで大太鼓が曲のラストにどしりと一拍響かせるような効果を生み、歌に詠まれていない場面が余韻として読者に伝わってくる。
 両方とも喩の巧みさに魅了されるが、そこにとどまることなく、さらに文体が練られているところに特徴がある。染野にとって、喩は常に着地点ではなく、そこから飛躍するための美しい発見なのだろう。
海の色をあをとしか思へぬことのきみをしおもふ気持ちにも似て 
きみと来て食堂〈煮魚少年〉の味噌煮の鯖を箸にくづしつ
煮魚を食べつつきみと黙(もだ)すれどちよつと目の合ふ一瞬はある

「この人」と心に決める恋の必然性を「海の色」に喩えた美しさは、「あを」のイメージと共に果てしなく広がる。こうした大海原のような愛情を「食堂〈煮魚少年〉」の小さな卓に注ぎ込むところが、この歌人の巧さである。食堂名は非現実の世界を思わせ、そこで煮魚を食する二人の輪郭もやわらかい。人生も恋も短く、「ちよつと目の合ふ一瞬」こそが永遠である。そして、こんなにも愛おしい時間を過ごすにもかかわらず、作者は恋の終わりを予感する。
これもきつと最後の恋ぢやないけれど海風、奪へいつさいの声
 「最後の恋」ではないことの悲しみは、海風がさらってゆく。ここには、やがて訪れる別離への怖れはない。終わりがあるからこそ瞬間は輝くことを、この作者はよく知っている。十首を読み終えたとき、素晴らしい恋の結末をもう一度確かめようと、読者はアスタリスクの前に置かれた二首へ立ち戻らされる。小説のような歌集『人魚』を編んだ歌人の手並みは、ますます冴え渡っている。


松村由利子〈略歴〉一九六〇年福岡生まれ。沖縄・石垣島在住。「かりん」所属。最新歌集『耳ふたひら』。著書に『短歌を詠む科学者たち』など。
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