わたしの好きな詩人

毎月原則として第4土曜日に歌人、俳人の「私の好きな詩人」を1作掲載します。

ことば、ことば、ことば。第21回 断章2 相沢正一郎

2014-11-17 17:46:36 | 詩客

 「断章1」では、『渡し場にしゃがむ女 詩人西脇順三郎の魅力』について書きましたが、枚数の関係で前回に書ききれなかったことを幾つか。
 八木幹夫さんの著書からいただいた発想で、西脇を読み返してみました。まず、『旅人かへらず』のことばを「歳時記」で調べてみると、まあ通常だったら《岩間からしみ出た》《人生の旅人》のライフサイクルが四季の流れに沿って展開する構成になるはず。ところが『旅人かへらず』の季語をみてみますと、春夏秋冬の順序はアトランダム。おおい季節は「秋」が六六段ある――これはよくわかります。 「淋しき」(「淋しい」)のことばが、なんと四一も出てくる長編詩なんですから、そういう色彩なんだろう、と予想できます。でも、これも秋のつぎに当然、寒色の「冬」、という予想を裏切って、たったの八……全部で一六八(いろは)の断章があるのに、です。西脇順三郎は、冬が嫌いなのだろうか。全部の西脇詩を見まわしても、「冬」は、あまりないような気がします。一六七段《白つつじの大木に/花の満開/折り取ってみれば/こほつた雪であつた》。この「雪」、西脇の詩には珍しい(おなじ新潟県出身の八木忠栄さんには、雪の詩の傑作がおおいのに)。不思議です。湿気のつよい日本で、小津安二郎の映画には雨が降らないように……。さて、そのつぎにおおかったのが、生命力のつよい「夏」の三一。「春」が二三。(もしかしたら、この比率、全作品にもいえるのかも)。そして、この《淋しい》「秋」の詩、日本の抒情詩に比べてみますと、明るく乾いています。
 それこそ、松尾芭蕉の「甘味をぬけ」とか「軽み」とを関係づけて西脇順三郎を、それから「」ということで『旅人かへらず』と『奥の細道』とを比較して論じてみてもおもしろい、と、これも八木幹夫さんからヒントをいただいたんですが、残念ながらわたしには論文を書くほどの根気も俳句の知識もありません。あとひとつだけ、以前に夢中になって読んだ嵐山光三郎『悪党芭蕉』を思い出しました。《芭蕉は、『嵯峨日記』で「憂き我をさびしがらせよ閑古鳥」の吟を得た。/もの憂い自分を淋しがらせてくれ、とかんこ鳥に呼びかけており、淋しがるとは「閑寂の境地にいく」というほどの優雅なる孤独であって、ただ静かで貧乏であるだけではいけない。酒や料理がそろっていて景観がよく、本もあって、かつしんみりとしなくてはいけない。このへんが芭蕉を淋しがるコツである》とあり、おもわず笑ってしまった。なにか「淋しい」の質が似ているように思われますが、いかがでしょう。
 さて、「断章1」でも引用しましたが、八木幹夫さんは『旅人かへらず』を簡潔に、じつに見事に《連続と断絶。断絶と連続。交互に作品が次の作品を呼び込み、突然日常の出来事が侵入し、物語の持つ起承転結を拒んでいく。長編詩でありながら叙事詩的要素はほとんどない。詩篇のひとつひとつが独立していて、かつ大きく連続している気配です》と要約している。じつはこの文章を『渡し場にしゃがむ女』からパソコンに打ち込みながら、かつて「日記」について考えていたことを思い出していました。 《古今東西、日記で共通していることといえば「さまざまな断面が不連続に現れては消えていく」ということ。そして「いきなり文章がはじまり、ふいに文章が途切れ、あとには余白のページが……」ということ。はじまりも終わりもない、というのは日記の作者が、気まぐれに日記を付け、不意に終えてしまう》。そして、日本の日記について《日本人の日記好きは、もしかしたら俳句を好む性格と深く関係があるのかもしれません。日本の日記の場合、些事な断片が四季のリズムに揺蕩い流されていくのが特徴です。永井荷風の口癖《往事茫茫都て夢の如し》のように。》(「第13回 日記3」)。
 日記のもつ《「さまざまな断面が不連続に現れては消えていく」ということ。そして、いきなり文章がはじまり、ふいに文章が途切れる》といった性格は、西脇順三郎の長編詩にも当てはまります。「日記」と西脇詩、というと、筆者自身でさえ意外な気がしますが。でも、『指輪物語』で見つけたことば「行きて帰りし物語」といった、円環を閉じる構築物、というよりも、「旅人かへらず」のたとえば『鳥獣戯画』のような自由な筆運びでスピーディーにユーモラスに描かれた巻物にはこうした親しみやすさがあってもいい。
 さて、八木幹夫さんと「歴程祭」でお会いしたとき、笑いながら前回 (「断章1」)の 『渡し場でしゃがむ女』を「寝転がりながら読んでください」がよかった、と仰いました。西脇順三郎も、学者がつねに意識的に思想を構築するようにではなく、半眼で、眠りとか無意識、偶然とかを取り入れる、そんな余白をもっていた、と思います。次回は、西脇順三郎を離れて、ほかの作家の「断章」について書いてみようと思います。


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