上海の呉昌碩記念館に行ったとき、大きな本を買って帰った。
彼は書だけでなく、画、篆刻もよくした。
明清以降の書画は、上海のサロンで花開いたのだった。
上海での勉強会からまもなく、私は次男と当時美大希望のNちゃんと3人で奄美大島に・・・。
画家田中一村(たなかいっそん)の終焉の家を
彼がスケッチした亜熱帯の植物や、その空気や色、匂いを体で感じたかったので出かけた。
そして彼が仕事をした大島紬の工房を見学し、泥染めも体験した。
目的の一村の終焉の家はとても小さく粗末なものだったが、彼が生きていた空気に触れたような気がしてうれしかった。
奄美の空港のすぐ近くにはその家とは反対に立派な田中一村美術館ができていた。
その美術館で私は驚いた・・・。
田中一村は幼いころ書を学び、南画も学んでいたのだった。
呉昌碩を・・・。
呉昌碩の作品を上海でたっぷり観てきて、まもなく行った奄美で、それも呉昌碩にそっくりの画を描いた田中一村の作品に出会うとは思いもしなかった。
当時、この偶然に驚いた。
こういうことは偶然ではなく必然なのだろうか?って思った。
そのときの感動を思い出して今回、呉昌碩を見、そして書いた。
呉昌碩は呉春卿(ご しゅんけい)とも。
これもまた私とご縁があるのかな?って勝手に思う。
今回書いた作品は3月8日より3月13日まで熊本県立美術館分館「臨書展」に出展する。
呉昌碩関連グッズともいえるものがヤフオクに出ていました。これもすごいですね。
その中に「提筆」ってのがあるのですが何でしょうか?調べても出てきません。
ところで、呉昌碩の絵をネットオークションで売ってますが信用できるんでしょうかね。どうやって本物と知るのか、信じられません。