肥後民家村で連休中「里山美術館」が開催されている。
広い敷地内にいろんなオブジェ、旧家を借りて、陶芸、アクセサリー、ガラス、染物、キャンドル、骨董、園芸品、食べ物、と盛りだくさん。
昨日も書いたが、女性4人とわんこ1匹とこの歴史ある広い空間を堪能した。
この様子は、親友の器季家のくみちゃんのブログにも又載せてある。(器季家倶楽部)
肥後民家村とは・・・。
実は「江田船山古墳」群の敷地の中に旧家を移築してあるもののようだ。
「江田船山古墳」からは、漢字が銀で鋳込まれた太刀をはじめ、鏡や純金の耳飾理。金銅製の冠帽や沓・玉・土器らが副葬品として出土したらしい。
そして、この境家は、県北部地方の代表的民家で、「二棟造り」。国指定文化財。当初玉東町原倉にあった。「二棟造り」とは「土間」の棟と「居室」の棟が接して建てられ、中間部に谷樋(やとい)が通っている形式(熊本県大百科事典より)
特に印象的だったのは旧境家の小林政嗣さんの(常設)の美術館だった。
古墳という古代人の魂(大和時代)と、旧家(1830年建築)と現代と点でうまく結ばれているような気がした。
広い敷地内にいろんなオブジェ、旧家を借りて、陶芸、アクセサリー、ガラス、染物、キャンドル、骨董、園芸品、食べ物、と盛りだくさん。
昨日も書いたが、女性4人とわんこ1匹とこの歴史ある広い空間を堪能した。
この様子は、親友の器季家のくみちゃんのブログにも又載せてある。(器季家倶楽部)
肥後民家村とは・・・。
実は「江田船山古墳」群の敷地の中に旧家を移築してあるもののようだ。
「江田船山古墳」からは、漢字が銀で鋳込まれた太刀をはじめ、鏡や純金の耳飾理。金銅製の冠帽や沓・玉・土器らが副葬品として出土したらしい。
そして、この境家は、県北部地方の代表的民家で、「二棟造り」。国指定文化財。当初玉東町原倉にあった。「二棟造り」とは「土間」の棟と「居室」の棟が接して建てられ、中間部に谷樋(やとい)が通っている形式(熊本県大百科事典より)
特に印象的だったのは旧境家の小林政嗣さんの(常設)の美術館だった。
古墳という古代人の魂(大和時代)と、旧家(1830年建築)と現代と点でうまく結ばれているような気がした。