中井久夫訳カヴァフィスを読む(169)(未刊16)
「亡命者たち」の注釈に中井久夫は「アラブによる占領後のさびれたアレクサンドラ。時代は、ミハイル三世の、共同皇帝パシリス(東ローマ帝国マケドニア朝の建設者)による暗殺後ほどない頃である」と書いている。
注釈がないと「まだこれでも」の意味がわからないが、こういう突然のはじまりはカヴァフィスの特徴である。わからなくてもいい、わかるひとに向けてだけ書いている、というのがカヴァフィスのスタイルだ。
それはこの「まだこれでも」が口語でもあるということだ。
話し相手がいる。相手に話している。当然、ふたりは共通の「過去」を持っている。同じ時代を生きている。言わなくてもわかることがある。「まだこれでも」は、同じことがわかっているからこそ言えることばである。
「ほら見えてきた、」も、場(街)への馴染みを感じさせる。「知っている」という感覚があふれている。「知っている」を共有するのがカヴァフィスの詩である。
「立派なもんだ」「街さ」という語尾から口語とわかるものもあるが、「まだこれでも」のように、これといった特徴のない言い回しも、やはり口語であることに注意して読むとカヴァフィスの「呼吸」のようなものがわかる。
「亡命者」は何をするか。
「意味」ではなく、イマジャリー(イメジャリー)、リズムや言い回し、その調和を読む。これはカヴァフィスの本質と重なる。カヴァフィスはことばのリズムや言い回しによって、詩を演劇の一シーンのようにしている。リズムや言い回しによって、その話者の「過去」(肉体)を再現している。リズムや言い回しを工夫することで、登場人物の説明を省略している。
その際「調和」を忘れないようにしている--そうつけくわえる必要がある。
「亡命者たち」の注釈に中井久夫は「アラブによる占領後のさびれたアレクサンドラ。時代は、ミハイル三世の、共同皇帝パシリス(東ローマ帝国マケドニア朝の建設者)による暗殺後ほどない頃である」と書いている。
まだこれでもアレクサンドリアだ。
直線道路を終点の競馬場までちょっと歩こう。
ほら見えてきた、宮殿や記念碑が。まだ立派なもんだ。
戦火をこうむっても、
昔より小さくなったといっても、
素敵な街さ。
注釈がないと「まだこれでも」の意味がわからないが、こういう突然のはじまりはカヴァフィスの特徴である。わからなくてもいい、わかるひとに向けてだけ書いている、というのがカヴァフィスのスタイルだ。
それはこの「まだこれでも」が口語でもあるということだ。
話し相手がいる。相手に話している。当然、ふたりは共通の「過去」を持っている。同じ時代を生きている。言わなくてもわかることがある。「まだこれでも」は、同じことがわかっているからこそ言えることばである。
「ほら見えてきた、」も、場(街)への馴染みを感じさせる。「知っている」という感覚があふれている。「知っている」を共有するのがカヴァフィスの詩である。
「立派なもんだ」「街さ」という語尾から口語とわかるものもあるが、「まだこれでも」のように、これといった特徴のない言い回しも、やはり口語であることに注意して読むとカヴァフィスの「呼吸」のようなものがわかる。
「亡命者」は何をするか。
教会問題を論じることもある。
(ここの連中はどうもローマよりだな)
ときには文学も。
ノンノスの詩を読む日もある。
素敵なイマジャリー、リズム、言い回し、調和。
「意味」ではなく、イマジャリー(イメジャリー)、リズムや言い回し、その調和を読む。これはカヴァフィスの本質と重なる。カヴァフィスはことばのリズムや言い回しによって、詩を演劇の一シーンのようにしている。リズムや言い回しによって、その話者の「過去」(肉体)を再現している。リズムや言い回しを工夫することで、登場人物の説明を省略している。
その際「調和」を忘れないようにしている--そうつけくわえる必要がある。
![]() | リッツォス詩選集――附:谷内修三「中井久夫の訳詩を読む」 |
クリエーター情報なし | |
作品社 |