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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

中井久夫訳カヴァフィスを読む(169)(未刊16)

2014-09-07 06:00:00 | カヴァフィスを読む
中井久夫訳カヴァフィスを読む(169)(未刊16)   

 「亡命者たち」の注釈に中井久夫は「アラブによる占領後のさびれたアレクサンドラ。時代は、ミハイル三世の、共同皇帝パシリス(東ローマ帝国マケドニア朝の建設者)による暗殺後ほどない頃である」と書いている。

まだこれでもアレクサンドリアだ。
直線道路を終点の競馬場までちょっと歩こう。
ほら見えてきた、宮殿や記念碑が。まだ立派なもんだ。
戦火をこうむっても、
昔より小さくなったといっても、
素敵な街さ。

 注釈がないと「まだこれでも」の意味がわからないが、こういう突然のはじまりはカヴァフィスの特徴である。わからなくてもいい、わかるひとに向けてだけ書いている、というのがカヴァフィスのスタイルだ。
 それはこの「まだこれでも」が口語でもあるということだ。
 話し相手がいる。相手に話している。当然、ふたりは共通の「過去」を持っている。同じ時代を生きている。言わなくてもわかることがある。「まだこれでも」は、同じことがわかっているからこそ言えることばである。
 「ほら見えてきた、」も、場(街)への馴染みを感じさせる。「知っている」という感覚があふれている。「知っている」を共有するのがカヴァフィスの詩である。
 「立派なもんだ」「街さ」という語尾から口語とわかるものもあるが、「まだこれでも」のように、これといった特徴のない言い回しも、やはり口語であることに注意して読むとカヴァフィスの「呼吸」のようなものがわかる。
 「亡命者」は何をするか。

教会問題を論じることもある。
(ここの連中はどうもローマよりだな)
ときには文学も。
ノンノスの詩を読む日もある。
素敵なイマジャリー、リズム、言い回し、調和。

 「意味」ではなく、イマジャリー(イメジャリー)、リズムや言い回し、その調和を読む。これはカヴァフィスの本質と重なる。カヴァフィスはことばのリズムや言い回しによって、詩を演劇の一シーンのようにしている。リズムや言い回しによって、その話者の「過去」(肉体)を再現している。リズムや言い回しを工夫することで、登場人物の説明を省略している。
 その際「調和」を忘れないようにしている--そうつけくわえる必要がある。


リッツォス詩選集――附:谷内修三「中井久夫の訳詩を読む」
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粒来哲蔵『侮蔑の時代』

2014-09-06 11:38:27 | 詩集
粒来哲蔵『侮蔑の時代』(花神社、2014年08月10日発行)

 粒来哲蔵『侮蔑の時代』の扉に「青梅雨(つゆ)」という短い詩が載っている。そのまま「帯」にも使われているのだが、とても不思議な詩だ。

--死の総量ってどのくらい?と私は母に尋ねた。そうね、青梅の
種子の胚ほどよ、--と母は答えた。じゃその胚の重さは?とかさ
ねて問うと、母は少し間を置いてから、子猫の爪ほどよ--と笑っ
答えた。

 読んだ瞬間、ひきこまれる。
 この感覚はなんだろう。
 母に問いかけ、母が答える。この問答で、「死の総量」「重さ」がわかったのだろうか--というと、たぶん、わからない。ここからは、「死」そのものについてのどんな「答え」も出て来ない。つまり、言いなおすことができない。
 だから、こんなのはでたらめだ、ということもできる。
 しかし、そういう批判(?)をする気になれない。
 なぜだろう。
 「母」は「私」の知らないことを知っている。そのことだけが、なぜか、わかるからである。「死の総量」「死の重さ」というものを知っている。
 いや、母はそれ以上のことも知っている。いま答えたことばが「私」の中にのこること。「私」がそのことばを覚えて忘れないだろうということを知っている。母がいったのだから、それは「真実」であると信じ、「肉体」で覚えるということを知っている。
 「母」と「私(子ども)」の断絶と接続、「絆」があることを知っている。このことばによって、母と子どもは断絶する。「わからないこと」が二人のあいだにはある。そして、その「わからない」ことが二人を結びつける。
 揺るぎない「関係」を感じる。その「ゆるぎなさ」に引き込まれるのだと思う。

 この日は雨が降っていたのかもしれない。梅雨だったのかもしれない。雨の日、家の中から外を見ている。何もすることがない。子ども(私)は母に「死の総量」について尋ねる。「死の総量」ということばは、「私」が大きくなってから、死というものを「身近に」、実感として感じるようになってから思いついたことばであって、子どものときはそうは言わなかったかもしれない。覚えていることが、ととのえられて、言いなおされているのだと思うが、情景としては子どもと母が雨の日に外を見ながら話している光景が浮かんでくる。雨に、青い梅が濡れている。
 雨の日、外で遊べず、何もすることがないので、母の背中に隠れるようにして本なんかを読みながら、(と、私はなぜか勝手に想像するのだが)、本のなかで見つけた「死」にびくびくしながら、「死」についてお母さんは何を知っているだろうと思い、とんでもない質問をする。「死の総量」なんて、「意味」もわからずに。子どもは、いま、現実から遊離して、ふわふわしている。
 その「ふわふわ」が、子どもを産んだ母には「肉体」としてわかるのだろうか。母は、具体的なことばを口にする。ただし比喩なので、具体的であっても「意味」はあいまいだが。
 しかし、その母のことばのなんという不思議さ。
 「死の総量」は青梅と同じくらいとは言わずに、見えない「種子」の、さらに見えない「胚」を例に引いている。子どもの「私」に胚がわかったかどうか、よくわからない。きっと、これも「私」がおとなになってからわかったことだと思う。しかし、「種子の胚」がわからなくても、青梅のなかに種子があることくらいは子どももわかる。その種子のなかに、また別の何かが入っている--ということも、子どもはわかる。「事実」がわからなくても、「論理」はわかる。子どもにはそういう能力がある。青梅-種子-胚。そこにある連続性。遠心と中心。そのつながりのなかで、「私」は、大げさに言えば「母-子ども」の関係を知る。「母」のなかに「子ども」がいる。「子ども」を「母」がつつんでいる。そういう「論理(つながり)」も、わかる。
 これは、「死」というものを考えると、ちょっと奇妙な例といえるかもしれない。
 「母のなかにいる子ども」は「死」ではなく「いのち」あるいは「誕生」というものだからである。母の語った例は、「母-子」という関係のなかで見つめなおすと矛盾しているように見える。けれども、そうではなくて、「いのち」を引き継ぐのではなく「死」をこそ子どもが引き継ぐと考えると、これはこれで、とても正しいという感じがする。ふつう、母が死んで、そのあとで子どもが死ぬ。「いのち」が引き継がれるように「死」も引き継がれるのだ。
 そんなことを子どもが考えるか。考えはしない。けれど、そのときの「会話」は肉体のなかにしまい込まれ、子どもが大きくなって、死を実感するようになったときに、肉体の奥からあらわれてくる。明確な形になってくる。母からいのちを引き継いだのではなく、死ぬことを引き継いだのだ、とわかる。母の死は、子どもの死によって完成するのだ。子どもが生きている限り、母は記憶(覚えていること)として、生き続けている。
 こんなことは、繰り返しになるが、子どもにはわからない。「意味」としては、わからない。けれど、そこに何か「論理」がある、ないがしろにはできない「論理(意味のつながり)」があるということはわかる。母と子のつながりのように、それは目で見る限りは分離しているけれど、どこかで(目に見えないところで)つながっている。
 で、子どもは、ふたたび「胚の重さは?」と問うのだが、母にはもう言うことがない。「子猫の爪ほどよ」と笑って答える。その答えのなかに「子」が含まれている。母は「子」を意識している--そういうことだけがわかる。

 これは、不思議に、不思議に、美しい。不思議な光に満ちた詩である。

 母と子ども(粒来哲蔵本人、と私は考えている)が遠い昔に対話している。そのときわからなかったものが、いまの粒来にはわかるので、覚えていることのなかにいまのことばがまじる。いまのことばで昔がととのえられているのだが、その「ととのえる」仕事のなかには、同時に昔から学び直すということも含まれている。いまと昔が往復しながらことばをととのえている。
 それは、なんといえばいいのか、母と子の対話にも似ている。互いが互いの声を聞きながら、対話にふさわしいことばをととのえるようなものである。粒来は覚えていること(過去)と対話しながら、ことばをととのえている。
 そうやってととのえられたことばのなかに「死」が美しいものとして浮かんでくる。私はさっき「いのち」が引き継がれるように「死」が引き継がれると書いたが、「死」が浮かび上がると、逆に「死」が引き継がれるのではなく「いのち」が引き継がれたのだという気持ちになる。「死んで行くいのち」が引き継がれたといえばいいのか。
 人は生まれて死んでいく。その「死んで行く」ということが「生きる」とぴったり重なる。
 --そういう世界(哲学?)へと誘い込むことばが、この四行に結晶している。
 でも、こんなふうに簡単に言いきってはいけないなあ。つづきは、あした書こう。(書くつもり。)



蛾を吐く―詩集
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中井久夫訳カヴァフィスを読む(168)(未刊15)

2014-09-06 08:15:29 | カヴァフィスを読む
中井久夫訳カヴァフィスを読む(168)(未刊15)   2014年09月05日(土曜日)

 「ギリシャより帰郷する」にはギリシャ人ではない人々の「声」が書かれている。カヴァフィスにはほんとうに色々なひとの声が聞こえたのだ。

ヘルミッポスよ、もう近い。
船長も言ってた、まあ明後日だ。
すでに故郷の海よ。
わしらの国々の水域。キプロス、シリア、エジプト。
馴染みの水よ、愛する海よ、だ。

 「わしらの国々の水域」は、どこからはじまっているのだろう。岸が見えるときか。そうではない。「すでに」というのは故郷が近づいてきた、というより、もっと昔のことをさしているように思える。ギリシャを出港したとき、そのときから「すでに故郷の海」なのだろう。「故郷の海」をわたって「故郷」へ帰る。
 「馴染みの水」とはそれを知り尽くしているという意味だが、それはいつも夢で通い慣れている海だからだろう。「愛する海」も、こころのなかで愛しつづけてきた海のことである。

馴染みの水よ、愛する海よ、だ。

 この行の最後の「、だ。」は、「馴染みの水よ、愛する海よ」ということばが、何度も何度も繰り返されてきたことを語っている。ほら、いつも言っていた「馴染みの水よ、愛する海よ、--それだよ。」の「それだよ」ということばの短縮形が「、だ。」なのだ。念押しの「だ」。「だ」の直前の読点「、」が念押しを強調している。
 そこには共有された時間と行動がある。長い間、夢みつづけてきたのだ。この帰郷を。この海を渡ることを。
 この「長い時間」と、後半の、「外見を繕う」王様たちの次の部分の「時間」が交錯する。

ペルシャのお国ぶりが隠せないじゃないか。
隠そうとしてバカ殿どもが
使うその時間の長さ!

 王がそうなら、(バカ殿とあざわらってはいるが……)、市民もまた「これみよがしのギリシャふう」を装い生きていただろう。そのために「長い時間」をつかってきただろう。外見を取り繕ったその「長い時間」の内部で、その長さと同じだけ「帰郷」を夢みた。故郷の海を夢みた。そうやって夢みてきた海--それだ! そう叫ぶときの「、だ。」がこの詩に、口語そのままに書かれている。


リッツォス詩選集――附:谷内修三「中井久夫の訳詩を読む」
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北川透『現代詩論集成1』(5)

2014-09-05 10:58:07 | 北川透『現代詩論集成1』
北川透『現代詩論集成1』(5)(思潮社、2014年09月05日発行)

 Ⅱ「荒地」論 戦後詩の生成と変容
 四 《伝統の欠如》について

 私が書き綴っていることは、北川が書いている問題点とすれ違っているのだが、これは私が「わざと」そうしているのである。北川の書いている「意味」よりも、ことばを動かしいる「肉体」というか、そこに書かれている「ことばの肉体」の方に私の関心があるからだ。
 「《伝統の欠如》について」ということであれば、「文明批評的な性格」に書かれていた「この日本は何かというまなざしがみごとなほどに欠けている」で充分指摘されていると思う。「文明批評的な性格」での「この日本」とは戦時中の政治体制を指し、「伝統」とは別という見方もあるかもしれないが、どんな状況も「過去」から切り離されて存在するわけではないから、「現在(当時の現在、その周辺の時間)」へのまなざしの欠如は、どうしたって「伝統の欠如」につながる。「伝統の欠如」があるから「現在へのまなざしの欠如」というものが生まれる。もちちん、このときの「現在へのまなざしの欠如」というのは「現在のすべて」という意味ではなく「現在の何かの要素」へのまなざしの欠如なのだけれど……。
 でも、いま私が書いたように、ことばを広げてしまうと、何も語っていないことになってしまう。ただ語るために語ることばのようになってしまうが。

 今回読んだ部分のなかから私が注目した部分を抜き書きすると。

わたしは<意味>と<像>を機械的に二分しているのではなく、論理的に区別しているにすぎない。( 110ページ)

 これは三浦健治「鮎川信夫とその礼讃者たち」への反論として書かれたものだが、ここに書かれている「論理的」という表現が北川の「思想(肉体)」をとてもよくあらわしていると思う。
 北川が「論理」というとき問題とするのは、その「論理」がどれだけの射程を持っているか。その「論理」をどこまで動かして行ける。動かしていったとき矛盾は起きないか、ということに尽きると思う。
 それはこれまでに読んできた例でいうと、上手宰への「ハイエナ」への反論によくあらわれている。
 黒田三郎に対して批判をする人間を、屍肉に群がる「ハイエナ」と呼ぶとき、黒田三郎は屍肉になってしまう。黒田三郎をおとしめているのは上手宰の方である。--こういう「論理」の運動が北川の「肉体(思想)」である。その人がつかっていることば(論理)をそのひとの「文章」のなかで動かして、そこで明確になる問題点を指摘する。
 北川が問題にするのは、あくまで「論理」の運動なのである。
 ちょっと長くなるので、端折ってしまうが、三浦が大岡信の書いた鮎川信夫批判を利用していることについての北川の指摘が、上手宰に対する批判と重なり合う部分を引用してみる。

 三浦健治という人は、実に楽天的であって、自らは政治的主題そのものを表現するための《文学的功利節》に立ちながら、それの批判を自明にしている大岡信の文章が、ただ、鮎川批判をしているというその一点で、なにやら百万の味方を得たように勢いづいているのである。自分がそれに依拠しようとすればするほど、その依拠している論理によって否定されているということなど夢にも思わないらしい。

  「自分がそれに依拠しようとすればするほど、その依拠している論理によって否定されている」の「論理」ということばのつかい方。これが、北川の「論理」の本質である。「論理」は動かしてみて確かめる。それが北川の「思想(肉体)」である。
 大岡信の論理を、三浦のなかで動かしたとき、それは三浦批判として動く。大岡は三浦の書いているようなことを批判しているということに気付かずに、大岡が鮎川信夫を批判しているというだけで、それを利用している。



 あまりにも「伝統」とは離れすぎたことを書いてしまったか。
 今回の文章で北川が言いたいのは(私は、ここが北川の主張のポイントだと思ったのは)、 120ページである。

《伝統の欠如》という認識に、いくらかでも根拠があるとすれば、鮎川が<未来>という概念を、どういう文脈で定立しているかは、もう少し検討してもよいと思う。そうすると、引用しながら大岡が触れていない箇所に、《未来は世界の過去に含まれる》ということばがあることに気がつくはずである。(略)西欧的伝統にも、日本的伝統そのものにも、即自的に依拠することはできないが、世界のなかで激しく変化している現代日本そのものの拠り所は求めざるをえない、永続的価値(伝統)を、その《現代に生きるわれわれ自身の中》から見出すために、ダンテやシェークスピアを知ることが必要だし、世阿弥や芭蕉に学ぶことが必要だという論理である。わたしなりに言いなおせば、《伝統の欠如》を媒介にしながら、世界のなかから<持続的価値>を含む文化的遺産を求め、それに新たな価値の源泉にしようという態度であろう。

 「持続的価値」と「伝統」をどこで区別するか、かなり難しい問題を含んでいると思うが、そういうこととは別にして、ここでも「ダンテやシェークスピアを知ることが必要だし、世阿弥や芭蕉に学ぶことが必要だという論理である」という具合に「論理」ということばが使われていることに、私は注目した。「論理」の運動に整合性はあるかどうか、北川は誰に対しても、そのことを見ている。

北川透 現代詩論集成1 鮎川信夫と「荒地」の世界
北川透
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小柳玲子「『どんぐり』転々」

2014-09-05 09:38:53 | 詩(雑誌・同人誌)
小柳玲子「『どんぐり』転々」(「きょうは詩人」28、2014年08月24日発行)

 小柳玲子「『どんぐり』転々」は、林嗣夫のエッセイ集からはじまり、寺田寅彦の『どんぐり』を経て、敗戦の年、「どんぐりを食べ腹痛でひっくり返っている若者を見た日があった」という具合に変化していくのだが、その後半。

お巡りさんや子どもたちが取り囲んでいたが どうにもならない
母が「持って行っておやり」という蒸しパンを神社に持っていった
うどん粉とふくらし粉を混ぜ合わせて蒸した いまでは犬だって
食べないような手製のパンだったが (行き倒れ)は 食べ終わると
元気になっていた 空腹の腹痛だったらしい
「どんぐり」で母を思い出したのだろうか
昨日は夢の中を母が歩いていた
蒸しパンを作っていた頃の若い母だ
あまりに年老いてしまった私が母には分からないらしく
すいすいとすれ違って行ってしまった
まあそんなものでしょうと思っていたので 振り向いても見なかったが
ちょっと残念だったかな
母の十三回忌が近い
私の生涯で誰より長い年月を一緒に暮らした人だ
「団栗」
これなんて読むんだっけ
なんて わざとらしいこと聞いてみても悪くはなかったのに

 「「どんぐり」で母を思い出したのだろうか」からあと、ことばがすーっと動いていく。そのリズムがとてもいい。前半にいろいろ書いてあったのだが、忘れてしまって、夢ですれ違った母と小柳の関係を、まるできのうあったことを思い出すみたいに思い出している。
 思い出すというより、想像している、と言いなおすべきなのかもしれないが。
 この「思い出す/想像する」ときの、不思議な感じがいい。

あまりに年老いてしまった私が母には分からないらしく

 小柳は若いときの母も年をとってからの母も知っている。けれど、「若い母」は年取った小柳を知らない。これは小柳の完全な「想像」だが(「らしく」ということばが「想像」であることを告げている)、もしかすると年取った母が、年を取った小柳を見て「あなたは、だれ」というようなことがあったのかもしれない。いわゆる認知症。母が覚えているのは幼いときの小柳だけ。年を取った小柳を小柳と認識できない。
 それは悲しいことだけれど、「まあそんなものでしょう」という気持ちになれるくらいに、それから年月が過ぎている。(十三回忌を迎えるまでの年月が過ぎ去っている。)
 あるいは、小柳の母は自分のことに集中すると、まわりを見落とすということがある性格だったのかもしれない。道で出合ったとき、幼い小柳は母を見ているが、母は気がつかずにそばを通りすぎるというようなことがあったのかもしれない。みんなとは違う何か別の世界を見ているということがあったのかもしれない。
 蒸しパンをつくったときも、幼い小柳にはなぜそうしているのか分からなかったけれど、小柳の話を聞いただけで行き倒れの若者が空腹であることを見抜いたのだろう。空腹さえおさまれば腹痛はなおるということがわかっていた。同じ腹痛を母は体験してきているのかもしれない。母の肉体はそのことを覚えていて、どうすればいいかがわかったのだ。ふつうの人が見えないものを瞬間的に見て、それに向かって行動するというようなところに母の特徴があったのかもしれない。
 ひとは誰でも、たとえ母と子どもであっても、見ているものが違う。見えている世界が違う。違いをかかえながら一緒に生きている。そういうことが「自然なあり方」であることが、いま、そうゆう光景がゆったりした感じで小柳のこころのなかに広がっているのかもしれない。

「団栗」
これなんて読むんだっけ
なんて わざとらしいこと聞いてみても悪くはなかったのに

 この「わざと」がいい。知っている。知っていても、聞いてみる。「声」が聞きたいのだ。これは、「おかあさん、私のこと好き?」と聞くのに似ている。そんなことは、わかっている。わかっていても聞きたい。言ってもらいたい。いや、わかっているからこそ、聞きたいのかもしれない。「もちろん大好きよ」「よかった、私もおかあさんがいちばん好き」。そう言うことで、「こころ」が「一緒」ということを実感したい。

私の生涯で誰より長い年月を一緒に暮らした人だ

 は別なことばで言えば、誰よりも長い年月を「一緒のこころ/同じこころ」で生きてきた人だということになる。「暮らし」が「一緒」は「こころ」が「一緒」ということなのだ。
 年を取って(小柳だろうか、母だろうか)、誰が誰であるか「分からない」。けれども「こころ」はいつでも「一緒」にいる。「頭」には分からなくても「こころ」にはわかる。そういうことも感じさせる。




さんま夕焼け―詩集
小柳玲子
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中井久夫訳カヴァフィスを読む(167)(未刊14)

2014-09-05 06:00:00 | カヴァフィスを読む
中井久夫訳カヴァフィスを読む(167)(未刊14)   

 「だから」は男色の詩。

このエロ写真が街頭で売っていたぞ、
こっそりと(警察の眼を盗んでな)。
本番の写真じゃないか。
なのにどうして夢のように美しい顔が登場するのか。
きみがなぜこの写真の中に入っているのか。

 ふいに知ってしまった恋人の現実。それをとがめているのだが、「口調」がそれほど厳しい感じがしない。

きみのこころはいかにも安ぴか。ほかに考えようはない。
だが、とまれこうまれ、いやこれ以下でも、
私のきみは夢の美のかんばせ、
ギリシャ的快楽のために造られ、捧げられた姿。
私にとってのきみは永遠にそうだよ。
私の詩がきみを歌うのもそれだからだよ。

 カヴァフィスは「きみ」のすべてを許してしまっている。
 「私のきみは」の「私の」ということばが強い。所有形というよりも、「私」が「きみ」になってしまっている。美しいのは「きみのかんばせ」だが、それはカヴァフィスが「美しい」というから「美しい」のである。一連目で「顔」と言っていたが、この2連目では「かんばせ」にかわっている。カヴァフィスは現実の「顔」を見ているのではなく、「文学」(古典/古語)のなかで見てきた「かんばせ」を見ている。だからこそ、「きみの」の前に「私の」がつく。「私のかんばせ」なのである。
 それはいま書いたことと重複するが、「ギリシャ的」である。「伝統的」「古典的」でもをる。「文学」のために造られた「かんばせ」なのだ。「文学/古典」であるから、それは「永遠」でもある。
 「きみ」は何よりも「ことば(文学)」の中にいる。
 だから、(と、ここでタイトルが出て来る)、だから、私の詩がきみをうたうのだが、カヴァフィスはこれを倒置法をつかって、

私の詩がきみを歌うのもそれだからだよ。

 という。「だから」ということばの方を強調している。
 そして、「きみのかんばせ」が「私の」ものであるように、「私の詩のきみ」こそ、「きみのもの」だよ、とカヴァフィスは言うのである。
リッツォス詩選集――附:谷内修三「中井久夫の訳詩を読む」
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北川透『現代詩論集成1』(4)

2014-09-04 11:35:51 | 北川透『現代詩論集成1』
北川透『現代詩論集成1』(4)(思潮社、2014年09月05日発行)

 Ⅱ「荒地」論 戦後詩の生成と変容
 三 <民衆>とは誰のことか

 黒田三郎の「民衆と詩人」をめぐって書かれている。北川は、

彼の<民衆>概念は、結局のところ被害者意識的な<市民>観念に、奇妙な固着を示していったように思える。(91ページ)

 と書いている。

 ここの文章では、北川と、鮎川信夫、竹内好、大岡信の「民衆」の発言をていねいに紹介している。「民衆」という概念を検討するとき、その「細分化(?)」を他人に任せている。北川ひとりで検討するよりも、多数の他者の視点を取り込んだ方が、「概念」にひろがりが出る。概念を広げた上で、それでもつかみきれない部分、つかみ落とした部分へと北川は進んで行く。北川の意見をつけ加えてるという形で。
 そうした作業のなかで、私がとても気に入っているのが、大岡の文について書いているところ。「戦後史概観 Ⅰ「俗」ということ」を紹介した上で、

 ここで《ルネサンスの市民階級》などを持ち出すのは、ちょっと場違いだと思うけれど、ともかく、<俗>ということばのもつアイロニーや、《俗な生活者の健康な批判力》を、大岡信は思い切った肯定の文脈のなかで、戦後詩(史)のなかに位置づけようとしたのである。ところでわたしは、大岡がもっぱら<俗>ということばの含意に感心しているのを、おもしろいと思う。彼は黒田の「詩人と権力」を十五年後に読み返し、<俗>ということばの概念の豊かさに眼を洗われたとして、前に読んだときには、そのことにほとんど気付かなかった、という趣旨の感想を洩らしているのだ。(98-99ページ)

 と北川書いている。
 この文章は「これはどういうことなのだろう」とつづき、そのあと北川の鋭い時代分析がつづくのだけれど、それを紹介する前に。
 私は、「大岡がもっぱら<俗>ということばの含意に感心しているのを、おもしろいと思う。」というところに北川の「肉体」を見たように感じた。
 北川には北川の考えがある。けれど、その考えだけでは、ことばは堂々巡りになる。だから、ほかのひとの文章(ことば)を読み、考えを押し進めるヒントにする。そのとき、重要なのは「おもしろい」と思えるかどうかである。おもしろいと思って、誘い込まれる。そして、ことばが動きだす。そのことばは、大岡のことばを突き破って動く。突き破りながら、というか、突き破るからこそ、そこに大岡の見たかもしれないものが北川のことばの射程として開けてくる。
 鮎川のことばも竹内のことばも北川には「おもしろい」からこそ、引用し、北川自身のことばも付け加えるのだが、「おもしろい」と思わず書いてしまったときの方が、ことばが動いている。
 もう、ことばは止まれない。
 
 ここには、「詩人と権力」固有の問題と同時に、大岡の立っている戦後二十年の位相があるだろう。すなわち《俗な市民》が、本当に社会的な実体として姿をあらわしたのは、わが国戦後資本制が、高度成長期を体験した六〇年代に入ってからであり、しかも、彼がそれを強い肯定の文脈で押し出すことができたのは、おそらく六〇年安保を機にして、戦後的な理念が崩壊したからである。人民でも、庶民でも、ましてやプロレタリアートではなく、自らを<中流>と自認し、幻想する大衆が、社会的な多数派(意識)において出現したのだ。もとより、大岡がそれを肯定するには、《俗な市民》自らが批判的であるという前提がともなっていた。そして、そのように充分に肯定的であると同時に、自己批判的であるという《俗な市民》は、みずからがそれを生きているという体感の裏付けが鳴ければ負荷の打てあろう。そこにもはや戦後とは呼べないような、戦後社会の牢固として爛熟を見据えねばなるまい。(99ページ)

 大岡の文章が書いていない時代状況を書き加えることで、北川は大岡のことばの射程を拡大する。その、時代の描き方に北川が色濃く出ている。
 大岡の文章を引用しなくても、北川はそういう状況分析ができただろうけれど、大岡を踏まえることで、ことばの動きが加速している。そういう「勢い」を感じる。
 私は「論理」よりも、こういう「勢い」の方を、なんといえばいいのか……信頼してしまう。あ、そうか、北川はことばを常に「時代」といっしょにつかみ取ろうとしている。ことばをつかみとることは「時代」をつかみとることだと考えているのだな、と「わかる」。この「わかる」は「誤読する」という「意味」になるかもしれないが。



 ところで、私は「民衆」ということばには、どうにもなじめない。つかう気持ちになれない。
 北川は「民衆とは既成化し、制度化した共通感覚の橋を架けられた存在である」(102 ページ)と書いている。その「共通感覚」が、私には欠けている。
 別な言い方をした方がいいのかもしれない。
 私は田舎で育ってきた。周りは農家ばかりである。そこには「民衆」ということばが暗黙のうちに向き合っている「少数の官(僚)」というものがいなかった。いても、せいぜいが学校の先生(校長先生)くらいである。政治的な何事かはもちろん動いているのだろうけれど、実感として「江戸時代」のままである。子どもだから、そういうものが見えなかったのかもしれないが、両親の態度をみていても「官」のやることなんか、知ったことではない。どうせ、「官」はかってに自分たちが楽しているだけ。かかわりになるまい、という感じくらいしか伝わってこなかった。
 さらに「衆」の感覚が、私にはどうもわからない。私はいつでも「ひとり」としか向き合えない。せいぜいが数人で、それを超えると「いっしょ」という感じがしない。「民衆」って、いったい何人から? もし、たとえば私の暮らした田舎に「官」がやってきて、だれかと話す。そのとき、そのひとは「ひとり」でも「民衆」?

 <民衆>とは誰のことか--この問いの「民衆」ということば自体が私にはなじめないので、こんな感想になった。

北川透 現代詩論集成1 鮎川信夫と「荒地」の世界
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塩嵜緑『魚がきている』

2014-09-04 09:31:59 | 詩集
塩嵜緑『魚がきている』(ふらんす堂、2014年05月18日発行)

 塩嵜緑『魚がきている』の詩は、ことばのリズムがとてもいい。自然に耳に聴こえてくる。耳をすまさなくても、音がくっきり聞こえる。
 「聖堂」の全行。

季節は突然変わるものだと
風が教えてくれる

公演ではアブラゼミとツクツクボウシと蜩が
交互に鳴いていて
ごちゃまぜだと呟きながら私は宙を見上げる

ファーブル昆虫記には
蝉の腹の構造は教会に喩えられる
南フランスでは
鳴いて一生を終える者たちは
その生命力から幸せを招くとして大切にされている

力を尽くして鳴いていた油蝉の声が
中空に突然鳴り止んだ

 この詩では3連目、「ファーブル……」が特に美しい。
 なぜかな、と私は何度も読み返してみた。そして、気づいたのは、ここには塩嵜の主張がないからだとわかった。
 これは、しかし、変だね。
 詩は、その詩人の声に引きつけられて、あ、これはいいなあ、と思うものなのに、私はここに塩嵜の声がないと気づき、それがこの連の美しさである、いいところであると言おうとしているのだから。
 塩嵜の声ではないのに、なぜ、3連目が魅力的か。
 ここには塩嵜の声のかわりに、塩嵜の「耳」が書かれている。聞いたこと(読んだことかもしれないが)を、正確にそのまま自分の声に乗せて言いなおす。自分を主張するのではなく、他人を主張する。塩嵜が寄り添った他人(ファーブル)を信じて、その声をそっくり引き継いでいる。
 自分を空っぽにして、無垢のまま、そこにいる。
 他人(ファーブル)が言ったことを、間違えないように、正確に言おうとしている。そのために、ことばの何度も繰り返して声にしたのだろう。その繰り返しが鍛え上げる自然なリズムがここにある。
 これはいいなあ。
 この「他人を信じる」の「他人」を「神」に置き換えると、「聖堂」というタイトルもおもしろい。「聖堂」にいて、「神」に身を任せて、「神」から聞こえる声をただ反芻する。間違わないように、何度も何度も繰り返して覚える。その繰り返しがつくりあげることばのリズムがある。
 私は「神」というものを信じているわけではないのだけれど、そう思った。

 「山歩き」も、とてもおもしろい。塩嵜は男といっしょに山登りをしている。男が山登りを導いてくれる。

振り返り 振り返りして
山肌にはりついた白い石を順に指さして
足を置けと言う

山男の足は
鍵盤の指遣いのように巧く石に乗る

私は腰が定まらないから
すぐに疲れるが
相変わらず ここにと指示が出る

山の片面を登っていくうちに
前を行く男の足の動きが読めるようになった
男が振り返らなくなった

 この「男」を「神」、「足」を「ことば」と言いかえるなら、「聖堂」のファーブルの部分の美しさと同じものがここにあることがわかる。塩嵜は「自己主張」(自分の声)で語ること、自分の足で山を登ることをやめ、男の足そのものになる。繰り返し、繰り返し、男の足になろうとして、そのリズムが自分のものになる。自分の「肉体」のなかで自然に動くものになる。
 そうすると、男の足の動きが読めるようになる。
 この「読める」はなんだろう。
 「目」で読むのか。あるいは「耳」で指示を聞きとるのか。
 違うね。
 塩嵜の「肉体」のどことはいえない部分、体の内部で、リズムが男の足のリズムをつかみ取る。リズムを聞き、それに合わせると書けば「耳」になるし、リズムがつくりだす筋肉の動きが見えると書けば「目」が「読む」ということにもなる。
 これは、いい感じだねえ。
 「一体感」がある。塩嵜のことばは「一体感」とともにあることばなのだ。「他人」を正直に、そのまま自分のなかに受け入れ、その動きによって自分をととのえ直す--そのときに生まれる「一体感」。
 これは、うれしい。
 だから、

山歩きのお礼です
花の名を教えましょう
ほら ここに咲いているのが螢袋

山男はほおと言い
ここと指さしはしなくなったが
速度は
私にあわせてくれているのがわかった

 塩嵜は男に花の名前を教える。自分の声をつたえる。自己主張する。男は「ほお」と感心して、それからまた歩きだす。そのとき塩嵜は、自分が男と「一体」になっているだけではなく、男の方も塩嵜と「一体」になるよう、速度をあわせてくれていることに気がつく。
 互いに「自己主張」しない。自己主張しなくても、ひとは生きて行ける。しかも、だれかといっしょに生きて行ける。この発見は美しいなあ。


魚がきている―塩嵜緑詩集
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中井久夫訳カヴァフィスを読む(166)(未刊13)

2014-09-04 06:00:00 | カヴァフィスを読む
中井久夫訳カヴァフィスを読む(166)(未刊13)   2014年09月03日(水曜日)

 「後は冥府で亡霊に語ろう」はソフォクレス『アイアコス』にある、アイアコス自殺前の最後のことば--と中井久夫は注釈に書いている。それを読んだ奉行は「まったくな」と感心して、ことばをつづける。

この世で心に鍵を掛け、不寝番みたいに
来る日も来る日も守ってきた秘密や心の傷を
あの世じゃ自由に打ち明け話せるわな」

 感心して、こころがゆるんだ感じが「まったくな」とか「話せるわな」という口語の響きのなかに広がる。そのなかで、思わず自分にも「心に鍵を掛け、不寝番みたいに/来る日も来る日も守ってきた秘密や心の傷」もあるという「告白」のようなものを語ってしまう。
 これに対して、ソフィストがからかう。

「お忘れじゃありませんか」とソフィストは言って、うっそり笑った。
「亡霊が冥府でそんなことを語るとしてもですな、
連中がまだそういうことに悩んでいたらの話ですぜ」

 ここでも「ですな」「ですぜ」という口語がいきいきと動いている。「口語」によって、「肉体」が奉行に近づいてく。いや、奉行の「肉体」のなかへ入り込み、その内部を攪乱する。
 ソフィストの語り口は、何か新しいことを言うのではない。「論理」を動かして見せるだけである。一種の「詭弁」である。奉行が思わず「告白」してしまう正直さをもっているのに対し、ソフィストは自分というものを語らない。ただ、動かして見せる。
 「亡霊」が生きていたときと同じことに悩んでいるというのは、死後、あり得るのか。死んでしまったら、生きていたときのことなど忘れてしまうのではないのか。
 ここには何か不思議な、皮肉の笑いがある。不思議な笑い--と書いてしまうのは、この笑いが「奉行」に対するものだけではなく、なぜか、ソフィストの論理そのものを笑っているように感じられるからである。ソフィストはそんなことを信じて言っているのではなく、ただ論理を弄んでそう言っている。ソフィストなんて、そういうものなのだと笑っている。
 この笑いはカヴァフィスにはとても珍しい。


リッツォス詩選集――附:谷内修三「中井久夫の訳詩を読む」
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北川透『現代詩論集成1』(3)

2014-09-03 08:54:00 | 北川透『現代詩論集成1』
北川透『現代詩論集成1』(3)(思潮社、2014年09月05日発行)

 Ⅱ「荒地」論 戦後詩の生成と変容
 二 「荒地」の文明批評的な性格をめぐって

 北川は「荒地」の理念化を「詩の文明批評論的主張」と定義している。(74ページ)。そのうえで鮎川信夫の「Xへの献辞」を取り上げ、書いている。

ここには、「荒地」の詩人たちの多くを戦場に拉致せしめ、また、同時代の親しい者たちを死に至らしめ、国土を荒廃せしめた、この日本とは何かというまなざしがみごとなほど欠けていたのである。(82ページ)

 ここに、私はいちばん衝撃を受けた。
 北川の書いていることとは直接関係がないのだけれど、「荒地」の詩人のことばを読んで私が感じたのはことばが「日本くさくない」ということだった。このとき私が「日本くさい」と感じていたのは、たとえば三好達治や島崎藤村などの詩人のことばのリズムのことである。そういうものからは遠い。翻訳っぽい。しかも、それは「理屈」っぽい、いいかえると「精神」っぽい。「知的」という言い方もできるかもしれない。--これは、私が「荒地」を読んだ20代の初めの頃の印象である。
 で、そのことと、北川の次の指摘が、私の中では不思議に交差する。

(レトリックのレベルの問題)それに限って見るなら、この<滅び><絶望><疲労><汚辱><黄昏><死の滴り><腸><黒い蝙蝠傘><死滅>というような語彙が、「荒地」の修辞的共同性を形づくっていたことは明らかだろう。それらに更に<屈辱><残酷><墓地><孤独><灰塵><飢餓><不眠><文明>というような語をつけ加えてもよい。それらの特色を一言でいえば、あの《破滅的要素に浸れ、それが唯一の道である》というスペンダーのことばの実感となろうか。(84ページ)

 詩は「意味」(理念)ではなく、まず、そこにあることばが呼び起こす何か、ことばの喚起力から生まれてくる。
 ひらがなではなく、リズムのよい(歯切れのよい)漢字が次々に呼び掛け合うようにしてイメージを広げていく。それに私はひかれた。そして、そのいままで見たことのない漢語の運動を知的・精神的と感じた。
 そのとき私は北川の書いている「意味」とは違うのだけれど、「この日本とは何か」ということをすっかり忘れていた。そんなことなど考えなかった。「この日本とは何か」ということを考えない部分で、私は「荒地」と「表層的」に出合っていた。
 そんなことを思い出した。
 このとき、私は、北川が指摘していることとはズレるのだけれど、「この日本とは何かというまなざし」(いま、ここ、あるいはいまここを支える過去をみつめること)を完全に忘れていた。
 言い換えると。
 「荒地」の詩人たちが欠く過激なことば、そのことばの組み合わせを私は知らなかった。また、こんな過激なことばが現実にひしめいている、とも知らなかった。びっくりしながら、私は、この過激なことばの奔流をみつめることが「現代」をみつめること、現代を考えること、瞬時に思い込んでしまった。
 私は「詩学」に投稿することから詩を書きはじめたのだが、最初に投稿した作品に、飯島耕一は「トンボもセミもいる詩だね」云々といった。私は実際にトンボもセミもいる田舎にいて詩を書いていたので、仰天してしまった。そうか、そういうものは「現代詩」ではなくて、「荒地」のように書かないと「現代詩」ではないのだな、と思った。
 自分のいる「暮らし」をみつめることを忘れ、過激な漢字熟語の向こう側に「現代詩」があると、単純に信じ込んだ。

 「荒地」の「文明批評」という視点は、そのころの私にはとうてい思いもつかない視点で、ただ過激なことばのかっこよさに魅了されていた。「いま/ここ」を忘れて、「荒地」のことば見て、それを模倣していた。模倣というより、盗作していた。そして、ますます「この日本とは何かというまなざし」(いま、ここをみつめること)を忘れてしまうのだが、そういうことを誘発することばの力が詩なのだな、といまでも思う。
 自分の生活(世界)を確認するというよりも、自分の知らない世界を、まず「ことば」で見てしまう--それが詩なのだと思う。そういうことを教えてくれたのが、私にとっての「荒地」だったなあ、と思う。

 私の書いていることは、「北川透の批評」に対する批評でもなんでもない。北川透の批評をどういうものであると分析する(意味を理解する)というものでもない。ただ、北川透を読みながら、ふと浮かんできたことを書いている。
 書きつづけている内に、何か「批評」めいたことに辿り着くかもしれないが、私は、それをめざしていない。ただ、読んで、何を思ったか、何を思い出したか、そういうことだけをだらだらと書いてみたいと思っている。
北川透 現代詩論集成1 鮎川信夫と「荒地」の世界
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谷川俊太郎の『こころ』を読む
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中井久夫訳カヴァフィスを読む(165)(未刊12)

2014-09-03 06:00:00 | カヴァフィスを読む
中井久夫訳カヴァフィスを読む(165)(未刊12)   

 「愛の物語を聞けば」は、カヴァフィスが何よりもことばの世界を重視していたことがわかる。

きみよ、大いなる愛の物語を聞けば、すべからく審美家として感動せよ。
これだけは忘れるな、きみが気ままでずっと幸せだったのは、
きみの想像力がずいぶん創り出してくれたおかげなのだ。

 「愛の物語を聞けば」の「聞く」という動詞。「聞く」のは「他人の愛の物語」である。自分で体験するのではなく、間接的に体験する。ことばをとおして。
 このとき、カヴァフィスが「読む」ではなく「聞く」ということばをつかっているのは、詩人が「音(声)」こそがことばだと感じていた証拠になるだろう。「音(声)」は聞いた先から消えていく。それを消えないようにするには、自分の「肉体」で反復するしかない。耳と口をつかって、ことばを動かす。「声」に出す。実際に他人に聞こえるように言わなくても、自分に聞こえるように「肉体」のなかで「声」を出す。
 「肉体」のなかでひびく「声」。これは「想像力」と呼ばれるものかもしれない。自分の「肉体」のなかで、ことばが「声」になってひびく。他人には聞こえないが、自分には聞こえる「声」。それが「想像力」の出発点である。
 カヴァフィスは、その「無音の声=想像力の声」をいちばんすばらしいものだと言う。次のように。

何よりもまずこれだ。あとはきみも人生の中で
けっこう楽しんだ経験に過ぎぬよ。

 「愛の物語」を構成することば、その「想像力の声=無音の声」を自分の「肉体」で「無音」のまま反復し、そこにあるリズムとメロディー、ハーモニーに感動するとき、「きみ」自身の「経験」が花が開くように開く。
 そして、カヴァフィスは、ちょっと残酷(?)なことも言う。

それほど大したものではなくて手頃な現実、
きみの味わった愛とさほど変わらぬ愛だよ。

 「物語」のなかの「愛」と、「きみ」が知っている「愛」とさほどかわらない。これは「大いなる愛の物語」にとっては残酷極まりないことばだが……。
 逆に言えば、「きみ」の「愛」も、ことば次第で「大いなる愛の物語」なるということでもある。ことばが「手頃な現実」をたった一つの全体的な「現実」、つまり詩に変える。そして、それを詩に変えるためには「審美眼」が必要である。審美家になって、ことばの細部をしっかりみつめる。強いことばで「愛」を語るとき、それは「大いなる」ものとして誕生する。
リッツォス詩選集――附:谷内修三「中井久夫の訳詩を読む」
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野村喜和夫「詩論のエートス、詩学のパトス」ほか

2014-09-03 01:19:54 | 詩(雑誌・同人誌)
野村喜和夫「詩論のエートス、詩学のパトス」ほか(「現代詩手帖」2014年09月号)

 野村喜和夫「詩論のエートス、詩学のパトス」は谷川俊太郎をめぐる五冊の本を対象として書かれた文章である。そこに、私の『谷川俊太郎の『こころ』を読む』も含まれているのだが、私は野村の文章の書き出しに驚いてしまった。

 詩論と詩学と、詩をめぐる言説にはこのふたつの区域がややあるように思う。

 これに似たことは、神山睦美が阿部嘉昭の『換喩詩学』について触れた「希望もなく死んだ人々に宛てられた希望の手紙とは何か」のなかにも書かれている。

詩の批評が詩学とか詩論といったものを内にはらんでいなければ成立しない

 えっ、そうなのか。
 私は、こういう考えがあることをまったく知らなかった。なぜ詩の批評はあんなにややこしいことばかり書いてあるのか、長い間疑問だったが、そうか「詩学」「詩論」をめざしていたのか。
 あ、でも「詩学」「詩論」って何?
 野村はていねいに書いてくれているのだが、私は覚えていない。つまり、身につかなかった。私の考えていることとあまりにかけ離れているので、読む先から忘れてしまった。覚えているのは「詩学」「詩論」のふたつがあるということだけだ。

 野村の文章で印象深かったのは四元康祐『谷川俊太郎学』について書かれた部分である。

井筒俊彦の言語哲学を援用しつつ、谷川俊太郎の詩の行為の核心を、「本来分節化が不可能なはずの絶対無文節(無分節?--谷内注)--それは同時に言語の母胎でもあるのだが--を言語化する」試みと捉えるあたりは、田原とともに、この国民詩人をはじめて世界文学的視野へと解き放つ意味深いページであるといえよう。

 むむむむ。井筒俊彦の言語哲学を援用しない形で「この国民詩人をはじめて世界文学的視野へと解き放つ」ことはできないのかなあ。谷川は「未生」ということばをよくつかっているけれど、その「未生」と「分節化以前」とは、どう違うのかなあ。
 どうも、よくわからない。
 谷川以外のだれそれの哲学を援用して語ることが「学」というものなのかな? 常にだれそれの哲学と比較しないことには「学」は成り立たないのかな?
 また井筒俊彦を援用することで谷川俊太郎のことばを「世界文学的視野へと解き放つ」というのは変じゃないかなあ。
 逆は、どうなんだろう、と私はすぐに思ってしまう。
 つまり、谷川の詩を援用して井筒俊彦の「言語哲学」を解説し、井筒の考えたことを発展させたときは、いったいどうなるのかな。谷川が井筒哲学を「世界的哲学視野へと解き放つ」ことになる? それとも井筒哲学を「日本的哲学視野へと解き放つ」? あるいは「日本的哲学視野へと収斂させる」?
 私はむしろ、近所のスーパーで話しているひとの会話、バスの中で話している女子中学生の会話を援用して谷川のことばの魅力に迫った方が、はるかに「哲学的」だと思うなあ。そしてはるかに「世界的視野」だと思うなあ。どこの外国の街のスーパーへ行っても、買い物をしている顔見知りは同じように話している。どこの外国の街の電車やバスにのっても人は同じように自分に密着したこと(思想)を話している。

 野村は私の文章を「低空飛行」と呼んでくれている。
 これは、うれしかったなあ。私は「高空飛行(?)」というようなものを考えたことはない。ただ歩きたい。だから「低空飛行」というのも、まだ飛んでいることになるのだから、反省しないといけないのだが。
 私はただ歩いて、深い溝に出合ったら、思い切って飛び越すか、あるいは時間がかかっても遠回りするかだな。近くに板があれば橋を造るかもしれないけれど、最初に渡るのは飛び越すよりも怖いな、きっと。



 神山睦美の書いていることにも、私は疑問をもった部分がある。(部分だけ取り上げるのは「論理」のねじまげになってしまうかな?)

「共苦(コンパッション)」や「利他行為」への感染ということが問題となるのは、思想が意味よりも価値を、欠くことのできないものとするからなのである。

「共苦(コンパッション)」や「利他行為」ということが、思想と表現にとって最重要課題となるのである。

 「思想」を神山がどう定義しているのかよくわからないが、私の考えでは「思想」というのは「みんなが幸せになれたらいいのになあ」という願い以上のものはない。そしてその「幸せ」というのは、苦しまずに手に入るものだったら、とってもうれしい。私はずぼらだから、そう考えてしまう。「共苦」がどういうことかわからないが、「苦」という文字を見ただけで近づきたくない感じがする。--いやな思想だと思う。
 「共楽」ならいいのになあ。
 私の見方では二十世紀最大の「思想家」はボーボワールである。なぜかというと、彼女の「女も幸せになりたい。女が差別されるのはおかしい」という「思想」だけが実現した思想だからである。マルクスの思想さえ実現できなかった。共有されなかった。しかし、「男女差別は間違っている」というボーボワールの思想は、世界中とは言わないが、世界のすみずみまで行き渡ろうとしている。
 思想は、だれもが話していることばにならないと思想とは呼べないのじゃないだろうか。
 「思想が意味よりも価値を、欠くことのできないものとするからなのである」という文を読んで、「意味」と「価値」の違いをわかるひとが何人いるだろうか。

 もっとふつうの日本語で書いてくれないかなあ、と頭の悪い私は思ってしまう。



 ところで、鼎談で池井昌樹が私の書き方を「徒手空拳」と言っているんだけれど、人を愛するとき、ひとは裸になるんじゃないのかな? それから性交するんじゃないかな? もし武装して性交したら、それは強姦。まあ、器具をつかってというのもあるだろうけれど、それは嗜好の問題。ふつうは、ただ裸になる。無防備になって、愛する。
 詩の批評をするとき(感想を書くとき)も、私は裸になって、ひとのことばと向き合いたい。それまで読んできたものは全部捨て去って、そこにあることばと向き合いたい。
 頼るものが何もないから、どこへ行くかわからない。そこへ進んでいるのがいいことなのか、悪いことなのか、わからない。でも、自分にとって「気持ちいい」かどうかは、わかるな。「気持ちいい」と思った方向へ、どんどん進んで、自分がどうなってもかまわない、ただ「このひと(このことば)」についていく覚悟をすることが愛なんだから、私は「徒手空拳」と言われても、それがあたりまえじゃないの? と思うだけである。
 といいながら。
 裸になるのは難しいね。裸になったつもりでも、どこかに「隠しているもの」が残るし、裸になるとき、その服を脱ぐ手つきには誰それの手つきが入り込む。つまり、裸も実は誰それの裸を真似しているだけという恐れがある。
 どこまで脱いでも、裸にはなれない。そうわかっていても、裸になるようにこころがけたいと私は思っている。
現代詩手帖 2014年 09月号 [雑誌]
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一方井亜稀『白日窓』

2014-09-02 09:34:06 | 詩集
一方井亜稀『白日窓』(思潮社、2014年07月25日発行)

 一方井亜稀『白日窓』の文体は、私の感覚ではなかなかつかみにくい。何かが見えそうで、何かが見えない。格子戸のすきまから世界を見ているような感じがする。でも、その見える/見えないが、なぜかおもしろい。
 この「見える/見えない」はどこから来るのだろうか。
 「失われた住居」の書き出し。

部屋には名前がついていた
ありとあらゆるところから
藻が生えている
空き地にひとつの草は生え
修復されない窓から
入り込む無数の線
花を捉える光が風に揺れ
のつなぎ目から
ほつれた
維管束の
はぐれた残像の
記憶と

 「のつなぎ目から」という1行の、切断と接続のちぐはぐさ(?)がおもしろい。一瞬の「空白」がある。「無呼吸」のような「間合い」がある。
 一方井は、ことばをつなぎながら、その「つなぎ目」を意識している。
 似た表現が「残花」にもある。

ぬかるんでゆく土壌の
影は疾うに掻き消され
指名されないものたちが
通過するのを見逃す朝の
のつなぎ目にほどけてゆく

 ここでは「の」が前の行と重複している。
 しかし、それは「学校文法」だから「重複」なのであって、一方井の文法(一方井語文法)では、重複ではないのだろう。
 末尾の「の」は何かと何かを結びつけるものではない。「ぬかるんでゆく土壌の」の「の」は「影は疾うに掻き消され」の「影」を結びつけて「土壌の影」という「名詞」になるわけではない。ことばは「ぬかるんでゆく土壌の」でいったん終わる。そこでひとつの「文」が終わる。そして、その文のもっているエネルギーが「影は疾うに掻き消され」という運動へと変化することを促している。それはエネルギー伝達の「接点」のようなものである。「接点」ががっちりかみあうと、前の行のエネルギーが次の行のなかを動くことでさらに強力になり、その次の行を突き動かす--そういう感じでことばが動いていっていると私には感じられる。
 「通過するのを見逃す朝の」もそうやって動こうとした。
 しかし、その1行のエネルギーの値が大きくなりすぎた。それがある値を超えると、ことばが暴走するというか、制御が乱れる。その瞬間に、それまでの「接点」だったものが、「切断点」にかわってしまうようなところがある。「接点」が「切断点」にかわるとき、それが「つなぎ目」として見えてくる。何のつなぎ目かというと、それまで書いてきた運動の、

そのつなぎ目

 「そのつなぎ目」から「そ」が取れてしまう。これは「そ」が先行することばのなかに飲み込まれているからである。
 前へ前へと進んでいたことばが、瞬間的に、「切断」を受け入れて、「切断」を振り返る。振り返るけれど、逆戻りをするのではなく、そこからまた前へ、まだ存在しない行へと動いていく。
 その「接続」。
 ここでも「そ」は取れてしまう。いや、すでに先行する行に取られてしまって「そ」は存在しないのだが、その存在しないはずの「そ」は、これからあらわれる行(ことば)のなかへ見えないまま飛び移ってしまう。
 「ある『そ』」と「ない『そ』」が、ほどかれていく、ほつれていく、というのはこういうことかなあと思って、私は読む。
 一方井のことばの動きが、あれっ、これはどういうことかな、と思ったときは、

のつなぎ目がほつれ(ほどかれ)

 という行を補って読むと、とても気持ちよく読むことができる。あ、ここで切断と接続がおこなわれているのだ。それを一方井はわかっているので省略しているのだ。「のつなぎ目がほつれ(ほどかれ)」というのは、一方井の「肉体(思想/世界との向き合い方)」そのものなのだ。

 そう「誤読」した上で言うのだが、一方井の「切断/接続」には、すこし物足りないところがある。そのとき「切断/接続」の近くにあらわれてくるものが、「はぐれた残像」(失われた住居)、「見逃す朝の」(残花)と「視覚」に重点がありすぎるように思える。
 一方井のことばは「視覚」が強すぎるように思える。
 こんなことは、好みの問題だから、どうすることもできないものなのだが、私はほかの感覚(聴覚や嗅覚、触覚)がからんでくると、もっと世界が豊かになるような感じがするので、余分なことながら書いてしまう。

 で、少し脱線して、その「視覚」のことに関係するのだが、「after 」のなかの「いつかの暗殺シーンを映したブラウン管も」という表現が、私には非常に気になった。「ブラウン管」? いま、そんなものがあるの? ことばが「いまの生活」とは違うところからあらわれてきていないか。
 ことばが、「過去」によりかかりすぎていないか。すでにあることばではなく、まだないことばを探すようにしたらいいのではないか、と思ってしまった。
 「white hole」の「flow」の次の部分。

まなざしだけが待望された。遺影である。その先に海があるということが筋書きの徹底的な根拠になった。そこに辿り着くために、穴を掘ることが黙認される。その際、穴を掘る手つきは静謐であることが求められたが、発掘なのか、埋葬なのかは厭わない。知らないまなざしへ身を晒すということが渇望される。

 これではまるで無声映画(サイレントムービー)ではないか。
 一方井は「字幕」の多い、サイレントムービーを「詩」として書いているような感じがするのである。
 その際、「のつなぎ目」はカメラからカメラへの切り換えということになるが、そこにことばがどっとあふれてくるのは、ちょっとつらい。
 あ、「感覚の意見」だらけの感想になってしまった。
 ことばがもっと少なければ、もっともっとおもしろいのに、と言うのは私の「願望」であって、一方井が書きたいこととは関係がないかもしれないが。

白日窓
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北川透『現代詩論集成1』(2)

2014-09-02 09:31:06 | 北川透『現代詩論集成1』
北川透『現代詩論集成1』(2)(思潮社、2014年09月05日発行)

一 政治的共同性を騙る者たち

 鮎川信夫と北川透が対談したときのことを書いている。「思想的な肉眼の成熟」(現代詩手帖、1980年04月号)。黒田三郎について語り合った部分がある。これに対して何人かのひとが北川(鮎川)批判をしている。それに答えているのが、この文章。
 
 上手宰が北川と鮎川を「屍肉に群がるハイエナの饗宴」と呼んだ。これに対して、北川は書いている。

鮎川信夫やわたしを薄汚い歯をむき出しにしたハイエナにしたら気持ちがいいだろうが、同時にそんな比喩を使ったら、黒田三郎を屍肉や腐肉にしてしまうことにこの男は気づきもしないのだ。彼は鮎川やわたしをはずかしめているだけでなく、黒田三郎をも汚しているのである。(67ページ)

 論理的だね。反論するとき(怒るとき)もなお論理を忘れないのが北川の文章の特徴かもしれない。
 たしかに北川と鮎川を「ハイエナ」という比喩で批判するとき、黒田三郎が「屍肉、腐肉」という比喩になってしまうというのは、おかしい。ほんとうに黒田三郎に対する尊敬の気持ちがあるなら、そういう比喩は生まれない。
 上手宰は、北川と鮎川を批判しようという気持ちが強すぎて、黒田に対する尊敬を忘れてしまったのだろう。
 おもしろいのは、北川のこのあとのことばの展開。
 怒っているとき、どんなに論理的(理性的)になろうとしても、怒りの方が論理を上回る。そうすると、どうなるか。論理が拡大され、ことばが暴走するというか、さらに先へと進んでゆく。(上手宰のことばも、そんなふうに読めないことはない。)
 北川の場合は、こんなふうである。

それにこの男は知らないらしいが、日本語では、たった二匹のハイエナに対して、《群がる》とか《饗宴》ということばは使わない。もし《群がる》とか《饗宴》ということばを使えば、詩人会議を含めて、黒田三郎について追悼文や発言を寄せたすべての人のイメージになってしまう。(67-68ページ)

 わっ、おもしろい、と私はうれしくなる。
 ここでも北川は「論理」を守り通す。「論理」を踏み外さない。「群がる」「饗宴」というのは複数(少なくとも、二人では足りない)の行為である。その「複数」を根拠にすると、「ハイエナ」は北川、鮎川以外のひとの比喩にもなる。
 これは、詭弁のたぐいかもしれない。
 でも、それがいい。
 上手宰は「日本語」の「意味」を間違えている、と指摘するだけではなく(「ハイエナ」の比喩は、上手宰が比喩のつかい方を間違えているのだが……)、その「間違ったつかい方」を拡大し、ことばの「射程」を広げることで、「間違い」をいっそう鮮明に指摘する。
 そうか、ことばというのは、そこに使われているときだけに限って「意味」を判断するのではなく、そのことばを、そのことばのベクトルにしたがって拡大して見せるとき、問題点がよりはっきりするのか。
 「論理」というのは、運動だから、その運動の延長線上をみなければならない。
 北川は、そう考えているのだと思う。
 そういう北川の「論理」の動きが見えるからおもしろい。
 この場合「ことばの意味(定義)」を厳密に押さえる、「群がる」「饗宴」は何人の人間に対して使うか、というような視点の置きかたは、北川が文献を取り上げるとき、その時代を特定する姿勢に通じる。それはどういう状況もとに生まれてきたことばなのか、それを明確にした上で、そのことばのもっている運動領域(可能性/射程)をさぐる。そして、論理を動かすこと(北川の想像力で、その論理を引き継ぐこと)で見えてくる運動領域(射程)で、問題になっていることばを評価する。

 北川の批評の姿勢の「根本」を見るような気がする。 

(この文章は、書いたものを間違えて削除したために書き直した。最初に書いたときのものよりも、どうしても「飛躍」が多くなっている。--言い訳にすぎないけれど、書いておく。)
北川透 現代詩論集成1 鮎川信夫と「荒地」の世界
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中井久夫訳カヴァフィスを読む(164)(未刊11)

2014-09-02 06:00:00 | カヴァフィスを読む
中井久夫訳カヴァフィスを読む(164)(未刊11)   2014年09月02日(火曜日)

 「人知れずこそ」は「不明瞭」な詩である。

現実の言動全部を集めても
かつての私の姿はうかがい知れぬ。
私の行動も生きかたもこれをゆがめる邪魔物があった。
ものを言おうとしかけたら邪魔物がよく口をふさいだ。
私のもっとも目だたぬ行動、
私のいっとうベールをかぶせた書き物、
--他に私をわかる手がかりはなかろう。

 「かつての私の姿」とはどんなものなのか、ここには書かれていない。何か言おうとしたら、何かが口をふさいだ。「邪魔物」とは「良識」かもしれない。「良識」に反することを「目だたぬ」ようにしてやってきた。しかし、「私」はことばを言わなかったが、ことばを書いた。「書き物」のなかに、「私」がベールをかけてきた(隠してきた)「私」がいる。
 男色とからめて読むと、男色とは知られないように行動してきた。しかし男色のことは詩のなかに書いてある。それが「私をわかる手がかり」になるだろう、ということか。
 しかし、ほんとうにベールがかけられているだろうか、カヴァフィスの詩には。そういうふうには思えない。むしろ、あからさま、むきだし、という感じがする。
 「口をふさぐ」と「書き物」の対比の方が私にはおもしろく感じられる。カヴァフィスは「声」に出して男色のことは言わない。「現実」のなかで、仲間ではない人間に対しては「声」をつかって男色のことは言わない。また、その世界でも「声」をつかってだれかを誘ったのではないかもしれない。「書き物」で、つまり「声」をつかわないことばで、自分の思いを伝えたのかもしれない。たとえば詩を書いて。
 そう思うと、カヴァフィスの「声(口調)」への執着、あるいは嗜好のようなもののきっかけが見えるような気がする。「声」に出したかった。でも出さなかった。そのかわり、「声」を聞きつづけた。「他人の声」のなかに「自分の声」を聞き、それを代弁させた。他人を(歴史を)書くふりをしながら、カヴァフィスは自分を語りつづけたと告白しているのかもしれない。

いや、私の真の姿など知る価値はない。
そんな関心努力にはおよばぬ。
後世、完全に近い社会に
私のそっくりさんが必ずあらわれて
自由奔放に行動する。

 その行動のなかで、カヴァフィスのことばはほんとうに解放される。カヴァフィスは自分のことばが、「他人」のなかで解放されて詩になることを知っていた。
リッツォス詩選集――附:谷内修三「中井久夫の訳詩を読む」
ヤニス・リッツォス
作品社
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