小川三郎「帰路」(「Down Beat」11、2017年12月30日発行)
小川三郎は、名前に癖がなさ過ぎて(?)、ちょっと見落としそうなところがある。作品もどういえばいいのか、「絢爛豪華」という感じがない。一見、癖がない、という感じで、どこから感想を書き始めようか私は悩んでしまう。
「帰路」は、こうはじまる。
これは地震とか大雨のあととかに報道されるニュースの一こまのよう。何か災害があったのだろう、と想像する。平凡なことばで語られているので、「これが詩?」と思ってしまう。詩は「新奇なことば」で書かれている、という思いが私の肉体の中に残っているから、そう思ってしまう。
二連目。
これは詩というより童話かな? 童話ならありそうな描写だ。昔の物語(昔話)にもあるかもしれない。岩が「空から」落ちてくる、というのは現実にはありえない、と私は思っている。
三連目。
おっ、と思う。
ここで、「感想を書いてみたいなあ」と思う。
岩の匂いを嗅ぐ、か。その匂いは近づくことで「わかる」匂いだ。「近づいて」が、そのことを語っている。匂いを嗅いで、それが鉄の匂いだと思う。どうして鉄の匂いだと思ったかというと「青臭い」からだ。この「青臭い」に小川の「肉体」が動いている。刃物を砥石で研いだあと、「青臭い」匂いがたしかにする。錆を落として、「生々しくなった」鉄、刃物の「生々しさ」の匂いだ。
小川は、刃物を研いだことがあるのかな? 私はいなかの百姓の子供なので、鎌なんかをとがされた。包丁も研いだことがある。そのときの、いわば「危険」ととなりあわせの「生々しい」匂いを思い出す。「青臭い」と「青」が混じり込むのは、刃物の「青光り」のせいかもしれない。
このあと、小川の詩は、また「展開」する。
小川は「青臭い」を「人間的」と言いなおしている。さらにその「人間的」を「子供」と言いなおしている。「大人」のにおいではないのだ。「青臭い」は。
未成熟な考えを「青臭い」というが、しかし、「子供」の「青臭い」は「未成熟」ではないだろうなあ。やはり、「生々しい」だろうなあ。「未成熟」以前なのだ。「未成熟」には「成熟」を感じさせるものがあって「未成熟」ということばになる。「未成熟」の「未」以前が「青臭い」なのだろう。
私は、そんなことを考える。
最終連は、また新しい展開である。
あ、そうか。何かを思い出すということは、こういうことなのかと思う。思い出すというよりも、思い出にのめりこまれていく、思い出の中に沈んでいくというのが思い出すということなのか。
岩から鉄の青臭い匂いがする。青臭い匂いは子供のころの友達の匂い。それを思い出すとき、小川は子供になっている。子供になって、その匂いを嗅いでいる。いま、小川は「子供の世界」にいる。
これを小川が「子供の世界」に入っていったということもできるし、「子供の世界」が小川を包み込んだということもできる。でも、それでは何かが「不十分」だ。だから、小川はそれを「めり込んでいった」と言う。
「青臭い」匂いの発見と同じように、この「めり込んでいった」(めり込む)という「動詞」が発見されているのだ。
「一緒に」ということばも大事だ。小川は「岩」とも「青臭い匂い」とも「友達」とも「一体」になっている。何かと「一緒」(一体)になることを「めり込む」と言うのだ。
これは三連目の「近づく」からはじまっている。小川の思想(肉体)のキーワードは「近づく」という動詞かもしれない。対象に「近づいて」「一緒になる」。そこから詩がはじまる。小川だけのことばが動く。
同じ号の「夏下」も不思議な詩だ。どこか「俳句」に通じる「太さ」がある。目新しいというよりも、「いつもそこにある」という感じの「強さ」がある。ことばに「嘘」とか「見え」とかがない。
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「詩はどこにあるか」12月の詩の批評を一冊にまとめました。
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目次
岡田ユアン『水天のうつろい』2 浦歌無子『夜ノ果ててのひらにのせ』6
石田瑞穂「Tha Long Way Home 」10 高見沢隆「あるリリシズム」16
時里二郎「母の骨を組む」22 福島直哉「森の駅」、矢沢宰「私はいつも思う」27
川口晴美「氷の夜」、杉本真維子「論争」33 小池昌代『野笑』37
小笠原鳥類「魚の歌」44 松尾真由美「まなざしと枠の交感」、朝吹亮二「空の鳥影」47
河津聖恵「月下美人(一)」53 ト・ジョンファン『満ち潮の時間』58
大倉元『噛む男』65 秋山基夫『文学史の人々』70
中原秀雪『モダニズムの遠景』76 高橋順子「あら」81
粕谷栄市「無名」、池井昌樹「謎」86 深町秋乃「であい」92
以倉紘平選詩集『駅に着くとサーラの木があった』97 徳弘康代『音をあたためる』107
荒川洋治「代表作」112 中村稔「三・一一を前に」117
新倉俊一「ウインターズ・テイル」122
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以下の本もオンデマンドで発売中です。
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2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
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小川三郎は、名前に癖がなさ過ぎて(?)、ちょっと見落としそうなところがある。作品もどういえばいいのか、「絢爛豪華」という感じがない。一見、癖がない、という感じで、どこから感想を書き始めようか私は悩んでしまう。
「帰路」は、こうはじまる。
道のまん中に
大きな岩が転がっていて
それ以上は進めなかった。
これは地震とか大雨のあととかに報道されるニュースの一こまのよう。何か災害があったのだろう、と想像する。平凡なことばで語られているので、「これが詩?」と思ってしまう。詩は「新奇なことば」で書かれている、という思いが私の肉体の中に残っているから、そう思ってしまう。
二連目。
岩は
空から落ちてきたに違いなかった
昨夜あたり
きっとどーんと落ちてきたのだ。
これは詩というより童話かな? 童話ならありそうな描写だ。昔の物語(昔話)にもあるかもしれない。岩が「空から」落ちてくる、というのは現実にはありえない、と私は思っている。
三連目。
岩に近づいて
匂いを嗅いでみる。
鉄の青臭い匂いがする。
おっ、と思う。
ここで、「感想を書いてみたいなあ」と思う。
岩の匂いを嗅ぐ、か。その匂いは近づくことで「わかる」匂いだ。「近づいて」が、そのことを語っている。匂いを嗅いで、それが鉄の匂いだと思う。どうして鉄の匂いだと思ったかというと「青臭い」からだ。この「青臭い」に小川の「肉体」が動いている。刃物を砥石で研いだあと、「青臭い」匂いがたしかにする。錆を落として、「生々しくなった」鉄、刃物の「生々しさ」の匂いだ。
小川は、刃物を研いだことがあるのかな? 私はいなかの百姓の子供なので、鎌なんかをとがされた。包丁も研いだことがある。そのときの、いわば「危険」ととなりあわせの「生々しい」匂いを思い出す。「青臭い」と「青」が混じり込むのは、刃物の「青光り」のせいかもしれない。
このあと、小川の詩は、また「展開」する。
とても人間的な匂いだ。
子供のころ
友達はみんな
こんな匂いをしていた。
小川は「青臭い」を「人間的」と言いなおしている。さらにその「人間的」を「子供」と言いなおしている。「大人」のにおいではないのだ。「青臭い」は。
未成熟な考えを「青臭い」というが、しかし、「子供」の「青臭い」は「未成熟」ではないだろうなあ。やはり、「生々しい」だろうなあ。「未成熟」以前なのだ。「未成熟」には「成熟」を感じさせるものがあって「未成熟」ということばになる。「未成熟」の「未」以前が「青臭い」なのだろう。
私は、そんなことを考える。
最終連は、また新しい展開である。
私と岩は
一緒にゆっくりと地面にめり込んでいった。
あ、そうか。何かを思い出すということは、こういうことなのかと思う。思い出すというよりも、思い出にのめりこまれていく、思い出の中に沈んでいくというのが思い出すということなのか。
岩から鉄の青臭い匂いがする。青臭い匂いは子供のころの友達の匂い。それを思い出すとき、小川は子供になっている。子供になって、その匂いを嗅いでいる。いま、小川は「子供の世界」にいる。
これを小川が「子供の世界」に入っていったということもできるし、「子供の世界」が小川を包み込んだということもできる。でも、それでは何かが「不十分」だ。だから、小川はそれを「めり込んでいった」と言う。
「青臭い」匂いの発見と同じように、この「めり込んでいった」(めり込む)という「動詞」が発見されているのだ。
「一緒に」ということばも大事だ。小川は「岩」とも「青臭い匂い」とも「友達」とも「一体」になっている。何かと「一緒」(一体)になることを「めり込む」と言うのだ。
これは三連目の「近づく」からはじまっている。小川の思想(肉体)のキーワードは「近づく」という動詞かもしれない。対象に「近づいて」「一緒になる」。そこから詩がはじまる。小川だけのことばが動く。
同じ号の「夏下」も不思議な詩だ。どこか「俳句」に通じる「太さ」がある。目新しいというよりも、「いつもそこにある」という感じの「強さ」がある。ことばに「嘘」とか「見え」とかがない。
*
「詩はどこにあるか」12月の詩の批評を一冊にまとめました。
詩はどこにあるか12月号注文
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目次
岡田ユアン『水天のうつろい』2 浦歌無子『夜ノ果ててのひらにのせ』6
石田瑞穂「Tha Long Way Home 」10 高見沢隆「あるリリシズム」16
時里二郎「母の骨を組む」22 福島直哉「森の駅」、矢沢宰「私はいつも思う」27
川口晴美「氷の夜」、杉本真維子「論争」33 小池昌代『野笑』37
小笠原鳥類「魚の歌」44 松尾真由美「まなざしと枠の交感」、朝吹亮二「空の鳥影」47
河津聖恵「月下美人(一)」53 ト・ジョンファン『満ち潮の時間』58
大倉元『噛む男』65 秋山基夫『文学史の人々』70
中原秀雪『モダニズムの遠景』76 高橋順子「あら」81
粕谷栄市「無名」、池井昌樹「謎」86 深町秋乃「であい」92
以倉紘平選詩集『駅に着くとサーラの木があった』97 徳弘康代『音をあたためる』107
荒川洋治「代表作」112 中村稔「三・一一を前に」117
新倉俊一「ウインターズ・テイル」122
オンデマンド形式です。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
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以下の本もオンデマンドで発売中です。
(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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(3)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料250円)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
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