監督 ヴォルフガング・ムルンベルガー 出演 モーリッツ・ブライブトロイ、ゲオルク・フリードリヒ
ラストシーンは「台詞」が少なく、顔(まなざし)が「ことば」を語り、映画らしいのだが、途中がずいぶん「芝居」っぽい。
ユダヤ人の画商の息子、画商の使用人の息子の入れ替わり、そして婚約者が入れ替わりを知りながら画商の息子の「シナリオ」に加担するシーンなど、芝居の方がおもしろくなると思う。映画だと表情が見えすぎてドキドキしないのである。
また逆に、画商の肖像画の行方を息子が質問するシーンでは、なぜ使用人の息子が「絵」の存在に気がつかないのか、とても不自然である。画商の息子は、そこにない父親の肖像画を見ている。壁の「空白」に驚いている。その驚きというか、「暗号」の意味がわかったという顔をしている――その変化がスクリーンにくっきり描かれているのに、その場にいる人間が気づかない、というのは映画文法から見ておかしい。観客にわかることは、そこにいる人間にもわからないと変である。
芝居は「ことば」で演技する。一声二姿三顔――といわれるのは、声(ことば)が芝居の基本だからだ。映画は「ことば」ではなく、顔がいのち。演技できなくても、顔さえよければ映画は成り立つ。役者にかわってカメラが演技して、補うことができる。
そのバランスが、この映画では、うまくかみ合っていない。
最初に書いたが、ラストシーンだけは小気味いい。
「ことば」では一切説明しないが、登場人物たちのまなざしがすべてを語る。そしてそのまなざしのなかに、不思議なことに、敵であるのに敵ではない部分が混じる。言い換えると、親しい人間だけが理解できる「ことば」のやり取りがある。
主人公(画商の息子)と使用人の息子は「親友」である。幼いころから一緒に暮らしていて気持ちがわかる。その気持ちが通じるものだけがわかりあえるまなざしで、「あんたの負けだよ」と告げる。それを受け入れる。取り乱さない。画商の息子の母親、画商の息子の恋人(妻?)が使用人の息子を少し憐れんで、しかし、「自業自得だよ」というまなざしを送る。使用人の息子は、それを一種の絶望のなかで受け入れる。――ここが、ほんとうにおもしろい。
あ、戦争で最後に勝利をおさめるのは、「絆」なのだ、というようなことまで、感じてしまう。「絆」を裏切るものは負ける、というようなことまで考える。それはこの映画のテーマではないかもしれないが、ストーリーを超えてそうした「哲学」を一瞬感じさせる。
最後が美しいだけに、途中のあまりにも「芝居」向きのシーンが気になる。
ラストシーンは「台詞」が少なく、顔(まなざし)が「ことば」を語り、映画らしいのだが、途中がずいぶん「芝居」っぽい。
ユダヤ人の画商の息子、画商の使用人の息子の入れ替わり、そして婚約者が入れ替わりを知りながら画商の息子の「シナリオ」に加担するシーンなど、芝居の方がおもしろくなると思う。映画だと表情が見えすぎてドキドキしないのである。
また逆に、画商の肖像画の行方を息子が質問するシーンでは、なぜ使用人の息子が「絵」の存在に気がつかないのか、とても不自然である。画商の息子は、そこにない父親の肖像画を見ている。壁の「空白」に驚いている。その驚きというか、「暗号」の意味がわかったという顔をしている――その変化がスクリーンにくっきり描かれているのに、その場にいる人間が気づかない、というのは映画文法から見ておかしい。観客にわかることは、そこにいる人間にもわからないと変である。
芝居は「ことば」で演技する。一声二姿三顔――といわれるのは、声(ことば)が芝居の基本だからだ。映画は「ことば」ではなく、顔がいのち。演技できなくても、顔さえよければ映画は成り立つ。役者にかわってカメラが演技して、補うことができる。
そのバランスが、この映画では、うまくかみ合っていない。
最初に書いたが、ラストシーンだけは小気味いい。
「ことば」では一切説明しないが、登場人物たちのまなざしがすべてを語る。そしてそのまなざしのなかに、不思議なことに、敵であるのに敵ではない部分が混じる。言い換えると、親しい人間だけが理解できる「ことば」のやり取りがある。
主人公(画商の息子)と使用人の息子は「親友」である。幼いころから一緒に暮らしていて気持ちがわかる。その気持ちが通じるものだけがわかりあえるまなざしで、「あんたの負けだよ」と告げる。それを受け入れる。取り乱さない。画商の息子の母親、画商の息子の恋人(妻?)が使用人の息子を少し憐れんで、しかし、「自業自得だよ」というまなざしを送る。使用人の息子は、それを一種の絶望のなかで受け入れる。――ここが、ほんとうにおもしろい。
あ、戦争で最後に勝利をおさめるのは、「絆」なのだ、というようなことまで、感じてしまう。「絆」を裏切るものは負ける、というようなことまで考える。それはこの映画のテーマではないかもしれないが、ストーリーを超えてそうした「哲学」を一瞬感じさせる。
最後が美しいだけに、途中のあまりにも「芝居」向きのシーンが気になる。