詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

 「パーフェクトデイズ」(3)

2023-12-31 12:00:53 | 映画

 ブログの読者から「三目並べ」の、どこがそんなによかったのか、と質問された。私はまず、こう質問してみた。「同じ公衆トイレをつかうことがある?」「ない」。これが、まず一番のポイントである。同じ公衆トイレを定期的に(毎日)つかうひとなどいないだろう。しかし、三目並べの紙をトイレの隙間に最初に挟んだ人は、そのトイレを定期的につかっている人である。とても孤独な人だと思う。トイレとは、人が孤独になれる場所だが、町中の(公園の?)公衆トイレをつかう人は、何が理由なのかわからないけれど、ともかく孤独な人だと思う。その人が、ふと思いついて「三目並べ」のゲームを誘いかけた。それに役所広司が答えた。
 この交流は、互いに誰が相手であるか知らない。わかるのは相手が必ずそのトイレに来るということだけである。「私はここにいた」(私はここにいる)ということを、ゲームを通して知らせあう。それは同時に「私はあなたが生きていることを知っている。一緒に生きている」と伝えることでもある。名前も知らない。顔も知らない。しかし、生きている。世界には、そういう人の方が多いのである。ガザで何人もの人が殺されていく。そのひとの名前も顔も、私は知らない。しかし、その人たちには名前があり、顔があり、生きていた。そのことを私は忘れている。世界には、名前も顔も知らない人が大勢生きている。そのことを私は忘れている。しかし、三目並べを始めた人も役所広司も、その「誰か」を短い時間だけれど、決して忘れない。一緒に生きたことを忘れない。そして、三目並べが終わったとき「ありがとう」とことばを残す。そのつながりが、とてもいい。世界はつながっている。つながれば、そのことが必ず世界を変えていく。たとえば、このつながりがパレスチナとイスラエルの戦争を終結させる直接の力になることはない。そうわかっているが、私は、このつながりが戦争を終結させるとも信じたいのである。人が触れ合えば、人がつながれば、世界は変わっていく。そのとき「ありがとう」ということばが自然に生まれてくれば、とてもうれしい。
 少し言いなおしてみる。
 三目並べを始めた人が誰なのか、どんな人なのか、まったく知らされないのがとてもいい。何も知らなくても、その人の「動き」を見れば、私たちはその人がどんな状態なのかわかる。道で誰かが腹をかかえて、うずくまっている。あ、からだの調子が悪いのだ。他人なのに、そのことが、わかる。そうわかったとき、人は、どうするか。思わず声をかける人もいれば、知らん顔をして通りすぎる人もいる。役所広司は、思わず声をかける人間である。そういう「共感力」をもった人間である。そこにはただ「共感力」だけがある。そして、その「共感力」というのは、精神とか、心とかというものではなく、何か「肉体」そのものの反応なのである。トイレだから、どうしても、精神とか、こころではなく、「肉体」ということばが動いてしまうのだが、その「肉体」が「肉体」に出会ったとき、「肉体」が反応する。「反射神経」みたいなものである。「反射神経」だから、そこには「正直」がある。
 この「正直」は、この映画では、たとえば役所広司が立ち寄る居酒屋(立ち飲み屋?)でも描かれている。役所広司は何も注文しない。しかし、役所広司がいくと、いつも決まったものがすぐに出てくる。もう、ことばはいらない。ことばなしで、すべてが通じる。そういうとき、そこには「正直」がある。私の書いている「正直」の定義は、ふつうの人が考えている「正直」とは違うかもしれない。しかし、私は、それをあえて「正直」というのである。ことばをつかわなくても理解し合える何か。理解し合うのは、何も飲み物、食べ物だけではない。そこに生きている人間の「人格」(肉体)を認め合うのである。
 それはトイレの三目並べそのものではないだろうか。三目並べは「決着(勝敗)」のないゲームである。必ず「引き分け」で終わる。そういう意味では「無意味」である。でも、「勝敗」が世界を支配するとしたら、それは何か「動き」そのものが間違っている。「勝敗」にならない動きが大事なのだ。ただ、いっしょに生きている。そして、生きていることを尊重する。顔を合わせなくても、名前を知らなくても、「そこにいる」人を尊重する。「あいさつ」されれば、「あいさつ」を返す。あの三目並べは、そういう「あいさつ」のようなものだ。孤独なもの同士が出会い、あいさつする。そのとき、世界が一瞬だけかもしれないが、ぱっと明るく変わる。明るく変わったことを、他の人は知らない。しかし、役所広司は知っている。だから、「ありがとう」を読んで、彼の顔が輝く。
 で、またまた三浦友和の出で来るシーンへの不満なのだが。
 石川さゆりと三浦友和が抱き合っているのを役所広司が見る。なんだか、様子がすこしおかしい。ふつうの再会の喜びではないことがわかる。同時に、役所自身も、はっきりとではないが何かを感じる。そこから突然ラストの、役所広司の泣き笑いの長回しになってもよかったのではないか。何か起きたのか、誰も知らない。真実はわからない。それでいいのではないだろうか。三目並べの相手が誰かわからない。それで十分なように、人が出会って分かれていく。そのときの喜びと悲しみ。それで十分なのではないだろうか。
 「答」は、あるとき、どこか知らないところから突然あらわれるものだろう。それは役所広司が寝る前に読んでいる本のようなものである。ふと出会ったことば、それが読者のなかで、遠くの何かを呼び寄せる。ああ、そうだったのかと思う。それが「正解」かどうかは、どうでもいい。「正解」などない。ただ、何かを求める「気持ち」が、そのときそのときの「答え」を作り出す。三目並べのように。

 この映画には、ほかにもおもしろいシーンがたくさんある。役所広司が部屋を掃除するとき、新聞紙をクシャクシャにしてバケツの水で濡らす。それを畳の上に散らばす。そのあと、箒で掃き集める。埃を舞い上がらせずに集める工夫である。昔なら茶殻でやったことである。ここには、まあ、昔からの知恵が引き継がれているのだが、その知恵の奥には、「ものを最後までつかいきる」という思想が生きている。新聞紙を捨てる、茶殻を捨てる。でも、その前に、その新聞紙、茶殻にひとばたらきしてもらう。それは役所広司が新刊本ではなく古本を買うところ、そして読むところ、あるいは昭和のカセットテープを聞くところにもあらわれている。つかえるまでつかう、どうつかえるか考える。それは三目並べにも通じるかもしれない。トイレに捨てられていた紙屑、と思うか、それともそこには何か、新しい「生き方」があるかもしれないと思うか。それが何になるか、わからない。けれども、なんとか「つかってみる」。それは、なんというか、「新しい自分自身の生き方」を広げることでもあると思う。
 生きているということは、なんとすばらしいことだろうと実感させてくれる映画であった、ともう一度書いておく。

 


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2 コメント

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Unknown (大井川賢治)
2024-03-27 13:01:57
映画「perfect days」の谷内さんのご感想ですが、3回にわたっており、言われたいことが何度も押し寄せてきて、よく分かりました。ものの見方のキモが、詩の感想でも、映画の感想でも、同じであることが。
Unknown (谷内)
2024-03-27 21:55:44
何を書いたか忘れていたが、読み返すと、なかなかいいことを書いている。
自分で書いたのに、書いたことを忘れて、感動してしまった。(笑い)

私は「ことば」をとおして、いろいろな人と「三目並べ」をしたいと思っている。
誰の、どのことばも三目並べの○×と同じで、まったくの「等価値」。そのことが大切だと思う。

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