「健康について」は、とても難解である。
健康の対極にあるのは何か。不健康=病気。人間はだれでも病気が嫌い。病気の延長線上にある死も嫌い。
さらに健康には、肉体の健康のほかに精神の健康という問題もある。
三木清は肉体の健康(病気)についても語っているが、途中から重心が精神の健康へとうつっていく。これを、どう説明するか。私はずいぶん考え込んだ。
しかし。取り越し苦労だった。
イタリアの青年は、三木清を読む前に同じテーマの作文を書くのだが、その作文が、健康の問題を、中国の不老不死を求めた皇帝に結びつけ、人間は必ず死ぬ、大切なのは肉体の健康ではなく精神の健康であると論を展開し、ことば(哲学)は死なないと書く。求めるべきは肉体の「不死」ではなく精神の「不死」であると結論する。
三木清の文書を先に読んだとしても、彼のような作文を何人の高校生が書けるだろうか。
何か所か、文法の間違いや、日本人ならつかわない言い回しもあるのだが、論理の明確さと展開の仕方にびっくりしてしまった。
作文をアップできないのが残念。