アン・アキコ・マイヤース ヴァイオリンリサイタル(アクロス福岡シンフォニーホール、2012年01月10日)
アン・アキコ・マイヤースを聴くのは初めてである。たいへん攻撃的な演奏だと思った。ベートーヴェン「ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調、春」の第1楽章。アン・アキコ・マイヤースの演奏する春は、明るさ、のどかさ、はつらつというより苦悩である。詩でいうとエリオットの「荒れ地」という感じ。
疾走する輝く音に、水のきらめきを感じることが多いが、アン・アキコ・マイヤースの音にはそれ以前の「春」を感じる。氷が溶ける。そのときのきらめき--ではなく、氷が死ぬ、という苦悩のようなもの、氷が死ぬことで春の清冽が美しさが生まれる。その、矛盾した一瞬、死と生が拮抗している感じがして、びっくりしてしまった。
この印象は「春」の間中、かわらない。もちろんずーっと氷が溶ける苦悩というのではないけれど、何かが萌えいずるとき何かを破壊する。破壊されたなかから新しいいのちが誕生する--といういのちの緊張感を感じた。
この印象は、その前に聴いたシュニトケ「古い様式による組曲」の影響が私に残っていたせいかもしれない。これは初めて聴く曲だった。演奏の前にアン・アキコ・マイヤーズが曲の内容というか誕生秘話を紹介してくれた。シュニトケが歯科治療を受けた。そのときの印象を曲にしたという。「だから最後の第4楽章にはとても気持ちの悪い音がでてくる。歯の神経を抜いている感じ」という。たしかにとても気持ちの悪い音がでてくるのだが、--気持ちが悪いといえば言えるけれど、私にはとても強い音に感じられた。だれも表現したことのない強さ。だれも経験していないから、その音をどこに位置づけていいかわからない。不安になる。だから気持ちが悪いということになるのだが、最初に気持ちが悪い音と聞いていたせいか、私には気持ち悪さよりも強さの方が印象に残った。
奏でる--というより、絃から音を絞り出す。まだ、だれも出していない音を絞り出すという感じがする。円熟の正反対、円熟することを拒んで音を突き破ろうとする音。音のなかの闇を噴出させる感じがする。
ジイコブ・チウピンスキー(で、いいのかな?)「海の底のウンブリア号(日本初演)」はシンセサイザーとの共演。作曲家がアン・アキコ・マイヤースのために作曲した曲。作曲家がダイビングをしたとき海底で難破船を見つけた。その印象がこの曲を生み出したという。この演奏も非常に強い音である。絃から絞り出すと同時に、何かと向き合っている。その向き合っている対象は、アン・アキコ・マイヤースの「解説」に従えば、ジイコブ・チウピンスキーが海底で発見したもの、出会ったものということになるのだろうけれど、暗いことが輝きであるような、強い印象がある。刺激的だ。
滝廉太郎「荒城の月(三枝成彰/マイヤース編)」は私には不思議な印象がした。日本の、しかも歌詞がついている曲を聴くとどうしても「日本語の呼吸」で聴いてしまうことになる。それが、あわない。つまりアン・アキコ・マイヤースの演奏と私の呼吸があわない。あたりまえのことなのかもしれないが、こういう音の方が、私には「気持ちが悪い」。聴いたことのない「和音」(「古い様式による組曲」「海の底のウンブリア号」の和音)よりも、呼吸が何か違う感じがする。
呼吸で、ちょっと驚いたことがある。私はたまたまアン・アキコ・マイヤースの近くで演奏を聴いたのだが、彼女の呼吸(息づかい)の音がすごい。近くといってもかなりはなれていて(8メートルくらい?)、私は目が悪いせいもあり、最初は「だれか寝息を立てているのか」と思ったのだが、そうではなかった。力を込めて、ふりしぼるように演奏するその直前に、「すーっ」と強く息を吸い込むのである。そしてゆっくり吐き出す。ほかの演奏家は知らないが、あ、そうか、ヴァイオリンも「息」で演奏するのか、と思った。どうりで人間の声に近い深さの幅がある。
アン・アキコ・マイヤースを聴くのは初めてである。たいへん攻撃的な演奏だと思った。ベートーヴェン「ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調、春」の第1楽章。アン・アキコ・マイヤースの演奏する春は、明るさ、のどかさ、はつらつというより苦悩である。詩でいうとエリオットの「荒れ地」という感じ。
疾走する輝く音に、水のきらめきを感じることが多いが、アン・アキコ・マイヤースの音にはそれ以前の「春」を感じる。氷が溶ける。そのときのきらめき--ではなく、氷が死ぬ、という苦悩のようなもの、氷が死ぬことで春の清冽が美しさが生まれる。その、矛盾した一瞬、死と生が拮抗している感じがして、びっくりしてしまった。
この印象は「春」の間中、かわらない。もちろんずーっと氷が溶ける苦悩というのではないけれど、何かが萌えいずるとき何かを破壊する。破壊されたなかから新しいいのちが誕生する--といういのちの緊張感を感じた。
この印象は、その前に聴いたシュニトケ「古い様式による組曲」の影響が私に残っていたせいかもしれない。これは初めて聴く曲だった。演奏の前にアン・アキコ・マイヤーズが曲の内容というか誕生秘話を紹介してくれた。シュニトケが歯科治療を受けた。そのときの印象を曲にしたという。「だから最後の第4楽章にはとても気持ちの悪い音がでてくる。歯の神経を抜いている感じ」という。たしかにとても気持ちの悪い音がでてくるのだが、--気持ちが悪いといえば言えるけれど、私にはとても強い音に感じられた。だれも表現したことのない強さ。だれも経験していないから、その音をどこに位置づけていいかわからない。不安になる。だから気持ちが悪いということになるのだが、最初に気持ちが悪い音と聞いていたせいか、私には気持ち悪さよりも強さの方が印象に残った。
奏でる--というより、絃から音を絞り出す。まだ、だれも出していない音を絞り出すという感じがする。円熟の正反対、円熟することを拒んで音を突き破ろうとする音。音のなかの闇を噴出させる感じがする。
ジイコブ・チウピンスキー(で、いいのかな?)「海の底のウンブリア号(日本初演)」はシンセサイザーとの共演。作曲家がアン・アキコ・マイヤースのために作曲した曲。作曲家がダイビングをしたとき海底で難破船を見つけた。その印象がこの曲を生み出したという。この演奏も非常に強い音である。絃から絞り出すと同時に、何かと向き合っている。その向き合っている対象は、アン・アキコ・マイヤースの「解説」に従えば、ジイコブ・チウピンスキーが海底で発見したもの、出会ったものということになるのだろうけれど、暗いことが輝きであるような、強い印象がある。刺激的だ。
滝廉太郎「荒城の月(三枝成彰/マイヤース編)」は私には不思議な印象がした。日本の、しかも歌詞がついている曲を聴くとどうしても「日本語の呼吸」で聴いてしまうことになる。それが、あわない。つまりアン・アキコ・マイヤースの演奏と私の呼吸があわない。あたりまえのことなのかもしれないが、こういう音の方が、私には「気持ちが悪い」。聴いたことのない「和音」(「古い様式による組曲」「海の底のウンブリア号」の和音)よりも、呼吸が何か違う感じがする。
呼吸で、ちょっと驚いたことがある。私はたまたまアン・アキコ・マイヤースの近くで演奏を聴いたのだが、彼女の呼吸(息づかい)の音がすごい。近くといってもかなりはなれていて(8メートルくらい?)、私は目が悪いせいもあり、最初は「だれか寝息を立てているのか」と思ったのだが、そうではなかった。力を込めて、ふりしぼるように演奏するその直前に、「すーっ」と強く息を吸い込むのである。そしてゆっくり吐き出す。ほかの演奏家は知らないが、あ、そうか、ヴァイオリンも「息」で演奏するのか、と思った。どうりで人間の声に近い深さの幅がある。
![]() | バーバー:ヴァイオリン協奏曲 作品14/ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調 作品26 |
マイヤース(アン・アキコ),バーバー,ブルッフ,シーマン(クリストファー),ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 | |
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