高橋睦郎『深きより』(17)(思潮社、2020年10月31日発行)
「十七 血もて歌ふ」は「宮内卿」。
何ごとも身のあつてこそと 父禅師は案じられるが
歌のために身をそこなふ以上の喜びが あらうものか
わたくしの遺した歌は 数のうへで少なからうと
ことごとく 自らの血もて歌ひ記した三十一文字
詩の最後に「血」が登場するが、この血が具体的な肉体であると感じさせることばを、私は詩のなかに見つけ出すことはできなかった。
「血をもて歌ふ」のは、たいていの場合「恋」だろう。「恋」ということばは、この詩には何度も出てくる。
いいえ あの方を恋したなどとは 怖れ多すぎる
わたくしが恋したのは あの方が望まれる良き歌
まだ何処にもない未知の歌に恋して 似姿を試みる
存在しないものを「ことば」の力を借りて産み出す。そうやって生まれてくる歌を恋する。こういうことは「頭」では理解できるが、その「理解」は単に「論理」にすぎない。論理は美しくなればなるほど「肉体性」を失う。不透明さを失う。
だからこそ、逆に「血」ということばを必要としているのかもしれない。
「歌」が、あるいは「詩」が、そして「ことば」が透明であってはいけない。透明を拒絶する絶対的な「不透明」がないかぎり、ほんとうは何も生まれない。
なんでもそうだが、たとえばニュートン力学にしろ、アインシュタインの相対性理論にしろ、何かが「間違っている」、つまりそれだけでは説明できないものが「世界」に存在する。その「間違い」があるから、新しい「真実(論理/理論)」が生まれ続ける。
しかし、こんな「仮説」に意味はない。「論理/理論」というのは、いつでも何ごとかが起きたあと、そのときの都合で「捏造」されるものだからである。
この世に「捏造」ではないものがあるとすれば、それはやはり「血」と「肉」なのだろう。
最後に一回だけ登場する「血」ということばのなかに、私は、高橋の「血」へのあこがれを感じる。それは高橋が絶対に手に入れることのできないものではないか、という気もする。高橋のことばには「血」を拒絶する死の匂いがいつもつきまとっている。
この詩自体が、宮内卿が夭折しなかったなら成立しないだろうということが、それを明確に語っている。死を前提とするから「血」ということばが「論理」としてつかわれているのだ。でも、論理でしかない「血」は、私の感覚では血(肉体)ではなく、やはり「死」であると思う。
わたくしの遺した歌は 数のうへで少なからうと
ことごとく 自らの「死」もて歌ひ記した三十一文字
私は、そう読み替えて、やっとこの詩を納得する。「血」をもって歌ったのではない。「血」を殺すことで産み出したのだと感じるのである。
私の感想は、宮内卿の歌を読んでの感想ではなく、あくまでも高橋の詩(ことばの運動)を読んでの感想なのだが。
*
また、こんなことも思うのだ。
まだ何処にもない未知の歌に恋するなどとは 怖れ多すぎる
まだ何処にもない未知の歌る似姿を試みるなどとは 怖れ多すぎる
高橋は、「伝統」を否定し、同時に「伝統」の創出する運動、「ことばの肉体」がその力で「ことばの肉体を再構築する」力をもっているということに対して「畏怖」を感じているのかもしれない。宮内卿を畏怖するというよりも、「ことばの肉体」が宮内卿をのっとってしまったことに対して畏怖しているのかもしれない。
「*」以降の文章は、いったん感想を書いたあとで、ふいに思いついて書いたものである。この視点から感想を書き直すこともできるのだが、そのときは前に書いたものとは違ったものになる。感想は、書いているその瞬間にもかわってしまう。その「動きの変化」(迷い)を、ひとつの例として、そのまま残しておくことにする。
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