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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

伊藤悠子「海のエジプト展」ほか

2010-02-05 00:00:00 | 詩(雑誌・同人誌)
伊藤悠子「海のエジプト展」ほか(「ふらんす堂通信」123 、2010年01月25日発行)

 「海のエジプト展」で見たこどもの石像のことを書いている。たんたんと書いているのだが、自然と引き込まれる。

千年有余
海は
我知らず
あやしていたのかもしれない
母から離れた幼子を
石像の一部であった幼子を
幼子は
海水に浸され点ほどの浅い窪みとなった眼窩で
母にうなずいていた
隆起の薄れた口の端で
乳をもらう満足を伝えていた
千年有余
海は
石像を石に戻しはしなかった
幼子はもうイシスの子ハルポクラテスではなく
共通の面影
ただの幼子になり
時をたがえて見つかった母に抱かれていた

 「海の中に母がいる」という詩句を思い出してしまうが、イシスの子ハルポクラテスの石像にとって、海はたしかに母だったのかもしれない。海と母は区別がないかもしれない。そして、そのとき、伊藤もまた海であり、母である。

海は
石像を石に戻しはしなかった

 「主語」は「海」である。学校教科書の文法上は、「海」が「主語」である。けれど、この詩を読んだ瞬間、その「海」は伊藤そのものである。
 海水に浸食され、最初の形からは遠くなった石像。かすかに残る目。唇。それをしっかりみきわめ、そこから母にうなずくしぐさ、乳を飲んで満足している表情をしっかりと読みとる伊藤の「肉眼」が、その「石」を単なる石から「石像」にひきもどす、奪い返すのである。
 そして、奪い返したとき、その石像はイシスの子ハルポクラテスは、イシスの子ハルポクラテスではなくなる。「共通の面影/ただの幼子」と伊藤は書いているが、これは正確には「私の、たったひとりの幼子」である。あらゆる母にとって、たったひとりの愛しい幼子である。
 展示されている「石」が「いし」から「石像」にひきもどされるとき、「石像」へと奪い返すとき、そのとき伊藤は(そして、すべての女性は)、単なる「おんな」ではなく「母」になるのだ。

 ここに描かれているのは、「石」(石像)の変化ではなく、「おんな」が「母」になるという「肉体」の運動である。
 
 「海という文字の中に母がいる」というのは、たぶん男の発想である。千年有余の海のなかで、女は「母」になる。「母」となって、いとしい幼子を抱いて誕生する。



 「トウカエデ」という詩の中にも忘れがたい行がある。

空が暮れかかるとき
街路に木の葉が一枚立っていた

 一本の木ではなく、一枚の葉。それは錯覚なのだが、その錯覚のなかに、一本の木よりも深い孤独がある。

空が暮れかかるとき
街路に木の葉が一枚立っていた
その整えられた樹形と 残照の加減で
一枚のトウカエデの葉にみえた
赤い葉も 橙色の葉も 黄色い葉も
大きな一枚の細やかな部分であった
ただ一枚すっと立っている
車は水のように流れていく
人は犬に引かれていく
木の葉だけが止まっている
木の葉と私だけが止まっている
ずうっと見つめ続けていればよかったが
ふと目をやると
ようとして
街路樹の連なりに組み込まれていた
トウカエデはさびしい私と遊んでくれたようだ
夜が来る前のいっとき

 「木の葉と私だけが止まっている」--この一体感は、「海」のなかで「母」として生まれ変わる瞬間に似ている。「私」が「私以外のもの」に「なる」。そのとき、「私」の「過去」というか「肉体」の奥に生きている「いのち」がよみがえる。
 一枚のトウカエデ。それは一枚でっあて、一枚ではない。一枚にみえるけれど、ほんとうは一本の木。いくつもの枝がひろがり、幾枚もの葉が茂っている。それぞれが違う色をしている。けれど、そのすべてが「一枚」にすりかわる。一枚と一本が入れ替わる--入れ替わることで「一体」になる。
 この動きは、「海」と「母」が「一体」になる、入れ替わる、新しく誕生するという動きと同じものである。

 この詩に書かれているのは「さびしい私」、孤独というものだが、それはセンチメンタルではない。新しく誕生するという動きがあるから、美しい。





詩集 道を小道を
伊藤 悠子
ふらんす堂

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