監督 成島出 出演 井上真央、永作博美
永作博美を私はそれほど多く見ていない。「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」で気弱な「嫁」を演じていたのを思い出すくらいである。しかし、感動したなあ。こんなにうまい役者とは思わなかった。
主人公は、永作博美に誘拐された井上真央なのだが、永作博美が逮捕されたあとも、いつ永作博美が出てくるか、いつ永作博美が出てくるか、いつ永作博美が出てくるか、いつ永作博美が出てくるか--それがとても気になった。待ち遠しくてしようがなかった。
乳児を誘拐し、自分のこどもとして4年間育てるという、いわば「悪女」なのだが、悪人という感じがない。かといって、善人というわけでもない。そんなことをするつもりはなかったのに、ふと、してしまった。自首して、こどもを返せば、まあ、いいのかもしれないが、いったん抱いてしまうとその子が好きになってしまう。自分のこどもに思えてしまう。--背景には、愛人のこどもを妊娠し、堕胎を迫られ、その後妊娠できない体になってしまった、という事情もあるのだけれど、そのことが「悲惨さ」につながらない。特殊な「不幸」とは無関係に、乳児と女という普遍的な関係にすーっと入って行ってしまう。特殊なことなのに、それを普遍にしてしまうというのは、理性的に(?)考えれば変は変なのだが、変と感じさせない。
こどもを育てたことがないので、ミルクをやるにもミルクの温度がわからない。量がわからない。おっぱいをやろうにも、もちろん母乳も出ない--という「どたばた」になりかねない状態からスタートするのだが、その場の「困った」に集中する力がすばらしいので、「誘拐犯」であることを見ていて忘れてしまう。永作博美の「困った」という瞬間に引きずり込まれ、思わず、哺乳瓶はこうもって、とか、ほらほらおなかがすいてるんじゃなくて襁褓が濡れて泣いてるんだろう、と手助けしたいような気持ちになってしまうのである。
カルトまがいの「エンジェル」集団に逃げ込み、そこで保護(?)されながら暮らすときも、そこしか居場所がないという「困った」に真剣に取り組んでしまう。これからどうすればいいのか--というような目標(?)はない。ただ、大好きなこどもといっしょにいる。いっしょにいることで母に「なる」。その「なる」ことに夢中なのである。
永作博美に演技計画があったのかなかったのか。また、成島出監督に演出計画があったのかなかったのか。よくわからないが、その瞬間、瞬間、母に「なる」のである。そして、同じように、状況が変わった瞬間、突然「誘拐犯」、いや、「逃走犯」になるのである。
あ、そうなのだ。永作博美は「誘拐犯」ではなく「逃走犯」なのだ。母であるためにただ逃げているだけなのだ。逃げる、に目的地はない。目的地はなく、ただ追いかけてくるものから逃げるというその「行為」だけがある。その「瞬間」だけがある。こどもとの暮らしも同じである。目的地はない。そのこどもをどういう人間に育てたい、このこにこんなふうになってもらいたい、という目的、夢はない。ただ一日でも長くいっしょにいたい、いっしょに「いる」、そしていっしょにいるときははに「なる」。そういう瞬間だけを生きている。
永作博美が生きているのは「瞬間」だけであるから、それを持続した時間のなかでとらえて(持続した時間が抱え込む法や倫理をあてはめて)批判しても意味がない。永作博美の行為を「矛盾」していると指摘しても意味がない。「瞬間」には矛盾は存在しない。その、矛盾しない瞬間の美しさを永作博美は完璧に演じきっている。
だから、最後。
井上真央が、記念写真をとった写真館を見つけ出し、昔の写真をみつめ、永作博美が同じようにこの写真館を尋ねてきたと知ったとき--あ、それは映像ではなく、ことばだけで(つまり台詞だけで)語られるのだが、私には、永作博美が田中泯がネガを現像するのを見ている姿が見えたのである。現像液のなかからあらわれる「美しい日」をみつめ、「美しい瞬間」に胸をつまらせる姿が見えたのである。それはスクリーンでは、井上真央が演じているのだが、その井上真央が永作博美そのものに見えたのである。
そして、その永作博美と井上真央の哀しいくらいに美しい「一体化」があって、ラストシーンの解放感につながっていく。井上真央は永作博美を生きることを、こころにきめる。生まれてくるこどものために、何でもする。生まれてくるこどもに、この世界のすばらしさをすべて見せてやりたいと、心底思う。それはまた、井上真央自身が、この世の中の美しさ、すばらしさをすべて見たいと思い、新しく生きはじめる瞬間でもある。
人間の再生を描いた傑作である。書きたいことは、まだいろいろあるが、私の書く文章はどうしても「ネタバレ」になるので、ちょっと控えることにする。ともかく、見てください。間違いなく2011年の日本映画の代表作。ベスト1。永作博美は主演女優賞。見逃してはいけません。
永作博美を私はそれほど多く見ていない。「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」で気弱な「嫁」を演じていたのを思い出すくらいである。しかし、感動したなあ。こんなにうまい役者とは思わなかった。
主人公は、永作博美に誘拐された井上真央なのだが、永作博美が逮捕されたあとも、いつ永作博美が出てくるか、いつ永作博美が出てくるか、いつ永作博美が出てくるか、いつ永作博美が出てくるか--それがとても気になった。待ち遠しくてしようがなかった。
乳児を誘拐し、自分のこどもとして4年間育てるという、いわば「悪女」なのだが、悪人という感じがない。かといって、善人というわけでもない。そんなことをするつもりはなかったのに、ふと、してしまった。自首して、こどもを返せば、まあ、いいのかもしれないが、いったん抱いてしまうとその子が好きになってしまう。自分のこどもに思えてしまう。--背景には、愛人のこどもを妊娠し、堕胎を迫られ、その後妊娠できない体になってしまった、という事情もあるのだけれど、そのことが「悲惨さ」につながらない。特殊な「不幸」とは無関係に、乳児と女という普遍的な関係にすーっと入って行ってしまう。特殊なことなのに、それを普遍にしてしまうというのは、理性的に(?)考えれば変は変なのだが、変と感じさせない。
こどもを育てたことがないので、ミルクをやるにもミルクの温度がわからない。量がわからない。おっぱいをやろうにも、もちろん母乳も出ない--という「どたばた」になりかねない状態からスタートするのだが、その場の「困った」に集中する力がすばらしいので、「誘拐犯」であることを見ていて忘れてしまう。永作博美の「困った」という瞬間に引きずり込まれ、思わず、哺乳瓶はこうもって、とか、ほらほらおなかがすいてるんじゃなくて襁褓が濡れて泣いてるんだろう、と手助けしたいような気持ちになってしまうのである。
カルトまがいの「エンジェル」集団に逃げ込み、そこで保護(?)されながら暮らすときも、そこしか居場所がないという「困った」に真剣に取り組んでしまう。これからどうすればいいのか--というような目標(?)はない。ただ、大好きなこどもといっしょにいる。いっしょにいることで母に「なる」。その「なる」ことに夢中なのである。
永作博美に演技計画があったのかなかったのか。また、成島出監督に演出計画があったのかなかったのか。よくわからないが、その瞬間、瞬間、母に「なる」のである。そして、同じように、状況が変わった瞬間、突然「誘拐犯」、いや、「逃走犯」になるのである。
あ、そうなのだ。永作博美は「誘拐犯」ではなく「逃走犯」なのだ。母であるためにただ逃げているだけなのだ。逃げる、に目的地はない。目的地はなく、ただ追いかけてくるものから逃げるというその「行為」だけがある。その「瞬間」だけがある。こどもとの暮らしも同じである。目的地はない。そのこどもをどういう人間に育てたい、このこにこんなふうになってもらいたい、という目的、夢はない。ただ一日でも長くいっしょにいたい、いっしょに「いる」、そしていっしょにいるときははに「なる」。そういう瞬間だけを生きている。
永作博美が生きているのは「瞬間」だけであるから、それを持続した時間のなかでとらえて(持続した時間が抱え込む法や倫理をあてはめて)批判しても意味がない。永作博美の行為を「矛盾」していると指摘しても意味がない。「瞬間」には矛盾は存在しない。その、矛盾しない瞬間の美しさを永作博美は完璧に演じきっている。
だから、最後。
井上真央が、記念写真をとった写真館を見つけ出し、昔の写真をみつめ、永作博美が同じようにこの写真館を尋ねてきたと知ったとき--あ、それは映像ではなく、ことばだけで(つまり台詞だけで)語られるのだが、私には、永作博美が田中泯がネガを現像するのを見ている姿が見えたのである。現像液のなかからあらわれる「美しい日」をみつめ、「美しい瞬間」に胸をつまらせる姿が見えたのである。それはスクリーンでは、井上真央が演じているのだが、その井上真央が永作博美そのものに見えたのである。
そして、その永作博美と井上真央の哀しいくらいに美しい「一体化」があって、ラストシーンの解放感につながっていく。井上真央は永作博美を生きることを、こころにきめる。生まれてくるこどものために、何でもする。生まれてくるこどもに、この世界のすばらしさをすべて見せてやりたいと、心底思う。それはまた、井上真央自身が、この世の中の美しさ、すばらしさをすべて見たいと思い、新しく生きはじめる瞬間でもある。
人間の再生を描いた傑作である。書きたいことは、まだいろいろあるが、私の書く文章はどうしても「ネタバレ」になるので、ちょっと控えることにする。ともかく、見てください。間違いなく2011年の日本映画の代表作。ベスト1。永作博美は主演女優賞。見逃してはいけません。
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