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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

豊原清明「俳文『草を抱く』(3)」

2010-12-11 20:15:09 | その他(音楽、小説etc)
豊原清明「俳文『草を抱く』(3)」(「白黒目」26、2010年11月発行)

 豊原清明「俳文『草を抱く』(3)」は俳句と文章を組み合わせたものである。

曇りから抜け出た鳥の夜寒かな

 夏日は晴れじゃないと、なんとなく物足りなくなるが、秋、冬、と、移行していく最中で、「九森も、ええなあ。」と思うのだ。今年の秋は暑く、憂鬱でなにをしても旨くいかなかった。春、夏、と、緊張していたのか、秋は、「だらん」として、ごろごろした。気が向けば、すぐ近くの「マルゴ」店に行っていた。一人外出はそれ位になった。何が悩み事かといえば、女性と、誰一人とて、付き合っていない、飢えと、教会のにこにこした場で、ひとりっきりになるという、疎外感である。そんな、秋が終わった。

 「曇りから」という書き方がとてもおもしろい。「曇天から」「雲間から」くらいしか、私は思い浮かばない。「曇天から」も「雲間から」も「空」を指すが、「曇りから」はどうだろう。もちろん「空」も指すだろうが、私には何か「空」未満の感じがする。地面と空の間にある光の弱い「空間」。その「空間」に閉じ込められていたのは、鳥か。鳥であると同時に豊原なのだろう。「抜け出た」もいいなあ。
 文章の「そんな、秋がおわった。」がさっぱりしている。

ゆっくりとした父母包みしは冬の虫

曇り絵図撮って雨月の日々遅刻

秋雨後の父の時計や磨き澄む

 どの句も、句の中に「時間」がある。俳句は「一期一会」のものだが、その「一期一会」のためには、作者の「時間」(過去)が必要なのだ。作者の「時間」が対象と出会い、その瞬間に、「時間」が組み替えられあらわれるということなのかもしれない。




夜の人工の木
豊原 清明
青土社

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