詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(19)

2021-12-27 19:33:38 | 谷川俊太郎『虚空へ』百字感想

谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(19)

(事実が)

事実が
物語となって
終わる
後に

黙りこむ
人と
卓上の
果実

解釈を
許さない
存在を

時に
任せて
眠る

 セザンヌの静物画を思い出す。「解釈」は画家からの働きかけではなく、存在が画家に働きかけてくるときに生まれる。セザンヌは静物を「解釈」したのではなく、「解釈された」。これが、私の「物語」だ。

 

 

 

 

(言葉が落としたもの)

言葉が
落としたものを
詩は拾う

草むら
横断歩道
プラネタリウム
動物園で

言葉の
落としもの
燃える
ゴミ

炎を
上げずに
くすぶっている

 「言葉が落としたもの」と「言葉の落としもの」は、似ているけれど違う。その違いが、「燃える」「燃えない」の違いを生む。「燃えるゴミ」はほんとうは燃えていない。怨念のようなものが、残っている。

 

 

 

 

 

(記憶にないのに)

記憶にないのに
思い出す
その道をあなたは
去って行った

山々は
不機嫌で
池は
静まりかえっていた

何ひとつ
拒めない世界の
哀しみ

渇くわけを
心は
知らない

 「思い出す」を「知っている」と読み替えてみる。「記憶にないのに知っている」。私個人の体験ではなく、人間が共有する体験だからだ。「いのち」が共有することだからだ。いのちには、拒めないことひとつがある。

 


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