和辻哲郎の「倫理学」。こんなことを書いている。(私のノートに残っているメモなので、正確な引用ではない。)
個人と全体者(社会)とは、それ自身では存在しない。他者と関連において存在する。個人は社会を否定し、個人になる。社会は個人を否定し、社会になる。否定という行為をとおして、個人も社会も、その姿をあらわす。
ここには二重の否定、相互否定がある。この否定の否定、絶対的否定性から、和辻は「空」ということばを引き出している。あるいは「空」ということばに結びつけて考えている。「色即是空/空即是色」の「空」である。
「混沌」、あるいは「無」ではなく「空」を思考(ことばの運動)のなかに取り込んでいる。「空」は、私にとっては「無」よりも「理念的」である。
「無」は定まった姿のあらわし方がない(無)であり、つまり、そこからはどんなものでもあらわれうる(限界/制限がない=無)である。何も制御されていないから「混沌」なのである。
「空」は「無=混沌」の対極にある。「混沌=無」を洗い清めるのが「空」である。「混沌=無」は「空」をとおることで、「存在」として顕現するのである。
で。
私の頭のなかに、こんなことばが突然やってきた。
色否是空/空否是色(色を否定したら空が顕現する/空を否定したら色が顕現する)
「即」と「否」は同じく、ひとの「行為」である。ひとが色や空に対して働きかける。肉体が動くとき、色も空も顕現する。色も空もひとが動かない限り、顕現しない。つまり、ひとが動かない限り「世界」は存在しない。
ひとの動きによって、「世界」は生まれる。
それに関するメモがひとつ。
人間が時間のなかに存在するのではない。時間が人間のなかから出てくる。
(人間が空間のなかに存在するのではない。空間が人間のなかから出てくる。)
私が先に書いたことばは、きっとこのことばの影響を受けている。
もうひとつ、メモ。
内容は過ぎ去らず、常に現在である。
この「内容は過ぎ去らず」ということばは、「漢字」のことを思い起こさせる。中国語(漢字文化)には「時制」がない。ないといってしまうと、語弊があるが、日本語のように動詞の語尾を見て、過去かどうかがわかるわけではない。動詞の「活用」がない。「動」は「動いた」「動く」「動くだろう」でもある。
漢字は「表意文字」であり、表意の意は「意味」の意であり、それは「内容」でもある。確かに意味や内容は、過ぎ去ったりせず、いつも「いま(現在)」そこにある。中国語は、いつも「意味/内容」を問題にしているのである。「永遠」を問題にしているともいえるかもしれない。
そこで思うのだが。
中国では、いま漢字は「簡略体」がつかわれている。これは、日本人の私がいうのは変なことであるけれど、文化の否定そのものではないだろうか。簡略体によって「表意」の「意」が変わってしまうということはないのか。
脱線したついでに、さらに脱線しよう。
日本語の表記、漢字、ひらがな、カタカナの混在は、めんどうくさそうで、意外と便利ではないだろうか。「動いた」「動く」。漢字の「動」からは「意味/内容」がわかる。「いた」「く」という「活用語尾」で「時制」がわかる。英語やその他のヨーロッパのことばでも、語幹から意味、内容がわかり、語尾から時制がわかるが。ただし、アルファベットの国では、ことばのくぎりを「空白」にしないといけない。いわゆる「分かち書き」。でも日本語は漢字があるので、それがアクセントになり、分かち書きをひなくてもすむ。ひらがなだけで書くときは、きっと分かち書きにしないと読みづらいだろう。
私はときどき外国人に日本語を教えているが、上級者はみんな「漢字が好き」という。漢字のおかげで意味がわかる。文章が読みやすい。漢字で書けばいいところをひらがなで書いてあると意味を把握するまでに苦労する……。外国人といっしょに日本語のテキストを読んでいると、その気持ちがよくわかる。
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