渋谷美代子「朝から詩集を」(「YOCOROCO」7、2016年06月18日発行)
渋谷美代子「朝から詩集を」は「紐しおり」が本につくりだす凹凸のことを書いている。最初は何かわからずに、その紙面に刻まれた曲線を「指でなぞりながら」ページをめくっているのだが、
何でもないことが淡々と書かれている。
ようだけれど、
「ハハア」「くるん」「ナルホドねえ」。渋谷が渋谷と「対話」している。その呼吸がいい。対話し、対話することで納得しながらことばが進んで行く。「くるん」という「口語的」「感覚的」なことばが、
あ、「文語調」をまじえて、「小ナス」という具体的なものにかわる。「しばし」もいいし、「のばす」という「動詞」もいいなあ。時間と「動詞」を書くことで、「感覚」だけではなく「肉体」全部が動いている。
それから「指でしごいてみ」るという「動詞」へとつながって、
「かすか」という「感覚」を媒介に「ふくらむ」「くぼむ」が動き、起伏する。どうしたって、指はそれをたどってしまうねえ。
あえて途中を省略して(意味がわからないようにして)引用するのだが、
省略してあるからわからないはずなのに、何かが「わかる」。省略してある部分をぶっとばして「わかる」。
これって、何だろう。
渋谷の「肉体」が動いているだけなのに、ことばに誘われて、読んでいる私の「肉体」が動きはじめている。指の腹に、「かすかにふくらみ/かすかにくぼんで」動くものが行きはじめる。
「いと愛らしき」と書かれていたことばが「アイラシイ」と、わざとカタカナに書き直される。イヤラシクなる。「わかるでしょ?」という感じで迫ってくる。
「ハハア」「ナルホド」とカタカナで書かれていた「口語」が「うふふ」とひらがなに変わるのもいいなあ。
文字までが交錯し、交差し、交わる。いろっぽくなる。
と、書くと、書きすぎ?
渋谷美代子「朝から詩集を」は「紐しおり」が本につくりだす凹凸のことを書いている。最初は何かわからずに、その紙面に刻まれた曲線を「指でなぞりながら」ページをめくっているのだが、
半ばまできて ハハア
栞の紐が途中でくるん、とまるまっているのだ
ナルホドねえ、しばし眺めて紐をのばすと
いと愛らしき小ナスがふたつ
ここだけはくっきりと
紐の幅で刻印された両側のくぼみ
指先でそっとしごいてみても
厚さなどほとんどわからないあみ紐だ
こんなものがアトを残すのか
何でもないことが淡々と書かれている。
ようだけれど、
「ハハア」「くるん」「ナルホドねえ」。渋谷が渋谷と「対話」している。その呼吸がいい。対話し、対話することで納得しながらことばが進んで行く。「くるん」という「口語的」「感覚的」なことばが、
しばし眺めて紐をのばすと
いと愛らしき小ナスがふたつ
あ、「文語調」をまじえて、「小ナス」という具体的なものにかわる。「しばし」もいいし、「のばす」という「動詞」もいいなあ。時間と「動詞」を書くことで、「感覚」だけではなく「肉体」全部が動いている。
それから「指でしごいてみ」るという「動詞」へとつながって、
ここから先は
右のページはかすかにふくらみ
左のページはかすかにくぼんで
「かすか」という「感覚」を媒介に「ふくらむ」「くぼむ」が動き、起伏する。どうしたって、指はそれをたどってしまうねえ。
あえて途中を省略して(意味がわからないようにして)引用するのだが、
のであるが 人指指のはらでそろそろそろそろそろ
朝からアイラシイ曲線をなぞれば(こみ上げる
うふふ
省略してあるからわからないはずなのに、何かが「わかる」。省略してある部分をぶっとばして「わかる」。
これって、何だろう。
渋谷の「肉体」が動いているだけなのに、ことばに誘われて、読んでいる私の「肉体」が動きはじめている。指の腹に、「かすかにふくらみ/かすかにくぼんで」動くものが行きはじめる。
「いと愛らしき」と書かれていたことばが「アイラシイ」と、わざとカタカナに書き直される。イヤラシクなる。「わかるでしょ?」という感じで迫ってくる。
「ハハア」「ナルホド」とカタカナで書かれていた「口語」が「うふふ」とひらがなに変わるのもいいなあ。
文字までが交錯し、交差し、交わる。いろっぽくなる。
と、書くと、書きすぎ?
![]() | 暗い五月―渋谷美代子第二詩集 (1967年) |
渋谷 美代子 | |
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