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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

2021年01月01日(金曜日)

2021-01-01 11:37:23 | 考える日記
 プラトンの『ソクラテスの弁明』を読む。(岩波書店、「プラトン全集1」、1986年06月09日、第三刷発行)
 私が「指針」としていることばがいくつもある。

①それはありあわせの言葉でもって、むぞうさに語られることになるでしょう。

 「借りてきたことば」(流通している「現代思想用語」)をつかわない。

②ひとつずつしらべてみることにしましょう。

 「調べる」とは「ありあわせの言葉(自分がふだんつかっていることば)」で言い直してみること。

③たましい(いのちそのもの)を、できるだけすぐれたよいものにするように、

 私は「魂」の存在を信じていない。ソクラテスは「たましい」を「いのちそのもの」と言い直している。私は、この定義ならば、なっとくできる。「いきていること」を「いきてあること」を、できるだけすぐれたよいものにしたい、と私は望んでいる。
 そのために、読む。

④一人一人に接触して、徳に留意せよと説いてきた

 「徳」については、考えない。「一人一人に接触して」は大事。
 私は詩の感想を書き綴っているが、それはそのつど「ひとり」を相手に向き合っている。ただ、そこに「ひとり」の人間がいきてあることを感じて、それについて私がどう感じたかを書く。
 「接触して」というもの大事だ。「接触」というのは、瞬間的なものである。そのときそのときによって、「接触」する部分が違う。私の状態も一定ではない。
 「ひとりひとりに、そのとき接触して」
 ソクラテスは、これを「各人に個人的につくす」、あるいは「一人一人をつかまえて」と言い直している。
 他の人といっしょにしない。

⑤私人としてあることが必要

 これは①に通じる。「私」の「ありあわせの言葉」で「むぞうさ」に、いきる。公、共通、流通の拒否。

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