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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(33)

2019-12-01 11:53:48 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
田舎の雨

* (雨が降りしきつている)

そのはしばしに白い数字を連らねながら
雨は単一の思想を現わしている

 白い雨、ならば秋の雨だろうか。
 「白い数字」は「思想」の比喩と思って読む。その思想の特徴は「単一」であるということか。「数字」は0から無限まであるが、それを貫いているのは「単一」の思考である。1+1が無限につづいていく。
 だが、この詩は、そういう読み方を裏切って、次のように閉じられる。

--雨は昨日の感情のうえに降りつづける

 なぜ「きょう」ではなく「昨日」なのか。なぜ「知性(理性)」ではなく「感情」なのか。
 考えてみなければならないのは、「昨日の感情」というのは、「いつ」存在しているかということだ。「昨日の感情」をきょう思い出すとき、それは「きょうの感情」ではないのだろうか。きょう思い出しているにもかかわらず、それを「昨日の感情」と呼ぶとき、そこには「理性」が働いている。「数字」のようなものが働いている。
 さて。
 では「理性」と「感情」と、どちらが世界を存在させているのか。
 嵯峨の抒情詩は、感情を理性でととのえる形で動くものが多い。理性が真理であるけれど、真理は「感覚」としてはとらえにくい。「理性」が論理の力でつかまえるものである。そうやってつかまえた論理を、具体的なものの中に還していくとき、その感覚世界が感情と言う形、抒情になるのかもしれない。




*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
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