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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

レニー・アブラハムソン監督「ルーム」(★★)

2016-04-11 07:29:52 | 映画
監督 レニー・アブラハムソン 出演 ブリー・ラーソン、ジェイコブ・トレンブレイ

 架空のストーリーかと思っていたが。
 いや、映画なのだから架空ではあるのだが、描き方が架空ではない。現実的。ということは、こういう問題がアメリカでは日常的に起きているということだろうか。
 特にそれを感じたのが、ブリー・ラーソンがテレビのインタビューを受けるところ。このインタビューも、実は「金稼ぎ」(出演料が出る)というのが、なんともアメリカ的。「謝礼」というよりも「出演料」らしい。映画のなかで、「これから金がかかる。○○テレビだけ出演料を提示した」というような会話が出てくる。
 で、そのテレビのインタビューが、またすごい。「将来、子どもに父親のことをどう話すのか」と質問する。「父親はいない」「感情の問題ではなく、生物学的な問題としての質問だ」みなたいなやりとりがある。うーん。被害者への配慮なんて、ひとかけられない。どういう発言を引き出せば視聴者が興奮するかということしか考えていない。ブリー・ラーソンが涙ぐんでも平気。「視聴者は、感情を見たがっている」というようなことを平気で言うのである。
 まあ、こういう映画を見に行く私も、被害者の「感情」を見たいと思って見に行くわけだから、テレビのインタビューがすごい、なんて言っても始まらないのかもしれないが……。始まらないのだけれど、アメリカのテレビはすごい、と唸るのである。
 しかし。
 この映画は(あるいは原作の「小説」は)、いったい何を描きたかったのだろう。
 いくら母親が熱心に教育してきたとしても、子どもがあんなふうに知識/ことばを身につけるとは私には信じられない。映画なのだから、フィクションなのだから、ではすまされない。テレビと本、母親の歌を聞き、そこからことばを覚えられるだろうか。言い換えるとフィクションから、ことばを覚えられるだろうか。感情を生み出す(育てる)ことができるだろうか。視覚と聴覚だけで、ことばを覚えられるだろうか。「ルーム」には、いろいろなものがあり、椅子、ベッド、シンク(流し)などに子どもは触れるけれど、それでは情報がかぎられすぎている。触覚が働かない。現実の手触りが少なすぎる。言い換えると刺戟がなさすぎる。また、広がりが少なすぎる。距離感がない。空間感覚(肉体感覚)がないところでは、ことばは身に付かないのではないか。
 三重苦のヘレン・ケラーは、ことばを思い出す(ものにことばがあるということを思い出す)のは、井戸の水を手に受けたときである。「触覚」がことばを世界へと広げる。手で触りながら(同時に他者に触られながら)、様々な欲望が刺戟され、ことばとなる。「広がり」と「実物」が欠如した世界では、ことばは「不必要」になり、発達しないのではないか。「刺戟」に対する反応が、ことばなのではないか。「刺戟」を受け、それに対して何かしようとするとき、ことばが肉体のなかを駆け抜ける。具体的刺戟がないところでは、ことばは文法化されず、断片になってしまう。文法化して、誰かに伝える必要がないところでは、ことばは育たない。どんなに母親が意識的であっても、母親ひとりでは刺戟にならない。
 最初に保護された警官には口をきけても、次に会うおじいちゃん、おばあちゃんには口がきけないというも、状況としては不自然であり、ご都合主義的だ。
 母親のブリー・ラーソンの描き方も、なんとも奇妙である。とっさに息子の病気、死亡を思いつくくらいなら、内側に設定された番号キーなど七年も時間があるなら開けられそうである。だいたい同じ数字を押しつづけていれば、キーの色が変化してくる。それだけでも組み合わせは限定されるし、1から順番に組み合わせていけば七年もあれば開く数字に出会えそうである。被害者の家庭(両親)が裕福すぎる(?)のも、どうにも嘘くさくていけない。
 どうも、この映画は「現実」を描くというよりも、アメリカで頻発する誘拐事件とその解決後の向き合い方はどうあるべきか、ということを「啓発」するためにだけつくられている感じがする。そこが、どうにもうさんくさい。被害女性がどう苦しんでいるか、そのこころの内部まで入り込んで訴えるのではなく、被害女性に会ったとき、どういう向き合い方をすべきかという「手本」を描こうとしているとしか思えない。そういう「手本」が必要なくらい、アメリカでは誘拐が頻発しているということなのだろう。
 アメリカ映画は、人種的マイノリティーは既に描いた。性的マイノリティーも何度も映画化されている。「難病」マイノリティーも描いた。残されたのは「犯罪被害者」というマイノリティーである。そこに目を向けた映画である。マイノリティーを演じると、アカデミー賞では受賞しやすい。(「有名な個人」を描いた映画でも受賞しやすい。「有名人」というマイノリティーである。)「私たちはあなたを忘れてはいません。あなたたちの苦悩に寄り添います」というメッセージを賞を与えているという面があるかもしれない。ブリー・ラーソンの演技が「悪い」というわけではないが、マイノリティーを演じたために高く評価されている部分があるとも思う。
                       (2016年06月11日、天神東宝3)




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