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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(6)

2019-05-26 08:21:32 | 嵯峨信之/動詞
* (ここやあそこの町や村々に)

ああ その時
ぼくの傍らを通りすぎる者がある
そのしずかな無名の通行人
はて知れぬ遠くへ去つていくその者こそ
たえずぼくを呼んでいた者である

 「しずかな」と「呼ぶ」という動詞が呼応しているのを感じる。
 「しずか」は無言である。「呼ぶ」は声を出す。だから、それは「矛盾」だが、矛盾だからこそ、そこに詩がある。
 「しずか」が肉体が抱えている無言の声、発せられなかった「声」を聞き取る。それは聞き取った人にだけ「呼び声」として聞こえる。
 強いつながりが生まれ、そのつながりのなかで主客は交代する。
 嵯峨は、町や村々を静かに通りすぎる人になることで、詩人になる。




*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
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