* (ここやあそこの町や村々に)
「しずかな」と「呼ぶ」という動詞が呼応しているのを感じる。
「しずか」は無言である。「呼ぶ」は声を出す。だから、それは「矛盾」だが、矛盾だからこそ、そこに詩がある。
「しずか」が肉体が抱えている無言の声、発せられなかった「声」を聞き取る。それは聞き取った人にだけ「呼び声」として聞こえる。
強いつながりが生まれ、そのつながりのなかで主客は交代する。
嵯峨は、町や村々を静かに通りすぎる人になることで、詩人になる。
*
詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメールでも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)
ああ その時
ぼくの傍らを通りすぎる者がある
そのしずかな無名の通行人
はて知れぬ遠くへ去つていくその者こそ
たえずぼくを呼んでいた者である
「しずかな」と「呼ぶ」という動詞が呼応しているのを感じる。
「しずか」は無言である。「呼ぶ」は声を出す。だから、それは「矛盾」だが、矛盾だからこそ、そこに詩がある。
「しずか」が肉体が抱えている無言の声、発せられなかった「声」を聞き取る。それは聞き取った人にだけ「呼び声」として聞こえる。
強いつながりが生まれ、そのつながりのなかで主客は交代する。
嵯峨は、町や村々を静かに通りすぎる人になることで、詩人になる。
*
詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメールでも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)