ウラジミール・ナボコフ「音楽」(「短篇全集Ⅱ」作品社)の書き出しに部分におもしろい文章が出てくる。
鏡のなかの像がかってにネクタイの結び目を直すということはありえない。ヴィクトル・イヴァノヴィチが鏡を見ながらネクタイを直すのである。
これだけならきどった文章というべきかもしれない。
しかし、この、一種の鏡を見ているような錯覚に読者を引き込む文章は、その後の作品に呼応している。
ヴィクトル・イヴァノヴィチは常に作品のなかで、まるで鏡に映った自分をみつめるように、そして鏡のなかの像が動いて、それが彼自身を支配しているかのように、つまり、ある「像」が先行し、その像にあわせて彼が動いているかのような印象をあたえる。
短篇の文章の醍醐味を味わった。
鏡に映ったヴィクトル・イヴァノヴィチの姿が、ネクタイの結び目を直した。
鏡のなかの像がかってにネクタイの結び目を直すということはありえない。ヴィクトル・イヴァノヴィチが鏡を見ながらネクタイを直すのである。
これだけならきどった文章というべきかもしれない。
しかし、この、一種の鏡を見ているような錯覚に読者を引き込む文章は、その後の作品に呼応している。
ヴィクトル・イヴァノヴィチは常に作品のなかで、まるで鏡に映った自分をみつめるように、そして鏡のなかの像が動いて、それが彼自身を支配しているかのように、つまり、ある「像」が先行し、その像にあわせて彼が動いているかのような印象をあたえる。
短篇の文章の醍醐味を味わった。