goo blog サービス終了のお知らせ 

詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

草野早苗『祝祭明け』

2022-11-27 17:30:03 | 詩集

 

草野早苗『祝祭明け』(思潮社、2022年09月30日行)

 草野早苗『祝祭明け』は、どの詩も「文体」が安定している。ことばの「出所」をしっかりとつかんでいるという印象がある。こういう書き方は、あまりにも抽象的かもしれない。どう言い直すことができるか。
 たとえば「石段」。

港へ直進する大通り
古い石造りの建物にある
薄日の射す石の階段
断りもせず下から八番目に座る

 なぜ「下から八番目」なのか。理由は書いていない。あとで書くのかもしれないが、一連目を読んだときはわからない。しかし、この「下から八番目」には、何かしら草野の「意識」があることがわかる。明確な意思があるから「断りもせず」に座るのである。
 この明確な意思は、書き出しの「直進する」という、かなり硬い響きのことばにも反映している。何かを見極めている人間の視線を感じるが、この「下から八番目」にこめられている意思とは、どんなものなのか。

港の岸壁から海に下りる石段
使われているのかいないのか
海水が行き場を失って諦めたように石段の足を洗い
私はその少し上の段に座る

 このとき、その石段の「下から八番目」に座ったのではないのかもしれない。もしかするのと「上から八番目」かもしれない。海の中に沈んでいる石段の数を確認して「八番目」を選んだとはいえないだろう。そうだとすれば、その位置を決めるのはなんなのか。
 「少し上の段」と草野は書く。
 この「少し」が草野の思想なのだ。距離の取り方。「少し」何かから離れる。しかし、完全に離れるのではない。距離を意識している。それは、たとえば「水」との距離ではない。「使われているのかいないのか」という行に注目すれば、草野は「人との距離」を意識しているのである。
 ある建物の階段。それが何段あるか知らないが「下から八番目」。途中である。侵入ではない。しかし、無視でもない。接近である。近づきながら、何かを確かめているのかもしれない。相手を確かめるというよりも、自分を確かめるのだろう。
 どういうことか。
 「告知」という詩が、巻頭にある。天使・ガブリエルがマリアに近づく。

告知方法その1
思い切って扉を開けて
蒼ざめた顔で座っている乙女に告げる
「あなたの体に神の子が宿っておられます」
懐に隠し持ってきた白百合を差し出し
聖母となる人に敬意を見せる
乙女は驚愕のうちに思わず花に手を伸ばすが
受け取る指がおぼつかない
どこかで鐘が鳴っている

告知方法その2
思い切って扉を開けて
蒼ざめた顔で座っている乙女に告げる
「あなたの体に神の子が宿っておられます」
両手を胸の上で交差する
それは乙女への深い思いやり
乙女は驚愕と不安を抱えつつ
謙虚に両手を胸の上で交差する
どこかで仔羊が鳴いている

 フラ・アンジェリコに託して書いた詩だが「敬意を見せる」「深い思いやり」ということばが、草野の「距離の取り方」なのである。この「敬意」と「思いやり」が草野のことばの「暴走」を抑制している。
 ガブリエルのしていることは、善でも悪でもなく、ひとつの「事実」(真実)である。真実であるけれど、やはりひとにそれを告げるとき、そこには「敬意/思いやり」のようなものが必要である。そのとき、そこに生まれる「距離」が、人間関係を支えているのである。草野には、そういう認識があると思う。
 この「告知」で繰り返される「どこかで」ということばは何気ないことばだが、やはり草野の思想をしっかりとあらわしている。「距離」(あるいは方向)が特定できない。けれど、「存在」は確実に「存在する」。それを信じることができる。だから「距離」も置くことができる。いま、それに直に触れていなければならないのではない。信じていれば触れることができる。けれど、触れるためには常に「ある距離」を保つようにして、それに近づいていなければならない。
 「湖」には、静かな一行がある。

いつか私を迎えに来てくれるといいのだけれど

 これは不安、願いというよりも、「いつか私を迎えに来てくれる」ものがいると確信していることば、ひとつの安らぎのことばである。それを待つために、草野は「距離」を守るのである。

 

 


**********************************************************************

★「詩はどこにあるか」オンライン講座★

メール、skypeを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、ネット会議でお伝えします。

★メール講座★
随時受け付け。
週1篇、月4篇以内。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。

★ネット会議講座(skypeかgooglemeet使用)★
随時受け付け。ただし、予約制。
週1篇40行以内、月4篇以内。
1回30分、1000円。
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。

費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
少なくとも月1篇は送信してください。


お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com


また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571

オンデマンドで以下の本を発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977

 

 

問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com

 

 

 

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Estoy loco por espana(番外... | トップ | 三木清「人生論ノート」から... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

詩集」カテゴリの最新記事