詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

アルメ時代 18 アリシアへの手紙

2019-05-14 11:08:21 | アルメ時代
 私は今、細く入り組んだ道の両側に家が立ち並んだ街にすんでいますが、生まれ育ったのは田舎です。道はまっすぐではないけれど、山の形や川の流れにあわせた必然的な曲がり方で、入り組んではいません。どこかとどこかをつなぐといった明確な目的を持っています。道ということばとともに思い出すのは、野の道を、全身に風を感じながら歩いて、やがて街へたどりついた日のことです。まっすぐな道の両側に同じ形の家が並んでいました。真昼で、影はひとつも落ちていないのに、何か暗いものを見たように思いました。
 私の両親もあなたの両親と同じように、農業のことしか考えていません。ブドウやオリーブではなく、米と少しばかりの青い野菜を作っています。米がうまくできるかどうかだけをいつも心配しています。それはある意味で美しい生活だと思います。しかし、その美しさの底には暗いものがひそんでいます。彼らは、幸福については、かなり冷たいところがあります。自分たちの幸福のことしか気にかけません。他の人々の不幸を見て、私たちはまだ幸福だと考えるような消極的なところもあります。やせた土地で生き続けてきたものの知恵なのかもしれません。道のかわりにこころが入り組んだのかもしれません。
 
 私とはときどきほんとうは何が書きたかったのかわからなくなります。実はあなたたちが「ドゥエンデ」と呼ぶものについて、二、三教えてもらいたいことがあったのです。ゴヤについて学んだとき、何度かそのことばに出会いました。一種の暗さをさすことばだと理解しています。しかし単なる暗さではなく、燃えるようなひとつの状態のようにも思われます。いのちのありようといってもいいと考えています。
 手紙を書きだすまでは、それは両親の幸福感や、野の道の入り組み方にいくらか似たところがあるのではないかと考えていました。しかしぼんやりと考えていたことは、ことばにし、少しずつ追い詰めていくと、いつもどこかへずれていってしまいます。

 「ドゥエンデ」とは何ですか、と単純にたずねればよかったのかもしれません。けれどそれでは何の答えも得られないのだと感じているのです。
 私は答えではなく、あなたがわたしの手紙を読む、その時間、私のそばにいてくれることを願って手紙を書いていることを知っているからです。
 ¿Qué quieres decir con estas palabras?  私は再び、あなたの、その疑問に出会うだろうと思います。ほんとうのことを言えば、私にも何か言いたいのかよくわからないのです。たぶん私は、私の中の不分明な私と正しく向き合うために、あなたに手紙を書いているのだと思います。
 一人の人間がもう一人の人間を見つけ出すまで、そばにいてくれる忍耐心をもっておられることを願ってペンを置きます。

 雨が降り始めました。窓から手を出して受けてみると、もう雨が冷たい季節です。


















(アルメ239 、1986年2月10日)

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