goo blog サービス終了のお知らせ 

詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(85)

2019-08-12 10:37:43 | 嵯峨信之/動詞
* (石を疑う)

動かぬものに何の意味があるのか

 私は、「石は疑う」と「主語」を変えて読む。つまり、「自問」として、嵯峨の思考として。
 石は対象ではなく、「比喩」としての「自己」である。
 だから、最後にこう書かれる。

いや 石は沈黙に疲労したのだ

 もし石が「他者」(自己でないなら)、文末は「疲労したのだろう」と推量になる。自己であるからこそ「疲労した」と断定できる。




*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 年金75歳の罠 | トップ | 嵯峨信之『土地の名-人間の... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

嵯峨信之/動詞」カテゴリの最新記事