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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

岡島弘子「ハエの皮膚呼吸」

2016-08-27 10:27:48 | 詩(雑誌・同人誌)
岡島弘子「ハエの皮膚呼吸」(「交野が原」81、2016年09月01日発行)

 岡島弘子「ハエの皮膚呼吸」はタイトルが魅力的だ。なんだか、わからない。わからないから、ちょっと身構える。その瞬間に、ことばが新しくなるのかもしれない。タイトルは重要だ。

先生を好きになっても装うことを知らず
受け持ちの理科と数学を勉強した
クラブ活動は先生の顧問の化学部に友達を誘って入部
女子は二人だけだった
先生の指導の下アミノ酸しょうゆやクリームをつくった
実験をおえて帰る家路はあたたかい闇

 中学時代(?)の思い出が、散文のリズムで語られる。このときのつかず、離れず、という感じがおもしろい。思い出すことはいろいろあるのだろうけれど、そこにのめりこまずに、一行目から五行目まで、淡々とことばを動かしている。そのあとの、「実験をおえて帰る家路はあたたかい闇」の「あたたかい」がほーっと思う。誘い込まれる。誰かを好きになって、そのために夢中になって、何かをやっている。そのときの「体温」の上昇。外に出ると、その「体温」のために、ふつうは空気が「冷たく」感じる。でも、岡島は逆に「あたたかい」と書く。あ、そうなのか。好きになって、何かをしていたときの「体温」が一瞬にして外に広がり、外の空気の温度を上昇させるのだ。それほど「夢中」になっていたのだ。
 ここで、私は、岡島のことばにのめりこんでしまう。つまり、岡島になってしまう。

夏でも朝は肌寒い
天井にはこごえたハエがじっとしている
ジャムの空きビンに水を入れビンの口でおおうとポトポト残らず落ちてきた
観察すると 水中のハエの体にびっしりと泡がついている
皮膚呼吸しているのだろうか

「ハエの皮膚呼吸」と題した自由研究が選ばれ
発表会に出品されることになった

 ふーん、ここからタイトルがとられているか、と思うと同時に、うーん、とうなってしまう。私は、「岡島」になってしまっているので、「水中のハエの体にびっしりと泡がついている/皮膚呼吸しているのだろうか」とハエを観察する岡島に、「実験をおえて帰る家路はあたたかい闇」の「あたたかい」を感じた「皮膚感覚」を重ねてしまうのだ。あ、いま「岡島」は「ハエ」になって自分を観察し直している、と感じてしまうのだ。「あたたかい闇」と感じたとき、岡島(私)は、闇を「皮膚呼吸」していたのだ。皮膚で闇を吸い込み、皮膚から吐き出す。そうすると体の中の熱が闇をあたため、あたたかくする。そのあたたかい闇をまた岡島は皮膚呼吸して体のなかに取り入れる。

発表会の会場の学校まで先生の自転車のうしろにのせてもらって出発する日
「うらやましい」といいながらクラスの女子全員が見送りに来た
あこがれの先生が目当てだったのだ

 ここには「皮膚感覚」は出てこない、ようにみえる。しかし、やっぱり「皮膚感覚」があるなあ。自転車のうしろに乗る。そのとき、自転車から落ちないように先生の体にしがみついていないといけない。「皮膚」が直接触れ合うわけではないが、好きな先生の体に手をまわすのだから、それは「皮膚」がふれるのと同じ。直接触れないだけに、よけいに、もっと触れている感じがするかもしれない。

「ブドウが実っているね」 話しかけてくる先生に私は黙っていた
真っ赤になって固まっていたのだ
息もできず ハエのように皮膚呼吸していた
「どうしたの」とふりかえる先生

 「皮膚呼吸」がハエと一緒に、もう一度出てくる。「ハエのように」という直喩は「ハエ」にひきずられてしまうが、「皮膚呼吸する」という「動詞」が、ほんとうの「比喩」。実際に人間が皮膚呼吸するわけではないから、この「皮膚呼吸する」が、見逃してはいけない「比喩」なのだ。いまあることば(日常のことば)では伝えることのできない「ほんとう/正直」があふれている。
 このことばは、繰り返しになるが、一連目の「あたたかい闇」の「あたたかい」から始まっている。
 「息もできず ハエのように皮膚呼吸していた」岡島は、何を感じていたか。先生の「あたたかい」体温を皮膚で感じていたのだ。皮膚が岡島の体温を吐き出し、皮膚が吐き出した体温にそまった空気を吸う。そこには先生の体温もまじっている。
 私は、女子中学生になって、なんだか、どきどきしてしまうのだった。

 このあと、詩は(あるいは、岡島と先生は、と言ってしまった方がいいのかもしれないが)、どうなるのだろう。

おもいきって
友達を誘って先生の家をたずねた
美しい奥さまに迎えられ めずらしいお菓子をごちそうになった
先生はるすだった

若葉が光に痛む 青く固いブドウのまま
卒業式を迎えてしまった

 「好き」とも言えずに終わってしまった初恋。しずかに閉じられる詩だが、遠い日の「皮膚呼吸/皮膚感覚」が、まだ初恋をおぼえている。「皮膚」ということばといっしょに、生きている。

ほしくび
岡島 弘子
思潮社

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