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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『小詩無辺』(1994)を読む(35)

2020-02-22 11:15:04 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (無自覚で 空白で 自分を捨てたとき)

一つの言葉が
ぼくの心の奥を掠めた

 このときの「一つの言葉」とはどんなことばだろうか。具体的には何だろうか。花や鳥といった具体的なことばか。愛や祈りというような抽象的なことばだろうか。
 私は、どちらでもないと思う。
 「言葉」としか呼べないもの、まだ具体的なことばにはなっていない何か、だと思う。
 嵯峨が詩人だから「言葉」と感じるのであって、音楽家なら「音」、画家なら「色」、彫刻家なら「形」かもしれない。
 その人を、肉体の奥から揺さぶる「本質的なもの」、生まれる前の「真実」のようなもの。
 「それ」とか「あれ」としか呼べないもの。
 しかも、それは「掠めていく」だけなのだ。希望のように。あるいは絶望のように。



*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
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私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)

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