伊武トーマ「反時代的ラブソング」(「みらいらん」1、2018年01月20日発行)
伊武トーマ「反時代的ラブソング」は2011年3月11日から書き起こされている。「二〇一一年 月 日 (瓦礫の街)」という作品。そこに「日付」はない。この詩で、私は何度も立ち止まる。
食料や水がなくなったように、「声」もなくなったのだ。「声」を使い果たしたのだ。ひとを呼び続けて。その「声が出ない」ということを、ことばにするまでに七年以上、八年近くかかった。「出来事は遅れてあらわれる」と季村敏夫は『日々の、すみか』で書いた。遅れてあらわれて、いまを突き破って、未来へと動いていく。
「声」は次のように言いなおされる。
呼ばれること、呼ぶこと、声を出し、声を聞くこと。それがどんなにすばらしいことか。声をなくして、わかる。「チビ、デブ、ヤセ、ハゲ、ブス、バカ、カス、デクノボウ」。どれでもいいが、そうののししあうことができたら、どんなにいいだろう。「おまえなんか、死じまえ(いなくなってしまえ)」と言ってしまうのは、いっしょにいたいからなのだ。自分の言いたいことを言える相手、自分の声を受け止めてくれるひとがいることほどすばらしいことはない。
この連につづいて、
ふいに「情景」がかわる。このとき妊婦は何も言っていない。彼女も「声」を失っている。使い果たしている。しかし、「声」が聞こえる。それは「ことば」にはできない。「ことば」にはならない。その「声」に自分の「声」で再現しようとすると、「肉体」の奥から使い果たしたはずの「自分の声」が飛び出してくる。「自分の声」になってしまう。
「互いに声を掛けようにも声が出ない」のは、それが「相手」にかける「声」ではなく、自分が、ただ「叫びたい声」になってしまうからだ。
「声」のなくし方(失い方)には、もうひとつあったのだ。大声でいないひとの名前を呼び続け、声がかすれて出なくなったというだけではない。「声」をはりあげ、叫んでいるときは気がつかない。
ひとを大声で呼ぶのは、大声で呼べば聞こえるかもしれないと思うからだ。
でも、ひとは大声を張り上げるだけではない。ときには静かな声でひとと向き合うこともある。その「静かな声」を出す「機会」そのもの、それが「奪われた」のだ。それを失ったのだ。
「二〇一一年 月 日 (名もなき人びと)」は
と、「ならない」が繰り返してはじまり、その最終連。
忘れないために、いま、伊武は「声」を書いている。
*
「詩はどこにあるか」11月の詩の批評を一冊にまとめました。
(12月号は、いま制作中です。完成次第、お知らせします。)
詩はどこにあるか11月号注文
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ここをクリックして1750円の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。
オンデマンド形式です。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
目次
カニエ・ナハ『IC』2 たなかあきみつ『アンフォルム群』11
林和清『去年マリエンバートで』15 夏目美知子「雨についての思索を一篇」18
北川透「「佃渡しで」を読む」21 野木京子「小石の指」31
疋田龍乃介「ひと息に赤い町を吸い込んで」34 藤本哲明『ディオニソスの居場所』37
マーサ・ナカムラ『狸の匣』40 星野元一『ふろしき讃歌』46
暁方ミセイ『魔法の丘』53 狩野永徳「檜図屏風」と長谷川等伯「松林図屏風」58
暁方ミセイ『魔法の丘』(2)63 新井豊吉『掴みそこねた魂』69
松本秀文『「猫」と云うトンネル』74 松本秀文『「猫」と云うトンネル』78
山下晴代『Pale Fire(青白い炎)』83 吉田正代『る』87
福間明子『雨はランダムに降る』91 清川あさみ+最果タヒ『千年後の百人一首』95
川上明日夫『白骨草』107
*

詩集『誤読』を発売しています。
1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
オンデマンド形式なので、注文からお手もとに届くまでに約1週間かかります。
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伊武トーマ「反時代的ラブソング」は2011年3月11日から書き起こされている。「二〇一一年 月 日 (瓦礫の街)」という作品。そこに「日付」はない。この詩で、私は何度も立ち止まる。
まだ
沢山の人々が瓦礫の下にとり残されている。
けれど避難指示区域に助けは来ない。
中学生や高校生
年寄りも関係ない。
残った男たちは皆自力で瓦礫を片づける。
食料も水もなく、
互いに声を掛けようにも声が出ない。
食料や水がなくなったように、「声」もなくなったのだ。「声」を使い果たしたのだ。ひとを呼び続けて。その「声が出ない」ということを、ことばにするまでに七年以上、八年近くかかった。「出来事は遅れてあらわれる」と季村敏夫は『日々の、すみか』で書いた。遅れてあらわれて、いまを突き破って、未来へと動いていく。
「声」は次のように言いなおされる。
チビ、デブ、ヤセ、ハゲ、ブス、バカ、カス、デクノボウ……
誰もが一度はどれかと呼ばれ、
誰もがどんなに愛おしく、
誰もがどんなに美しく、
かけがえのないこの街で、
誰ひとりいなくていい者はいなかった。
呼ばれること、呼ぶこと、声を出し、声を聞くこと。それがどんなにすばらしいことか。声をなくして、わかる。「チビ、デブ、ヤセ、ハゲ、ブス、バカ、カス、デクノボウ」。どれでもいいが、そうののししあうことができたら、どんなにいいだろう。「おまえなんか、死じまえ(いなくなってしまえ)」と言ってしまうのは、いっしょにいたいからなのだ。自分の言いたいことを言える相手、自分の声を受け止めてくれるひとがいることほどすばらしいことはない。
この連につづいて、
傘もなく
雨に打たれ妊婦が海辺に立っている。
白い息をはずませ、
突き出たお腹をさすりながら
遥か沖
漂う船をみつめている。
ふいに「情景」がかわる。このとき妊婦は何も言っていない。彼女も「声」を失っている。使い果たしている。しかし、「声」が聞こえる。それは「ことば」にはできない。「ことば」にはならない。その「声」に自分の「声」で再現しようとすると、「肉体」の奥から使い果たしたはずの「自分の声」が飛び出してくる。「自分の声」になってしまう。
「互いに声を掛けようにも声が出ない」のは、それが「相手」にかける「声」ではなく、自分が、ただ「叫びたい声」になってしまうからだ。
生徒は先生をバカにしていた。
先生も腫れものに触るように生徒と接していた。
(略)
差別のないはずの社会で差別があったことも、
いじめがないはずの学校でいじめがあったことも、
虐待がないはずの家で虐待があったことも、
すべては瓦礫の下に埋もれ、
もはや謝ることも赦しを乞うこともできない。
「声」のなくし方(失い方)には、もうひとつあったのだ。大声でいないひとの名前を呼び続け、声がかすれて出なくなったというだけではない。「声」をはりあげ、叫んでいるときは気がつかない。
ひとを大声で呼ぶのは、大声で呼べば聞こえるかもしれないと思うからだ。
でも、ひとは大声を張り上げるだけではない。ときには静かな声でひとと向き合うこともある。その「静かな声」を出す「機会」そのもの、それが「奪われた」のだ。それを失ったのだ。
「二〇一一年 月 日 (名もなき人びと)」は
流された家。
屑鉄となった車。
打ち上げられた船。
瓦礫を押しやり道を開かなければならない。
向こう岸へと橋を架け直さなければならない。
陥没した道路を掘り、
水が噴き出す排水管を塞がなければならない。
と、「ならない」が繰り返してはじまり、その最終連。
ニュースにもならない。
テレビにも映らない。
物語の外で人であることの温もりをつないだ
ヒーローでもヒロインでもない、
名もなき人びとのことを決して忘れてはならない。
忘れないために、いま、伊武は「声」を書いている。
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クリエーター情報なし | |
思潮社 |
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「詩はどこにあるか」11月の詩の批評を一冊にまとめました。
(12月号は、いま制作中です。完成次第、お知らせします。)
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オンデマンド形式です。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
目次
カニエ・ナハ『IC』2 たなかあきみつ『アンフォルム群』11
林和清『去年マリエンバートで』15 夏目美知子「雨についての思索を一篇」18
北川透「「佃渡しで」を読む」21 野木京子「小石の指」31
疋田龍乃介「ひと息に赤い町を吸い込んで」34 藤本哲明『ディオニソスの居場所』37
マーサ・ナカムラ『狸の匣』40 星野元一『ふろしき讃歌』46
暁方ミセイ『魔法の丘』53 狩野永徳「檜図屏風」と長谷川等伯「松林図屏風」58
暁方ミセイ『魔法の丘』(2)63 新井豊吉『掴みそこねた魂』69
松本秀文『「猫」と云うトンネル』74 松本秀文『「猫」と云うトンネル』78
山下晴代『Pale Fire(青白い炎)』83 吉田正代『る』87
福間明子『雨はランダムに降る』91 清川あさみ+最果タヒ『千年後の百人一首』95
川上明日夫『白骨草』107
*

詩集『誤読』を発売しています。
1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
オンデマンド形式なので、注文からお手もとに届くまでに約1週間かかります。
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