詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

高橋睦郎『深きより』

2020-11-11 09:53:07 | 高橋睦郎『深きより』


高橋睦郎『深きより』(思潮社、2020年10月31日発行)

 高橋睦郎『深きより』は「古典」と高橋の交流(セックス)がテーマ。「古典」がどんなふうに高橋の「肉体(思想/ことば)」になったか。ことばを交わらせることは、肉体を交わらせることである。苦痛が快楽になったり、快楽が苦痛になったりする。その「刺戟」のなかで肉体は肉体を超える。自分以外のものになる。この苦痛は私のものか、相手のものか、相手の快楽は相手のものか、私のものか。交わっていると、そういう「区別」は無意味になる。この詩集に割り込んで行く(ことばをさしはさむ)のは、セックスしている最中の高橋にすりよっていくことになるのか、あるいは高橋の相手を奪うことになるのか。割り込もうとしたけれど、どこにも入り込む余地はなく、そばで傍観しているだけに終わるのか。これは、まあ、私自身の「肉体」をためされることだな、と思う。私は「野次馬(デバ亀)にすぎないので、少しずつ「覗き見た」部分、覗き見して興奮した部分について書いていくことにする。(高橋は「正字体」の漢字をつかっているが、私のワープロは簡略した漢字しかもっていないので、表記は正確ではない。詩集で確認してください。ルビも省略した。)
 「深きより」は稗田阿礼。

母が呼び 父が呼び 一族の誰彼がくりかへし呼んだ 私の名
呼んでは 耳から注ぎこみ 頭蓋に満たした言葉 ものの名

 「呼ぶ」が「耳から注ぎ込み」と言い直される。私は、この瞬間に奮える。私の知らなかった「セックス」がある。見落としていた「セックス」と言い換えることができる。
 「呼ぶ」とは「こっちへ来い」ということである。呼ばれたら、呼ばれた方へ行く。動くのは「私」である。
 ところが高橋はこれを逆にとらえる。「呼ぶ」とはだれかが私の方へやってくるだけではなく、私の肉体(耳)に入り込んでくる。
 俗な言い方をすると、女に呼ばれて女の方に近づいていったら、(女の肉体に侵入するつもりでいたら)、つかまえられて女が自分の肉体に侵入してきた。男でいたつもりが、突然、自分の肉体が女になった感じ。
 ペニスを挿入するつもりが、何かわけのわからないもの、知らないものが侵入してきて、私をいっぱいにする。侵入してきたものを感じるしかなくなる。犯されて、犯されながら犯すものが私自身になる。
 「言葉」という新しい肉体。「名前」という不思議な「肉体」。
 このとき高橋は「肉体」を「頭蓋」と言い直している。高橋は「セックス」を「頭蓋」でおこなうのだ。「言葉/名」が交わるのは「頭蓋という肉体」なのだ。

おどろおどろしい神神 嫉み深く血なまぐさい王たち 妃たち
聞きたくない 憶えたくない なのに押さへつけられ 強制され
そのうち それら 異形の影たちは 私の分けられない一部に
口をひらくと 漏れた咽喉の闇から 一回ごとに生れ 現れ

 「セックス」は、ときには本人の意思とは関係がない。「聞きたくない 憶えたくない」は「交わりたくない」の「ない」を含む。「なのに押さへつけられ 強制され」ることがある。強制されるのは苦痛である。しかし苦痛は快楽にもなる。肉体の反応は、ときに、意志とは関係なしに起きる。「私」を超越している。「私」を超越したものが、私の内部から生まれるのだ。それは「私の分けられない一部に」になっている。「私ではないものが、私になる」とき、その「私ではないもの」こそ、相手にとっての「私」、求めている「肉体」なのだ。
 「口をひらく」とき、「漏れた咽喉の闇から 一回ごとに生れ 現れ」るのは何か。「言葉」か。「耳から注ぎこ」まれた「名」か。その「名」が、もとの「名」のまま出てくることを相手は待っているのか。それとも違うことば(声)になってあらわれるのを期待しているか。それは、わからない。わかるのは、そういうことが「一回ごと」であるということだ。
 一期一会。
 「セックス」は何度くりかえしても、一期一会である。同じ肉体、同じ官能ではない。そのつど変わっていくものである。
 しかし。

人びとはくりかへし私に語らせ 聞いては頷き 手を拍つた
しかし それが文字に姿を変へられ 紙の上に記され終はると
私は用無し 忘却の葦舟に入れられ 流し 棄てられた

 高橋がここで書いているのは「古事記」完成後の稗田阿礼の運命だが、私はそれを「声」の運命と「誤読」する。
 「声」は「文字」として記されると捨てられてしまう。「声」のなかにあった「肉体」は捨てられ「意味」が残される。
 しかし、「セックス」はいつでも「声」である。「意味」にならない何か、「意味以前」である。私はそういう部分を探し、「誤読」を楽しむ。

 高橋のこの詩集の詩は「意味」が非常に強い。しかし、その「意味」になる過程で「肉体」がなまなましく動く瞬間がある。「意味」が「セックス」をし、「新しい意味(新しい解釈)」を誕生させるのだが、私はその「新しいなにか」よりも「新しくなれないなにか」の方に関心がある。
 どんなに「定義」を変えようが、「セックス」というのはようするに、私とあなたは違う存在であるとわかっていながら、どこかで一致するものがあるかもしれないと勘違いし、「意味」にならない「肉体」を交わらせることである。「意味」が生まれる前の苦痛と快楽に溺れることである。私自身がどうなってもかまわないと覚悟することである。
 私のことばがこれからどうかわるのか。見当がつかないが、結論を想定せずに、二十七篇の詩、対話と交わってみることにする。もちろん、こんな考えは、あした突然、「やめた」に変わるかもしれないが。





 




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高橋睦夫「深きより」 (大井川賢治)
2024-03-23 00:07:28
高橋睦夫さんの詩「深きより、27編」全てを、谷内さんのご案内で覗いてきましたが、いままで経験したことのない詩ばかりでした。いい経験にはなりましたが、リピートしたい気持ちは今はありません。谷内さん、ありがとうございました。

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