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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『小詩無辺』(1994)を読む(20)

2020-02-07 09:45:22 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (空をゆく鳥は跡を残さない)

なぜ地上を歩くものは跡を残すのか
それは言葉があるからだ

 「飛躍」のなかに詩がある。
 問題は、なぜ「飛躍」と感じるか、というところにあるかもしれない。「飛躍」とは言い方を変えれば「論理の逸脱」である。「逸脱している」のに「逸脱していない」と言い張るときに「飛躍」という印象が入り込む。それは「驚き」と言い換えてもいい。
 「逸脱」はまた「間違い」でもある。「間違い」は非論理的なものだが、「それは……からだ」という「論理の構造(構文)が「間違い」を「論理」にしてしまう。「事実」よりも「ことばの構造」の方が人間に与える影響が強いのだ。

 (「ことばの構造の力」の問題を拡大していけば、いま、日本を覆っている政治言語の問題に直面する。)





*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)
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