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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

金堀則夫『ひの土』

2018-01-16 11:32:36 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
金堀則夫『ひの土』(澪標、2017年6月20日発行)

 金堀則夫『ひの土』には、ことばを「読み替える」(読み直す)作品が幾つかある。「わたし」には、こんな部分がある。

さあ、どうぞ
わたした わたしを
わたした 我がものを
あなたが どう捉えようと
漢字の〈私〉でない
ひらがなの〈わたし〉
わたす わたしでありたい

 「私」と「渡す」。漢字で区別してしまうと、そこから消えていくものがある。「わたし」は「私」なのか「渡し」なのか、「渡した」何かが「私」。「私た」は、強引に言ってしまえば「私」の「過去形」かもしれない。「私」であって「私」ではない。「私」であったもの。


腕は 手は
あなたにさしだしている
わたしのつくったものを
わたしている

 「わたしのつくったもの」に「つくった」という「過去形」が出てくる。「つくった」は過去形だが、しかし、「渡す」その瞬間はいつでも「わたしている」と現在形である。現在進行形ということもできる。
 つながっている、あるいはひろがっている。
 つながり、ひろがっていくものがある。
 だから、ことばは読み返さないといけないのだ。読み直さないといけないのだ。読み直すことは、ひろげ、「わたし」、つなげることなのだと思う。

 「正念」は、しかし、「読み直し」がむずかしい。

一にたって
両手を広げて土になる

 とはじまる。
 「一」は「地平線」(土)である。そこに自分の「肉体」で「十」の字をつくる。そのとき「一」が「土」になる。これは「両手を広げて立つとき、そこに土が生まれてくる」ということだろう。両手を広げて、立つ。無防備で立つ、ということかもしれない。それが「土」を生み出す。「生きている」ときの「場」を思い出すということかもしれない。
 このあと、詩は、こう展開する。

地に木をたてて
手をあわせたら
祈っていることばが
ことのはじめ
木に気が入り込んでいく
ねんじれば 枝も生えて
十になる

 木は最初は細い。両側から支えが必要かもしれない。やがて枝を広げるとその支えがとれて「十」の字になる。そうすると、また「土」という文字が生まれてくる。枝を広げるは根を張るかもしれない。「土地」がふたたび意識されている。

とうとう何もおこらないので
手をあわせなくなった
そんな棒切れに
気がぬけて棒立ちになる
いちがない
じゆうがない
土のないところに
わたしのたてた木
わたしから気がぬけた
両手で祈っただけ
お祓いした

 「いち」と「じゆう」。「じゅう」ではなく「じゆう」。
 枝を広げ、根を張る。そのとき「木」は動かない。けれど、それは「じゆう=自由」のひとつの形である。
 木は動かないと書いたが、枝は左右に伸びる、天にも伸びる。根も地へと伸びる。そこには運動がある。「自由」がある。
 そういうことを思っているのかもしれない。

 「非愛」の手紙の描写が美しい。

かつては
封を切ると
そこから ことばがにおい
漂ってくる
手書きの文字がうごいてくる

 「感想」のことばは動かない。何も書かなくていいということだ。あ、美しいなあ、となつかしく思い出すのである。そういうことがあった、と。





*


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目次

岡田ユアン『水天のうつろい』2 浦歌無子『夜ノ果ててのひらにのせ』6
石田瑞穂「Tha Long Way Home 」10 高見沢隆「あるリリシズム」16
時里二郎「母の骨を組む」22 福島直哉「森の駅」、矢沢宰「私はいつも思う」27
川口晴美「氷の夜」、杉本真維子「論争」33 小池昌代『野笑』37
小笠原鳥類「魚の歌」44 松尾真由美「まなざしと枠の交感」、朝吹亮二「空の鳥影」47
河津聖恵「月下美人(一)」53 ト・ジョンファン『満ち潮の時間』58
大倉元『噛む男』65 秋山基夫『文学史の人々』70
中原秀雪『モダニズムの遠景』76 高橋順子「あら」81
粕谷栄市「無名」、池井昌樹「謎」86 深町秋乃「であい」92
以倉紘平選詩集『駅に着くとサーラの木があった』97 徳弘康代『音をあたためる』107
荒川洋治「代表作」112  中村稔「三・一一を前に」117
新倉俊一「ウインターズ・テイル」122


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ノーテンキすぎる「救出作戦」

2018-01-16 09:33:14 | 自民党憲法改正草案を読む
ノーテンキすぎる「救出作戦」
             自民党憲法改正草案を読む/番外167(情報の読み方)

 2018年1月16日読売新聞(西部版・14版)1面に、びっくりするニュースが載っている。

半島有事 対馬に一次退避 海自艦 釜山で米艦に横付け

 という見出し。
 記事には、こうある。

 日本政府は、朝鮮半島有事で韓国の空港が閉鎖された場合、在韓邦人・米国人らを釜山港から海上自衛隊艦船と米軍艦が協力して対馬(長崎県)に運び、一時退避させた後、九州に順次ピストン輸送する方向で検討に入った。韓国政府は自衛隊の派遣に同意していないが、釜山港に接岸した米軍艦の隣に海自艦を「横付け」し、邦人らを乗せる案が浮上している。

 米艦が釜山港に接岸し、その横(海側)に自衛艦を横付けし、いわば米艦を「橋」がわりにして邦人を自衛艦に乗り移らせ、それから対馬に向けて出航するということらしい。しかし、「韓国政府は自衛隊の派遣に同意していない」のなら、自衛艦は韓国の領海に入ることができるのか。できるわけがない。
 こんなできもしないことを可能であるかのように書きつらねていることに、私はびっくりしてしまった。

 このニュースのポイントはどこなのか。実現可能なことは何なのか。それを探して読まないといけない。

日本政府は、朝鮮半島有事で韓国の空港が閉鎖された場合、在韓邦人・米国人らを釜山港から海上自衛隊艦船と米軍艦が協力して対馬(長崎県)に運び

 この文章の「主語」は「日本政府は」になっているが、これを「米政府は」とすると、どうなるだろうか。私は読み替えてみる。

米政府は、朝鮮半島有事で韓国の空港が閉鎖された場合、在韓米国人・在韓日本人らを釜山港から米軍艦と日本の海上自衛隊艦船が協力して対馬(長崎県)に運び

 とならないか。これなら可能だ。とても「現実的」だ。
 在韓米国人をアメリカまで米軍艦が乗せていくことは効率的ではない。佐世保基地とか横須賀基地まで乗せていくのも効率が悪い。対馬にまでなら効率的に往復できる。一次退避の場所として対馬を利用するということではないのか。
 そしてこの「救出作戦」に自衛隊の艦船も動員されるということではないのか。米艦船のみが釜山港に接岸できるのなら、そしてそのとき仮に自衛隊の艦船が米艦船に横付けできるとしたら、そのときの「救出作戦」の指揮はだれがとるのか。自衛隊の艦長か。違うだろう。指揮はあくまで米の艦長だろう。米の艦長がどう判断するか知らないが、わざわざ日本人を優先させ、そのあとで米国人を非難させるということは想像できない。
 私は論理的に考えることは苦手だが、現実的になら考えることができる。私は、私にできること、私ならしそうなことを考える。具体的に考える。
 米艦船を「橋」にして自衛艦に日本人を乗せる。このとき、まず日本人を乗船させることが優先される。「奥」から人を乗せるのが効率的(現実的)である。そして出港するときはどうか。自衛艦が先に出港しないと、米艦は出港できない。自衛艦が「進路」の邪魔になる。そういうところに「時間」をとられていたらアメリカ人が犠牲になる。--私が米艦船の指揮者なら、そう考えるなあ。日本人を優先的に非難させる(日本人の安全を優先する)ということは考えない。
 私が米艦船の指揮者で、半島からアメリカ人を救出しなければならないのだとしたら、艦船に乗せたアメリカ人を米軍基地までつれていくのではなく、とりえあず「日本のどこか」に上陸させる。対馬を利用すれば、時間が短縮できる。釜山までの往復時間が短くなり、それだけ多くのアメリカ人を救出できる。対馬に上陸させてくれ、対馬を一次避難の場所としてつかわせてくれ、と要求するだろうなあ。

 この案は、アメリカの要請を受けて、日本に何ができるかを考えたときにでてきたものだろう。
 日本がこの「救出作戦」を実行するには、韓国側の了解が不可欠である。そのあと、アメリカの協力も必要になる。「韓国政府は自衛隊の派遣に同意していない」だけではなく、「同意する見込み」もないのに、こんなことを考えても意味がない。韓国との良好な関係を築くことが先決だろう。
 このニュースからわかる唯一のことは、半島有事の際、アメリカ政府は、アメリカ人の避難場所として想定しているということだけである。
 記事中には、

 すでに日本政府関係者が水面下で、対馬の現地視察を行い、ホテルなど宿泊施設の収容可能な人数や必要な水・食料の検討を始めている。

 とあるが、「ホテルなど宿泊施設」があまりにもノーテンキである。あっと言う間にいっぱいになるに決まっている。有事の際は、韓国人も避難してくるだろう。「難民キャンプ」が必須になる。「海外旅行」ではないのだ。これも、アメリカが、アメリカ人が宿泊できるホテルがどれだけあるか、水・食料を確保できるか調べろと日本政府に迫ったので、それを検討し始めたということだろう.
 「半島有事」の際の「当事者」は日本人だけではない。韓国にいるのは日本人だけではない。韓国人はもちろん、アメリカ人、日本人がいる。半島には北朝鮮の人もいる。だれもが戦場から離れ、安全な場所に避難したいと願う当事者である。
 韓国(および北朝鮮)と良好な関係が築けていないのに、日本人だけが「特権的」に「有事」から逃れられると考えるのは、あまりにも空想的である。こんな空想ができるのは、日本政府の関係者が、「アメリカ・ファースト」の思想に洗脳されてしまっているからだ。






#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


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憲法9条改正、これでいいのか 詩人が解明ー言葉の奥の危ない思想ー
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