金堀則夫『ひの土』(澪標、2017年6月20日発行)
金堀則夫『ひの土』には、ことばを「読み替える」(読み直す)作品が幾つかある。「わたし」には、こんな部分がある。
「私」と「渡す」。漢字で区別してしまうと、そこから消えていくものがある。「わたし」は「私」なのか「渡し」なのか、「渡した」何かが「私」。「私た」は、強引に言ってしまえば「私」の「過去形」かもしれない。「私」であって「私」ではない。「私」であったもの。
「わたしのつくったもの」に「つくった」という「過去形」が出てくる。「つくった」は過去形だが、しかし、「渡す」その瞬間はいつでも「わたしている」と現在形である。現在進行形ということもできる。
つながっている、あるいはひろがっている。
つながり、ひろがっていくものがある。
だから、ことばは読み返さないといけないのだ。読み直さないといけないのだ。読み直すことは、ひろげ、「わたし」、つなげることなのだと思う。
「正念」は、しかし、「読み直し」がむずかしい。
とはじまる。
「一」は「地平線」(土)である。そこに自分の「肉体」で「十」の字をつくる。そのとき「一」が「土」になる。これは「両手を広げて立つとき、そこに土が生まれてくる」ということだろう。両手を広げて、立つ。無防備で立つ、ということかもしれない。それが「土」を生み出す。「生きている」ときの「場」を思い出すということかもしれない。
このあと、詩は、こう展開する。
木は最初は細い。両側から支えが必要かもしれない。やがて枝を広げるとその支えがとれて「十」の字になる。そうすると、また「土」という文字が生まれてくる。枝を広げるは根を張るかもしれない。「土地」がふたたび意識されている。
「いち」と「じゆう」。「じゅう」ではなく「じゆう」。
枝を広げ、根を張る。そのとき「木」は動かない。けれど、それは「じゆう=自由」のひとつの形である。
木は動かないと書いたが、枝は左右に伸びる、天にも伸びる。根も地へと伸びる。そこには運動がある。「自由」がある。
そういうことを思っているのかもしれない。
「非愛」の手紙の描写が美しい。
「感想」のことばは動かない。何も書かなくていいということだ。あ、美しいなあ、となつかしく思い出すのである。そういうことがあった、と。
*
「詩はどこにあるか」12月の詩の批評を一冊にまとめました。
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目次
岡田ユアン『水天のうつろい』2 浦歌無子『夜ノ果ててのひらにのせ』6
石田瑞穂「Tha Long Way Home 」10 高見沢隆「あるリリシズム」16
時里二郎「母の骨を組む」22 福島直哉「森の駅」、矢沢宰「私はいつも思う」27
川口晴美「氷の夜」、杉本真維子「論争」33 小池昌代『野笑』37
小笠原鳥類「魚の歌」44 松尾真由美「まなざしと枠の交感」、朝吹亮二「空の鳥影」47
河津聖恵「月下美人(一)」53 ト・ジョンファン『満ち潮の時間』58
大倉元『噛む男』65 秋山基夫『文学史の人々』70
中原秀雪『モダニズムの遠景』76 高橋順子「あら」81
粕谷栄市「無名」、池井昌樹「謎」86 深町秋乃「であい」92
以倉紘平選詩集『駅に着くとサーラの木があった』97 徳弘康代『音をあたためる』107
荒川洋治「代表作」112 中村稔「三・一一を前に」117
新倉俊一「ウインターズ・テイル」122
オンデマンド形式です。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
*

詩集『誤読』を発売しています。
1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
オンデマンド形式なので、注文からお手もとに届くまでに約1週間かかります。
金堀則夫『ひの土』には、ことばを「読み替える」(読み直す)作品が幾つかある。「わたし」には、こんな部分がある。
さあ、どうぞ
わたした わたしを
わたした 我がものを
あなたが どう捉えようと
漢字の〈私〉でない
ひらがなの〈わたし〉
わたす わたしでありたい
「私」と「渡す」。漢字で区別してしまうと、そこから消えていくものがある。「わたし」は「私」なのか「渡し」なのか、「渡した」何かが「私」。「私た」は、強引に言ってしまえば「私」の「過去形」かもしれない。「私」であって「私」ではない。「私」であったもの。
腕は 手は
あなたにさしだしている
わたしのつくったものを
わたしている
「わたしのつくったもの」に「つくった」という「過去形」が出てくる。「つくった」は過去形だが、しかし、「渡す」その瞬間はいつでも「わたしている」と現在形である。現在進行形ということもできる。
つながっている、あるいはひろがっている。
つながり、ひろがっていくものがある。
だから、ことばは読み返さないといけないのだ。読み直さないといけないのだ。読み直すことは、ひろげ、「わたし」、つなげることなのだと思う。
「正念」は、しかし、「読み直し」がむずかしい。
一にたって
両手を広げて土になる
とはじまる。
「一」は「地平線」(土)である。そこに自分の「肉体」で「十」の字をつくる。そのとき「一」が「土」になる。これは「両手を広げて立つとき、そこに土が生まれてくる」ということだろう。両手を広げて、立つ。無防備で立つ、ということかもしれない。それが「土」を生み出す。「生きている」ときの「場」を思い出すということかもしれない。
このあと、詩は、こう展開する。
地に木をたてて
手をあわせたら
祈っていることばが
ことのはじめ
木に気が入り込んでいく
ねんじれば 枝も生えて
十になる
木は最初は細い。両側から支えが必要かもしれない。やがて枝を広げるとその支えがとれて「十」の字になる。そうすると、また「土」という文字が生まれてくる。枝を広げるは根を張るかもしれない。「土地」がふたたび意識されている。
とうとう何もおこらないので
手をあわせなくなった
そんな棒切れに
気がぬけて棒立ちになる
いちがない
じゆうがない
土のないところに
わたしのたてた木
わたしから気がぬけた
両手で祈っただけ
お祓いした
「いち」と「じゆう」。「じゅう」ではなく「じゆう」。
枝を広げ、根を張る。そのとき「木」は動かない。けれど、それは「じゆう=自由」のひとつの形である。
木は動かないと書いたが、枝は左右に伸びる、天にも伸びる。根も地へと伸びる。そこには運動がある。「自由」がある。
そういうことを思っているのかもしれない。
「非愛」の手紙の描写が美しい。
かつては
封を切ると
そこから ことばがにおい
漂ってくる
手書きの文字がうごいてくる
「感想」のことばは動かない。何も書かなくていいということだ。あ、美しいなあ、となつかしく思い出すのである。そういうことがあった、と。
*
「詩はどこにあるか」12月の詩の批評を一冊にまとめました。
詩はどこにあるか12月号注文
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
ここをクリックして1750円の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。
目次
岡田ユアン『水天のうつろい』2 浦歌無子『夜ノ果ててのひらにのせ』6
石田瑞穂「Tha Long Way Home 」10 高見沢隆「あるリリシズム」16
時里二郎「母の骨を組む」22 福島直哉「森の駅」、矢沢宰「私はいつも思う」27
川口晴美「氷の夜」、杉本真維子「論争」33 小池昌代『野笑』37
小笠原鳥類「魚の歌」44 松尾真由美「まなざしと枠の交感」、朝吹亮二「空の鳥影」47
河津聖恵「月下美人(一)」53 ト・ジョンファン『満ち潮の時間』58
大倉元『噛む男』65 秋山基夫『文学史の人々』70
中原秀雪『モダニズムの遠景』76 高橋順子「あら」81
粕谷栄市「無名」、池井昌樹「謎」86 深町秋乃「であい」92
以倉紘平選詩集『駅に着くとサーラの木があった』97 徳弘康代『音をあたためる』107
荒川洋治「代表作」112 中村稔「三・一一を前に」117
新倉俊一「ウインターズ・テイル」122
オンデマンド形式です。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
*

詩集『誤読』を発売しています。
1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
オンデマンド形式なので、注文からお手もとに届くまでに約1週間かかります。
![]() | 金堀則夫詩集 (新・日本現代詩文庫121) |
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