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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

破棄された詩のための注釈(7)

2015-03-11 01:26:14 | 
破棄された詩のための注釈(7)

「灰色の猫」というタイトルだけが書かれた。その猫は会社の近くの「サバ定食屋」の店にいる。昼になると客があふれ、匂いが充満する。脂が炭火の上に落ちて、うすあおい煙があがる。半身の背中の皮がこげて破れる。焼き上がった。その脂のしたたる背中を、こげた皮ごと口に入れる。すこし苦い。それがどんなにうれしいことか、猫には言い尽くせない。やわらかい肉が、少し衰えた歯肉のせいか、歯のあいだに挟まる。それを気にしながら、定食を食べ終えた客が、うすい茶で口の中のすすぐとき、独特のなまぐさみが鼻腔に甦る。消えていくものが、なつかしい。「意味」が突然襲ってくるみたいだ、という比喩をそこで書いてみたかったのだが……。
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破棄された詩のための注釈(6)

2015-03-10 01:26:31 | 
破棄された詩のための注釈(6)

「昼の光」という、それまでの詩とは違った明るいことばで始まるのは、この詩が書かれたとき、詩人は女が妊娠したことを知ったからである。あのとき、昼の光のなかをすべってきた色鮮やかな虫の色。もしかすると、その輝きこそが女を妊娠させた精子かもしれないと思ったが、詩人は書かなかった。「反抗」ということばが、こうした場面にはただしいものかどうかわからないが、それは詩人だけがもっている予感という特権が暴走した証拠でもある。「反抗」ということばは向き合いながら、「裸の肩」が輝きが増すのを詩人は見ていた。

「机」について詩人がおぼえているのは、机の上にあった石膏像である。正確に言うと、それは机ではなくベッドの横の小さなテーブルなのだが、それを「机」と呼び変える習慣が詩人にはあった。眠る前にスタンドを消す。そうすると光をためこんでいた像が、熱のようにうっすらと闇のなかに残る。これが詩人の女に対する好みを決定づけた。したがって、一連目の「昼の光」は、ほんとうは詩人の喜びをあらわしているのではない。逆なのだ。あのとき、詩人は官能とは別の世界にいた。官能のなかにいたのは女ひとりであり、女に「特権」を奪われたのだ、と詩人は瞬間的に知ったのだ。これから起きることが何か、わからないまま、知ったのだ。

ちぐはぐな意味とイメージを行き来するその詩、破棄された詩は三連で構成されており、三連目のなかほどに「口は呼吸しているようにかすかに動く」という一行が線で消されて存在する。「声」は危険に満ちている。「畸型」ということばが、書いては消され、消されては書かれるのは、どんな疑惑の象徴なのか。「昼の光」、夏の森のなかの緑の影を受け止めながら輝いた「肩の丸さ」。それが輝いたのは、けっして詩人が無防備に射精したためではない。女が、その瞬間、そこにはない恍惚を思い出したからである。光のなかをすべるようにおりてきた鮮やかな虫。それこそが「事実」だったのだ。知っていて、詩人は、そのことを消すのである。ことばで。


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書かれなかった詩のための注釈(5)

2015-03-08 06:18:54 | 
書かれなかった詩のための注釈(5)

「私が私から遠ざかっていく」(三行目)ということばは、すでに何人もの詩人によって書かれているし、多くの小説の登場人物も語っている。引用と剽窃。それは孤独の(つまり、センチメンタルの)生あたたかい血であり、闇である。

「私が私から遠ざかっていく」は、詩の形式から言うと二連目の四行目で、もう一度繰り返さなければならないのに「すべてがこれだった」ということばに書き直されている。そのあと、「石」ということばが、唐突に割り込んできて「橋の上にあった」ということばと連結し、悲しみを象徴したものとなる。「石」は春の夕暮れの石のことである。

「橋」は、詩人のふるさとの街を流れるたった一本の河にかかっている。一本の河にかかった十七本の、欄干の隙間がそれぞれ違った橋。「早春の木の枝のように隙間だらけの欄干」と別の詩では書かれている。いまでも思い出すのだが、満潮になると、潮がさかのぼって、河口は生あたたかく濁る。これは、私が先に書いた注釈(三行目)の繰り返しである。







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書かれなかった詩のための注釈(4)

2015-03-07 01:28:44 | 
書かれなかった詩のための注釈(4)

二行目の「ボート」は三年後も同じ場所にあり、詩人によって発見される。その後、枯れた葦はさらに枯れ、そのたびに季節が繰り返される。そのあとで、もう一度詩人がそれを見つけるのだが、それは七行目に書かれている「ボート」である。横腹の板のペンキはところどころはげている。詩人の好きな数字が、逆さまになって水に映っている。

この注釈は、しかし、正確ではない。七行目の「ボート」は、あのときと同じように底が抜けて、くらい影のなかへ素早く青い魚が隠れていくが、同じ場所ではない。同じ湖ではない。川ではない。ほんとうは違った場所である。これは詩人が間違えたのではなく、わざと違う場所、違う時間をひとつに重ね合わせているのである。

「ボート」のなかでささやかれたことばは、すべて同じであるがゆえに、何度失望したか。何度、そこを離れたか。詩人は多くを語らないが、四度以上である。「周りで枯れた葦が騒いでいた」と書かずに、詩人は「枯れた葦の茎が何度も何度も折れた。その断面が白く光った」と書いている。それはしかし二行目の「ボート」でのことでもなければ七行目の「ボート」のなかから見た光景でもない。きめのこまかい泥が透明な水の下で光っていた。

「水の匂いが違う」と詩人はいつも感じていた。「ボート」も「枯れた葦」も、時間も場所も同じではないのに、それは同じものとしてあらわれる。区別がつかない。しかし、水の匂いだけは違っていると詩人は言う。まるで「自分の心から出てきたようだ」と不思議なことばで、その違いを説明している。このことばこそ注釈が必要なのだが、詩人は論理の屈折の説明を拒否した。「自分の詩を語ることは嘘をつくことだ」。

注釈は、ここまで。これから書くのは、私の感想である。
私は別の詩人の詩のなかに「何かが肉体のなかで増えてくるのを感じた」という一行を読んだ。そのとき「自分の心から出てきたようだ」ということばが、ふいにやってきた。それは記憶違いで、ほんとうは「自分の心から出て行きたい」だった。
そうだったのか、と私は納得した。二人は同一人物なのだ。いくつもの筆名で書いているのだ。








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書かれなかった詩のための注釈(3)

2015-03-06 01:38:51 | 
書かれなかった詩のための注釈(3)

「両の目を閉じて」。一般的には左右の目、両方の目を想像するかもしれないが、そうではない。「主語」は誰なのか、ということから詩を読み直さないといけない。次の行の「女のわきのにおいをかぐ」ということばから、詩人(男)が目を閉ざすと考えがちだが、そうではない。二人とも目を閉ざす。「両」は「両人」を省略したものである。

「両の目を閉じて」。何のために閉ざすのか。手淫するときの記憶のためである。セックスはほんらい嗅覚(におい)と聴覚(声を聞く)によって世界を広げる。見ることは快楽を疎外する。何も見えなくなって、自分自身の快楽におぼれる。そのとき「目は閉じられている」。ひとりでも目をあけて相手を見ていたら、その恍惚にあきれかえり、笑い出してしまうに違いない--と詩人は、視覚にこだわる有名な詩人を批判している。

「両の目を閉じて」。これは、女への「命令」でもある。命じられなくても、女は目をとじているが、それはいまおこなわれていることが愛でもセックスでもないからだ。恋愛とは「道理のない熱情」のことだが、そんなものはどこにもない。それを「見ない」ために、女は目を閉じる。そして、男の未熟な愛撫を受け入れる。それから演技をする。

「熱くさい」。この詩のなかで唯一書かれた「真実」のことばだ。「熱」は夕暮れの余韻を伝えている。触覚が動いている。しかも、直接触れない触覚。一種の矛盾。そこから「くさい」という嗅覚に飛躍する。感覚が、それまでの行動様式を否定して動く。一つの感覚は破壊され、新しい感覚になる。「くさい」は「におい」よりも暴力的である。暴力の愉悦、破壊の愉悦がある。「目を閉じた」のは「感覚を識別する意識」である。

未完の最終行の「幻」。十九世紀なら、有効だったかもしれないが、現代では無効である。「両の目を閉じて」幻を見るというのは、この詩人の限界である。「海辺」だの「まばゆい光の影」だのということばは、現代の読者を鼻じらませる。鼻の奥をつく「くささ」、その腐敗のなかへ感覚すべてがなだれこまないと、詩はそれこそ哀しい手淫という堕落になってしまう。




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詩の注釈(2)

2015-03-05 01:15:30 | 
詩の注釈(2)

 「花嫁」は「時」の比喩である。「時の眼差しは花嫁のように熟れている」というドイツの詩人の詩を読んだときひらめいたのだと詩人は語ってくれた。噴水の飛沫が早春の光をはじき返しているのが、コーヒー店の中から見えた。詩人は熟れた女のからだのなかで、新しいいのちが結晶したことを知った喜びとともに、幸福な詩を夢見たのである。
 街を歩くと、「花嫁」といっしょに見たすべてのものが「生成し、完成してきている」と感じた、と詩人は彼にインスピレーションを与えた詩から一行をまるごと引用して語った。「花嫁の眼が、まだ生まれていなかったものさえ、街のあちこちに生み出していくようだ」と、こなれないことばで口早に語ったりもした。「これから萌え出す並木の若葉と競争になるなあ。」
 なるほど、幸せというものはこんなふうにひとを無防備にするものらしい。そのまま書けば目敏い読者から「盗作」だと批判されるだけなのだが、詩人は、自分の感覚と他人の感覚の区別がつかなくなっている。他人の感覚で自分のことばが動くことに喜びさえ感じている。私が指摘すれば「そうさ、おれはいま花嫁なのだ」と的外れな応答をするに違いない。
 「おれは花嫁なのだ」という行は書かれなかったが、書かれるべきだったのだろう。そのとき私には、詩人が花嫁を妊娠させたというよりも、花嫁から生まれてきたばかりのいのちに見えた。だが詩人は自分を認識するよりも、炎のように燃えあがる世界をとらえ直すのに忙しくて、大通りの舗道も裏通りの細い道も、信号を無視して逃げる車よりも速く百行も疾走するのだった。自覚の欠如が、この詩人の欠点だと、再度指摘しておきたい。

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書かれなかった詩のための注釈(1)

2015-03-04 02:22:58 | 
注釈(1)

一行目。「火曜日」ということばは「回避」を象徴している。はじまりの必然をはぐらかしているのは、これからはじまる詩が記憶と不安を語るものだからである。書かれなかったはじまりは、詩人の記憶のなかにしまいこまれ、それが「地下鉄」とか「花屋」ということばと出会うたびに噴出する。そういう詩全体の構造も暗示している。

二行目。「銅版画」は、その細い線を予告することで、三行目の「新しい散歩道は雨になった」の「雨」を印象づける。細い雨、密集して降る雨が見えるようだ。四行目の、風に吹かれて、群れたり離れたりするという雨の姿(精神の象徴的描写)も暗示している。効果的な比喩である、と私は思う。それとは別に、私はここで別のことをしておきたい。詩人はなぜ「エッチング」ではなく「銅版画」ということばを選んだのか。濁音を嫌う詩人が多いが、この詩の作者は、「有声音」の豊かさが濁音に満ちていると感じているからだ。この独特の感覚は、五行目の「水仙の花びらが濡れて腐っている」ということばに通じるものである。

三行目。「新しい」と「雨」ということばは、エリオットの「四月は残酷な月」という有名な行を意識している。「残酷な」ということばをつかわずに、「残酷」をいいあらわすために間接的に「引用」している形だ。エリオットから、どこまで離れることができるかを、試している。効果的とはいえない。何かを意識するということは、いつでも「離れる」という運動にはつながらない。接続するという運動になってしまう。むしろ、エリオットの内部へ入り込み、ことばを突き破った方がよかったのかもしれない。

四行目。草稿では「唇の絵」と書かれていた。私はたまたまノートを見る機会があったので知っている。「絵の唇」と推敲されることで虚構性が強まった。「肉体」そのものではなく、描くという行為のなかで、動く記憶。この行は、二行目との「和音」を感じながら味わう必要がある。「銅版画」と「インクの素描」。どちらも「線」という共通要素があるが、一方は間接的、一方は直接的である。しかし、この「間接性」と「直接性」は、事実(あるいは今といえばいいのか、現実といえばいいのか)と記憶の問題に重ね合わせて考えるとき、簡単に断定できない。記憶とはすでに「いま」存在しないものである。そういうものに触れるには、表現の「間接性」がふさわしいかもしれないからである。一行目の注釈で触れたが、たの詩のテーマは回避された記憶との精神的葛藤である。「唇の絵」を「絵の唇」と書き直しているところに、詩人の感情の交錯を読み取るのは、私ひとりだけではあるまいと思う。

五行目。「夕刊」ということばと「寒くなった」ということばが、ひどく生々しい。このことばを書いたために、この詩は、ここで終わることになってしまった。四行目で「インク」と書いてしまい、そこから「濡れる」ということばが連想されたのも失敗の原因である。隠してきたものが皮膚感覚で、皮膚によってあからままになった。抒情を好むひとは評価するかもしれないが、私は、嫌いだ。

補足。五行目に、「土曜日」ということばを詩人が残しているのは、この詩のそれぞれの行が「火曜日」から「土曜日」の一日一日であるということを語っているかもしれない。そうであるなら、四行目の「食器棚」は「夕刊」と呼応することで、どんな不安もまた陳腐へと修練するというアイロニーになっている。「寒くなった」は「あたたかい」ものを欲望しているありふれた男の姿であるともいえる。



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青いインク

2015-03-02 00:00:01 | 
青いインク

窓があった場所に「揺れる影」ということばが青いインクで書かれたことがあった。「影は私を見つめていないという思いが、私と影との距離を消し去った」ということばはどの本に書いてあったのか、ふと思い出された。衝動に襲われたという「意味」なのだが、何度繰り返してみても、もう「意味」は夜のなかへ散らばって消えるだけだった。

それより前だろうか、後だろうか、「河口」ということばが出てきた。窓から見える「河口」。潮がのぼってきて、「冬の日にあまく膨らんだ」ということばになったが、書かれなかった。別の日、やはり「河口」ということばがあって、「泥をふくんだ水面に、雨上がりの空の色が静かに映った」という声になった。ことばは距離を消して並んでいた。

同じ場所、同じことばなのに、同じ「意味」にならない。
違った場所、違ったことばなのに、同じ「意味」になる。

「窓」ということばがあった。一つだけ残った「窓」。「だれも聞いていないのに、弁解している顔のように」という比喩が、どこからか飛んできてはりついたみたいだ。






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顔のなかに、

2015-03-01 01:12:37 | 
顔のなかに、

「顔のなかに」ということばが、開いた扉の隙間のように目を引きつけた。そのことばの奥には「別の顔の記憶が住み着いていた」ということばがあった。「電話がかかってきたとき、動いた」という短い情景の挿入の後、顔は「小さな部屋」という比喩になった。

「再びあの眼が」ということばが、そこには書かれていない「違う理由によって」おしのけられた。あるいは、「壁にかかった四角い鏡」のなかにしまい込まれた。それは鏡のなかに半分入り込んだ「ノートに書かれる」ことを欲したのかもしれないが、このとき「ノート」は比喩ではない。

「たいていのことは、そのように進んだ」
「たいていのことは、そのように済んだ」
並列して書かれたこのことばは、どちら側から見たのだろうか。



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前を歩いている男

2015-02-28 01:27:33 | 
前を歩いている男

「前を歩いている男」ということばが暗い行頭にあった。「雨」ということばが横から降ってきて、「靴のなかがぬれた」ということばは、あとから「靴下がぬれた」と書き直された。坂になった舗道には、「降る雨の上を、筋をつくって流れる水があった」ということばが落ちていたが、それを落としたのは「前を歩いている男」なのか「後ろから歩いている男か」なのか、もう、ことばが入り乱れてよくわからなかった。ウィンドーの明かりや車のライトが「滲んでいた」ということばといっしょに宙に浮いていた方がよかっただろうに……。

「前を歩いている男の頭のなかには」という聞いたことのあることばがあった。その後ろを「わかりたいとは思わない」という、これも聞いたことのあることばが、聞いたばかりのことばを「踏み潰すように」歩いている。そんなふうにして、「前を歩いている男」になってしまうことばがあるのだが、「何の役目をしようとしているのかわからない」という憤りのことばは、「きのうきょうの生活のなかから出てきたのではなく、積みかさなった日々の奥の、押しつぶされた時間のなかから出てきた」に変わるために、あと二時間は歩かないといけない。



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探していた

2015-02-27 00:50:21 | 
探していた

 「探していた」ということばが、「引き出しのなか」にあった。影に封筒からはみ出た便箋があった。折り畳まれているので、そこにどんなことばがあったのかわからないが、本のなかのことばは「探すふりをして時間稼ぎをしていたのかもしれない」という具合に動いた。「本のなかのことば」ということば、そこにはなかったので、つけたした。

 「写真のなかに一本の綱」ということばがあった。「知らない」ということばが、遠くから帰って来たとき、「写真」ということばは「鏡」にかわって、引き出しのなかの手紙から抜け出し、直訴をこころみた。鏡の木枠と、写真立てのフレームはたしかに「似ている」。「似ている」ということばが、とんでもない方向から飛んできて、飛び去った。

 追いかけてはいけない。「追いかけてはいけない」ということばがあったが、否定形のあまい誘いにのってはいけない。追いかけてはいけないのだ。

 「探していた」ということばに戻っていく。「半開きのドアの蝶番」ということばを開けて、錆びた金属の粉を差し込んできた光のなかに散らす。床に足跡が「暗い水のように」ということばになって、存在していた。「裸足」ということばが、ぶらさがっていた。「鏡のなかに」。動かないので鏡ではなく「写真だと思った」と、ことばは主張するのだ。「ほんとうだろうか」。








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展覧会の絵

2015-02-26 01:05:42 | 
展覧会の絵

三階の窓から身を乗り出して一階の庭をみおろしたとき、展覧会で見た「絵」がよみがえり、「テーブル」ということばになった。その上には「広げられた新聞紙」ということばがあり、「無防備」ということばが四階の窓から降ってきたような気がした。

だれが、見ているのか。

背後で「彼女の髪のぬれた匂い」ということばが、ドライヤーの音に隠れて動いていた。「無防備」とは、そういう意味であったような気がする。「鏡の中の女は、鏡の外の左右反対の女を見ている」ということばの方が「無防備」の定義にふさわしいが、それは次の詩に書くために考えたことだ。

だれが、見ているのか。

「展覧会の絵」には、一階の庭の向こう、樹の奥に家の窓があった。「昼間隠れていた」ということばは、「明かりが窓の形を教えてくれる」という警告にかわり、それままた別の「無防備」を指摘する。星を見るふりをして「深い井戸をのぞく」ように空を見るが、「絵」がそうであったように、そこには「星」ということばは、なかった。

だれが、見てしまったのか。





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2015-02-25 01:17:26 | 


「橋を眺めた」ということばがあった。「別の橋から」ということばのあいだで、「両腕」ということばは、さびしそうに風にちぎれていた。
「さまたげるものは何もない」というのは「美しい」ことか、「残酷」なことか、あるいは「さびしい」ことか、ことばは考えあぐねていた。

その二行は、「あの橋はなかった」、あるいは「あの橋は見つからなかった」という、葉書に書かれたことばとは遠いところにある。
そして「雪が積もっているせいだろうか、違っているのに、逆に似たところがあるように思えた」ということばの近くにある。

それは「水の流れ」を描写した青い文字の余白をぐるりとまわりながら、宛て名が書かれた表にかけて書かれていたことばだ。
「私は間違っていない」ということばが間違っていることはわかるが、認めることはできないと主張しているように見えた。

そうであるなら、「橋が間違えたのだ」。
「風を映して流れる川」ということばは、川は似ていないが「水は同じ海へつづいている」ということばになりたがった。

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午後四時、

2015-02-24 00:50:42 | 
午後四時、

「午後四時」ということばがそこにあったのは、午後四時ではなく、それよりも前のことであった。ことばはいつでも予感となってあらわれてしまう。「ため息をつく必要がある」ということばは、きのうからテーブルの上に影を落としていた。
「午後四時」ということばの隣には「コップ」ということばがあり、そのなかで「ぬるくなった水」ということばが、ゆっくりと光を反射させている。反抗するように、「生の倦怠」ということばが、水の入ったコップに差し込まれた鉛筆のように「屈折」ということばを引き寄せている。

午後四時。「言おうとしていたことばを先に言われてしまうと、怒り出す癖がある」ということばが階段を上っている。


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そんなはずはない、

2015-02-23 01:17:09 | 
そんなはずはない、

「そんなはずはない」ということばの鼻の先に「窓辺」ということばがあり、「椅子」という名詞と「引く」という動詞を組み合わせると常套句になってしまうと考え、ことばは文章になりあぐねている。
その頭のなかで、「この部屋にすんだことがある人ならだれもが知っている」ということばが、夕日のようにドアをノックする。「夕日」ではなく「夕刊」にした方が、風景ではなく、情景になるというのは、ことばが思ったことか、それともあの本に書いてあったことか。
「あの本に書いてあった」ということばは、それから「窓辺」から出て行き、「裸の木の影は地面に倒れながら少しずつ伸びて、壁のところまで行き着くと、木と平行になる形で壁をのぼりはじめた」という長い文章になった。単語のままでいると息が細くなってしまうので。
「そんなはずはない」ということばは傍線で消されて、かわりに「しかし二階の窓には届かない」ということばが、おんなの日記から借りてこられた。「そんなはずはない」と、向かいの窓から見ていたことばは現実を記憶にあわせて書き直そうとする。「窓と窓は話し合っていた」。あるいは「開かれた窓の、それぞれの部屋の奥には鏡があって、たがいを映しあっていた。」
そうしているうちに、ことばには、「鏡に映っている」のが向うの部屋の鏡なのか、自分の姿が向うの鏡に映って、それが「跳ね返ってきている」のか、わからず、混乱してくるのだが、「鏡に映っている」や「跳ね返ってきている」は、抒情的すぎないか、それが恥ずかしいという気持ちだけははっきりしてくる。


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