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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

市民は、どう思っている?

2022-04-28 09:38:53 | 考える日記

市民は、どう思っている?

 2022年04月28日の読売新聞(西部版・14版)の1面。
↓↓↓↓
①ウクライナ/国連総長 調停難航/プーチン氏と会談
②マリウポリ「最後まで戦う」/アゾフ大隊司令官
↑↑↑↑
 二本の記事が並んでいる。①は【ニューヨーク=寺口亮一】と、ニューヨークからの記事。②は【ワルシャワ=上地洋実】とあるから、ワルシャワからの、オンライン取材(インタビュー)。どちらも記者が「現地」で取材しているわけではない。①は国連で関係者から取材したのかもしれない。きのうの夕刊にはグテルとプーチンの写真が載っていたが、ロイターの提供写真だった。
 二本の記事のなかで焦点として語られているのがマウリポリ。製鉄所には「民間人が1000人以上避難している」(アゾフ大隊司令官)と言う。このことをめぐる3人の主張。
↓↓↓↓
 グテレス氏は(略)マリウポリのアゾフスタリ製鉄所に残っている民間人の退避について協力を要請した。(略)
 プーチン氏は(略)アゾフスタリ製鉄所に立てこもるウクライナ軍や武装組織「アゾフ大隊」が、民間人を「人間の盾」にしていると批判し、退避させる義務はウクライナ軍にあるとも強調した。
 (アゾフ大隊)司令官は「アゾフ大隊は決して降伏しない。武器が最後の1丁になっても戦い続ける」と徹底抗戦の方針を強調した。
↑↑↑↑
 いまの「報道の状況」(日本の社会に広がっている意見)からすれば、私の見方は「論外」かもしれないが、私は、アゾソ大隊司令官の言っていることがよくわからない。
 外電面に載っているアゾフ大隊司令官へのインタビューのつづきを読むと、
↓↓↓↓
 司令官は(略)アゾフスタリ製鉄所について、「水や食料もなくなりかけており毎日、死者が出ている」と危機的な状況を訴えた。(略)「ロシア軍の攻撃のため地下から外に出られない。避難者は長期にわたり日光を浴びられず、新鮮な空気も吸えない」と、地下空間に長く閉じ込められている息苦しさを語った。
↑↑↑↑
 そうであるなら、どうして民間人を救出させる(脱出させる)という方法をとらないのだろうか。
 兵士は何のために戦うのか。もちろん自分の命を守るために戦うが、市民の命を守るためにこそ戦うのではないのか。
 だからこそ、市民が犠牲になったとき、「市民を狙った」とか「市民を虐殺した」とかいう批判が起きる。市民を犠牲にしてはならない。ロシアが強く非難されている理由のひとつに「市民虐殺(ジェノサイド)」があるのもそのためだ。
 製鉄所地下に避難している市民は、彼らが進んで製鉄所の地下に避難してきたのか。アゾフがここは安全だと呼び寄せたのか。もしそうだとしても、そこが安全ではなくなったなら、そこから脱出させるのが兵の仕事ではないのか。
 一面の記事のなかで、司令官は「武器が最後の1丁になっても戦い続ける」と言っているが、これは司令官以外の兵の「総意」なのか。司令官の命令なのか。あるいはゼレンスキーの命令なのか。司令官には、戦うと同時に、部下の命を守る責任もあると思うが、この「命を守る」という意思が、私には、司令官のことばからは感じられない。

 市民を脱出させると、そのとき市民が集団虐殺されるとアゾフは主張するかもしれない。しかし、そんなことをすれば、それこそ世界が注視するなかでのロシアの蛮行が明白になるのだから、ロシアはするはずがないし、もししたとしたらそれこそ世界中から攻撃されるだろう。どんな虐殺も隠されて行われる。
 キーフ近郊の虐殺も、それを見ていた第三者がいない。(いるかもしれないが、私はそういうニュースを読んでいない。)多くの遺体が見つかった後で、「虐殺があった」とわかるのである。虐殺は、殺した人以外は知らないところでおこなわれるから大問題なのだ。誰も見ていないから、虐殺が拡大していくのである。

 最後まで戦う、「武器が最後の1丁になっても戦い続ける」とは、ほんとうに正しい選択なのか。
 そのとき、地下に避難している市民は、どう思うのか。「私たちは、ウクライナを守るために戦った」と思って死んで行くのか。「こんなところで死にたくなかった」と思いながら死んでいくのか。「アゾフが降伏してくれたら、生き延びられたかもしれない」と思って死んでいくのか。
 ロシアのウクライナ侵攻以来、多くの市民がウクライナから避難している。難民になっている。彼らは、ロシア支配の世界では自由がなくなると思って避難したのか、それとも戦争に巻き込まれて死ぬのはいやだと思って避難したのか。
 私なら、後者である。戦争なんかで死にたくない、殺されたくない。だから、逃げよう、を選ぶ。ロシアの支配下では自由がなくなるから、自由のある国へ避難するというのは、もっと後でもできる。いまは、何がなんでも生きたい、だから逃げるのであって、資本主義とか自由主義とかは関係がない。
 製鉄所の地下に避難している市民も、たぶん「生きたい、逃げたい」と思っているのではないのか。
 その市民の思いを、どう実現させるのか。

 私がインタビューアーなら、どうしても聞かずにはいられない。「武器が最後の1丁になっても戦い続ける」ということばを避難している市民はどう受け止めていますか? どんなふうに避難している市民に状況をつたえていますか?」
 聞いたけれど、それは新聞には書いてはいけないことなのか。それとも、そういうことを聞くのを忘れているのか。それは、アブソに完全利用されている、アゾフのことばをPRしているだけであって、取材ではないのだが……。
 外電には、地下にいる子どもたちの写真も掲載されている。やはりロイターの写真である。写真だけで、子どもたちの声はない。
 いったいだれが、その子どもたちの声をつたえるのか。つたえようとしているか。そういう意識を持った人が、ジャーナリズムの中にいるのか。
 そういうことを考えてしまう、きょうの新聞だった。
 私はプーチンが間違っていると考えるが、だからといってゼレンスキーやアゾフ大隊を支持することはできない。市民が死んでいくことをなんとも思わないという点では、プーチンもゼレンスキーもアゾフ大隊も共通している。

 

 

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ワシントン発(情報の読み方)

2022-04-21 11:40:04 | 考える日記
 2022年04月21日の読売新聞(14版・西部版)1面。「露、製鉄所を集中爆撃/マリウポリ 地中貫通弾使用か/「人道回廊」設置合意」という見出しで、マリウポリの現状を伝えている。
↓↓↓↓
【ワシントン=田島大志】ロシアの侵攻を受けるウクライナ当局者らは19日、ロシア軍が南東部マリウポリで、ウクライナ軍が拠点とする製鉄所に集中爆撃を加えていると明らかにした。
↑↑↑↑
 大半の記事がそうなのだが、この記事もワシントンで書かれている。そして、この記事の場合、情報源は「ロシアの侵攻を受けるウクライナ当局者ら」である。「ら」が何を指すかはわからないが、もしかすると「ウクライナ当局者」以外の情報源もあるのかもしれない。「ウクライナ当局者」だけが情報源ならば、わざわざワシントンに行かなくても書けるだろう。日本にいても書けるだろう。なぜ、ワシントン発なのか。
 気になって、月曜日からの一面(朝刊)のトップ記事を見てみた。18日(月)ロンドン=深沢亮爾、19日(火)リビウ(ウクライナ西部)=倉茂由美子、ワシントン=横堀裕也、20日(水)ワシントン=田島大志、21日(木)ワシントン=田島大志。ウクライナで書かれた記事もあるが西部の都市からである。しかもワシントンの記者との「合作」である。どこまでが「現地取材」なのかわからない。
 こういう記事は注意して読まないといけない。倉茂由美子はウクライナ語かロシア語で取材したのかもしれないが、ロンドンやワシントンの記者はウクライナ語、ロシア語で取材したわけではないだろう。
 そこで、どんなことが書かれているか。(番号は私がつけた。途中省略がある。)
↓↓↓↓
①ウクライナのミハイロ・ポドリャク大統領府顧問は19日、ウクライナ軍と武装組織「アゾフ大隊」の兵士ら約2500人が拠点とするアゾフスタリ製鉄所を狙い、露軍が地中貫通型爆弾を使用したと指摘した。
②同爆弾は「バンカーバスター」と呼ばれ、地下に貫通後に爆発し、地下施設の破壊が可能とされる。製鉄所の地下施設には、兵士のほか子供を含む多くの一般住民も避難しており、人的被害の拡大が懸念される。
③ウクライナ軍幹部とされる男性は20日、SNSで、「我々は持ちこたえても数日だ。敵の人数は我々の10倍いる。ここには民間人が数百人いる。安全な第三国に出してほしい」と国際社会に救助支援を訴えた。
↑↑↑↑
 ①は「ウクライナのミハイロ・ポドリャク大統領府顧問」と情報源を公開している。だが、すべて正しいかどうかはわからない。読売新聞は慎重に、末尾で「指摘した」という表現をつかっている。読売新聞が「確認した」わけではない。だからこそ見出しにも「地中貫通弾使用か」と「断定」をさけて「か」という疑問をつけくわえている。
 ②は情報源が明らかにされていない。「バンカーバスター」の攻撃能力についても「可能とされる」とあいまい。「人的被害」のことも「懸念される」。
 よくわからない。このよくわからない「人的被害」を説明しているのが③である。
 ③の情報源は「ウクライナ軍幹部とされる男性」。ほんとうに「軍幹部」かどうかわからない。さらに発言の舞台が「SNS」。この情報と①の情報を組み合わせると、敵(ロシア軍)の人数は2500×10=2万5000人ということになる。もっとも、①の2500人には「アゾフ大隊の兵士ら」と「ら」を含んでおり、その「ら」が③の「民間人数百人」を指すのだとすれば、(2500-数百人)×10=2万人前後か。
 人数そのものもわからないが、もっとわからないのは「民間人」の気持ちである。「民間人」は何も発言していない。発言しているかもしれないが、その「声」は取材されていない。
 で。
 ここからは、私の想像。もし私がウクライナ人であり、マリウポリに住んでいたとする。ロシアが軍人か民間人か区別せずに攻撃してくる(つまり、虐殺される)と感じたとき、どうするか。
 ⑤製鉄所は地下に避難できるから安全だ。アゾフ大隊が守ってくれるから安全だ。製鉄所に避難しようと考えるか。
 ⑥ロシア軍はアゾフ大隊が拠点としている製鉄所を攻撃してくる(攻撃対象は民間人ではなく兵士なのだから)。製鉄所は危険だ。わざわざ攻撃されるところへ避難するようなものだ。なるべく製鉄所から遠くへ避難しようと考えるか。
 私なら⑥を選ぶ。
 それは、もし私がウクライナ兵だったら、戦闘に参加できない民間人はなるべく自分のそばにいてほしくない、と思う。民間人を守るために自分を犠牲にするのは、かなりむずかしい。それが兵士の仕事だとしても。民間人がいなければ、自分自身の安全を守ることができる。もっと早く逃げることができる。でも、民間人がいては逃げるわけにはいかない。
 ここから逆に、民間人を楯にすれば、ロシア軍は攻撃ができない。民間人を殺害したと非難されてしまうからだ。ここから、民間人を楯にしよう、という発想が生まれるかもしれない。
 だからこそ、問題。
 製鉄所にいる民間人は、アゾフ大隊が守ってくれるから安心だ、そこに避難しようと考えたひとだけなのか。アゾフ大隊は、どうして民間人を受け入れたのか。「ここは安全だ、絶対にみんなを守る」と呼びかけたのか。来るな、と言ったが、民間人が避難してきたので受け入れたのか。
 どんなときでもそうだが、すでにそこに「ことば」が存在するとき、その「ことば」がほんとうかどうか疑うのはむずかしいし、もしそこに嘘があるのだとしたらどんな嘘なのかを突き止めるのはもっとむずかしい。
 私は、ただ疑い続ける。わからない(知らない)ことはわからないままにしておいて、わかることを手がかりに自分を動かしてみる。
 製鉄所がロシアからの標的になっていると知っていて、それでもアゾフ大隊を信じて製鉄所に避難するか、危ないと感じて遠く離れるか。この問題を考えるとき、「民間人」に製鉄所がロシアから狙われている危険な場所であるという情報を「民間人」にどれだけ知らせるかも問題である。良識的な兵士なら、ここはいちばん狙われているところ、ここへ避難するではなく、ほかへ逃げろというかもしれない。さらに、民間人の命を守るのが兵士の仕事。このままでは民間人に犠牲者が出る。それは避けなければならない。だから投降しよう(降伏しよう)というかもしれない。どうも、読売新聞の記事を読む限りは、民間人の命を優先して考えるという兵士はアゾフ大隊にはいないらしい。「民間人が数百人いる。安全な第三国に出してほしい」という前に、民間人にここへ来るな、という呼びかけがなぜできなかったのか。あるいは、いまなぜ、民間人を守るために投降するといえないのか。
 私の勝手な想像だが。
 「民間人を死なせてはいけない。ここはいったん投降しよう。捕虜になって反撃の機会を待とう。ウクライナは必ずロシアに勝ち、奪われた大地を取り戻す」というメッセージとともに製鉄所から出てくる映像をSNSで発信すれば、世界の多くの人はウクライナの戦いをいっそう支持するだろう。NATO軍はどう思うか知らないが、一般市民は。
 現代は「情報戦」の時代なのだから、「負ける」ときこそかっこよくアピールすれば、「勝てる」はずである。
 絵空言の想像かもしれないが。
 
 
 
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なぜ、ベネズエラ?(情報の読み方)

2022-04-19 17:55:31 | 考える日記

 2022年04月19日の読売新聞(14版・西部版)外電(国際)面に、「ベネズエラ人道危機/政情不安600万人国外へ」という見出し、記事がある。いま、世界中がウクライナの人道危機に注目している。読売新聞も1面で「露、300か所にミサイル/標的拡大 リビウ死者7人」とトップ記事で報道している。ウクライナの状況よりも伝えなければならないベネズエラの問題とは何だろうか。
↓↓↓↓
 南米ベネズエラから国外に逃れる避難民がここ数年急増し、人口の2割となる600万人に達した。世界有数の産油国にもかかわらず、政治的、経済的な混乱で暮らしが困窮。国際社会は支援に及び腰で、「忘れられた人道危機」になりつつある。(チリ北部コルチャネ 淵上隆悠)
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 「忘れられた人道危機」、つまり「忘れてはならない」という警告なのだが。
 それはそれでいいが、私はこのルポを読みながら、まったく違うことを考えた。このルポからは、ベネズエラの「今の危機」というよりも、「これからの危機」、もっとあからさまにいえば「ウクライナ以後の危機」が起きることを予告している。書いた淵上隆悠は意識していないだろうが、今後起きることが、予告されている。(もちろん淵上隆悠の狙いは「予告」ではなく、ベネズエラ政権への批判なのだが……。)
 このルポのいちばんの問題点は「世界有数の産油国にもかかわらず、政治的、経済的な混乱で暮らしが困窮」と書きながら、ベネズエラの「現実」が書かれていない。ベネズエラから脱出した難民をチリで取材して書いていることである。チリはベネズエラから遠い。なぜ、チリまで? ということも書いていない。
 逆に、
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 昨年、チリ警察が摘発した不法入国は前年の2倍強となる1万6879件で、大部分をベネズエラ人が占める。殺人に加担し逮捕された例もあり、国内では治安悪化への懸念が高まる。
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 という奇妙なことが書かれている。難民支援というよりも、これでは、難民によって遠く離れたチリでさえも「治安悪化」が起きている。大問題だ、というわけだ。これは、どうみても「難民」の立場に立ったルポではないね。
 では、何が狙いなのか。
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 ベネズエラは、14年間続いたチャベス政権を13年にニコラス・マドゥロ大統領が継ぎ、反米左派路線が維持されている。19年、独裁的な政権運営に反発した野党指導者が暫定大統領への就任を宣言するなど、避難民急増の背景には政治の混乱と経済の破綻がある。
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 マドゥロの「反米左派路線」が原因であると読売新聞はいいたのだ。マドゥロと野党との対立が「政治の混乱と経済の破綻」を引き起し、それが難民を急増させている。
 政治的対立のことは具体的に書かずに、読売新聞は、こう書いている。
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 原油は世界最大の埋蔵量を持ちながらも、米国などの制裁で輸出が厳しく制限されている。ハイパーインフレで物価上昇率は18年に10万%超に達した。1日2ドル(約250円)以下で暮らす「極度の貧困層」が、国民の76・6%を占める。
↑↑↑↑
 この部分を落ち着いて読めば、「経済破綻」が与野党の対立ではなく、アメリカの経済制裁が原因だとわかる。「世界最大の埋蔵量」の石油を抱えながら、輸出が制限されている。そのためにベネズエラには金が入ってこない。これが「貧困」の最大の理由である。版アメリカ政策がいけないのだ、と読売新聞はいいたいのだ。しかし、マドゥロが石油を売った金を独占しているわけではないのだ。石油があるのに売れないから貧困が拡大しているのだ。原因は、むしろアメリカのベネズエラ敵視政策にある。そう書かずに、あくまでもマドゥロに責任を負わせる。

 では、なぜ、いまこの記事が書かれたのか。
 これからは、私の「推測/妄想」である。ロシアの石油、天然ガスの「輸入」をアメリカ主導で、世界中が拒んだ。どうしても石油が足りなくなる。この石油不足を解消するにはベネズエラの石油に頼るしかない。でも、ベネズエラに対しては、やはり「経済制裁対策」がとられている。どの国も「輸入」できない。
 どうすればいいか。
 マドゥロの「反米左派路線」をやめさせる必要がある。マドゥロを追放する必要がある。アメリカの資本主義にそった形でベネズエラの石油を流通させる必要がある。
 でも、どうやって? 「難民」問題を取り上げ、マドゥロを批判する。マドゥロは、ベネズエラのプーチンだ、という「見方」を世界に広める。ウクライナの難民と重ねて報道すれば、マドゥロへの批判が高まる、ということを狙っている。
 でも、どうして、アメリカはマドゥロの「反米左派路線」に経済制裁を加えることになったのか。
 私はそういうことをきちんと調べたわけではないからテキトウに書くのだが、ベネズエラが「世界最大の埋蔵量の石油」を周辺国に安く売ってしまうと、諸外国のアメリカへの依存度が低くなってしまう。アメリカの言うことを聞くより、ベネズエラの言うことを聞いた方が石油が安く手に入る。脱アメリカ追随。この方が経済発展にも役立つ。中南米諸国がそう考えるとき、ベネズエラの「地位」が相対的に高くなる。アメリカの価値が相対的に下がる。これをアメリカは許せないのだ。ベネズエラに金もうけをさせるわけにはいかない。これが、アメリカの「狙い」である。
 これは、アメリカのロシア対策も同じでである。ロシアがパイプラインを建設し、ヨーロッパへ天然ガスを安く売る。日本へも安く売る。ロシアとヨーロッパの経済交流が活発になる。つまり、アメリカがヨーロッパで金を稼ぐ機会が減る。それを封じるための「経済制裁」。アメリカの利益を優先させる。最終的には、ロシアの石油、天然ガス、小麦などの「資源」の「流通経路」をアメリカ資本主義の下に組み込み、支配する、ということろまで進めたいのだと思う。

 ここからである。
 アメリカ主導の「経済制裁」がロシア(ウクライナ)で成功すれば、次は、南米で同じことが起きる。ベネズエラへの「経済制裁」をさらに強化し、ベネズエラの「石油」をアメリカの支配下に押さえる。アメリカが、その「流通経路/価格」を決定する。そういう世界をアメリカは狙っている。
 私は、そこまで「妄想」してしまう。
 アメリカが狙っているのは「アメリカ資本主義」の「世界制覇」である。すべての「経済」をアメリカ資本主義のもとに統一する。
 だから、いまアメリカの最大の競争相手である中国には、台湾問題をちらつかせて、脅しをかけている。「台湾有事」の「前哨戦(予行演習)」が「ウクライナ有事」である。そして、「台湾有事」をすぐに起こしてしまうのはかなり危険なので、ウクライナの後は、ベネズエラで「予行演習」をしてみよう、というのがアメリカの狙いである。そのために、自民党べったりの読売新聞を通じて、ベネズエラを「難民」を生み出す問題国としてアピールし、それを解決するという「名目」作り上げようというのである。
 ロシア制裁(ロシアを国際経済から追放)のあとはベネズエラ追放である。次に問題が起きるのは、「南米」である。そのことを読売新聞の記事は「予告」している。中国も問題だが、「地理的」にもっとアメリカに近いベネズエラ。そこをまず支配し、体制を固めた上で、最終的に中国をも支配する、というのがアメリカの狙いである、ということを読売新聞は教えてくる。
 読売新聞は、記事を、こうしめくくっている。
↓↓↓↓
UNHCRによると、ベネズエラ避難民を保護するため、22年は7億8000万ドル(約980億円)が必要だが、これまでに集まったのはわずか8%。国際社会では、ロシアの侵攻に伴い、ウクライナ避難民を受け入れる動きが広がる。
 「私たちを忘れないでほしい」。自由と豊かさに向けて逃避するパルガスさんの叫びが耳に響いた。
↑↑↑↑
 チリまで脱出した「難民」によりそうふりをしている。ベネズエラの「自由と豊かさ」は、アメリカが経済制裁さえ取らなければ、可能だったかもしれないということを指摘せず、アメリカの主張をそのまま垂れ流している。ベネズエラが、自由に石油を輸出さえできれば、経済は急激に改善するだろう。そういうことに目をつむっている。
 世界中で石油が高騰するいま、アメリカがいちばんほしいのはベネズエラの石油であるということを間接的に「証明」しているともいえる。金儲けのためなら、なんでもする。それがアメリカ資本主義だということを、忘れてはならないと思う。
 資源をもたない日本の物価はこれからどんどんあがる。円安も加速する。「資源大国」のアメリカだけが、もうかる。これが、これから永遠に続くのだ。

 

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ゼレンスキーのことば(情報の読み方)

2022-04-18 10:11:28 | 考える日記

 2022年04月18日の読売新聞(14版・西部版)1面に、「露、マリウポリ投降迫る/ウクライナ首相「最後まで戦う」/ゼレンスキー氏「全滅なら協議中止」」という見出し。読みながら、私は、ぞっとした。
 記事の内容は、見出しのとおり。念のために途中を省略し引用しておく。(番号は、私がつけた。)
↓↓↓↓
①露国防省は16日、市街地を「完全に解放した」と発表し、その後、製鉄所の敷地を拠点に抵抗を続けるウクライナ軍に対し、17日午前6時(日本時間17日正午)から17日午後1時(同午後7時)までの投降を求める最後通告を出した。
②これに対し、ウクライナのデニス・シュミハリ首相は17日、米ABCニュースのインタビューで「我が軍の部隊は依然、残っており、最後まで戦う」と述べた。
③17日午前の発表で、露国防省は、ウクライナ側の通信内容を傍受したとして、「投降を拒否するよう指示されている」と主張した。約2500人とされるウクライナ軍側にはカナダや欧州などの外国人雇い兵が最大400人含まれているとし、「抵抗を続ければ全員殺害することになる」と警告した。
④これに先立ち、ゼレンスキー氏は16日の自国メディアとの記者会見で、マリウポリ情勢に関し、「(自国軍が)全滅すれば、ロシアとの停戦協議は終わりを迎えることになる」と述べ、交渉打ち切りの可能性に言及した。
↑↑↑↑
 読売新聞の見出ししたがって、「漫然」と新聞を読むと、ロシアがウクライナに、投降を迫った。ウクライナ首相は、投降を拒否し「最後まで戦う」と言った。さらにゼレンスキーも「(マリウポリのウクライナ軍が)全滅すれば、ロシアとの停戦協議は終わる」と語ったように見える。つまり、ゼレンスキー(ウクライナ)の決意表明のようにみえる。この決意表明をどうみるか。読売新聞の書き方は、ゼレンスキーの決断を「称賛」しているようにみえる。強い愛国心のあらわれ、ウクライナ人の決意の強さを代弁している、と。このことについては後でもう一度書くが、時系列とおりに経過をたどりなおすと、このニュースの見え方が違ってくる。
 読売新聞の④には「これに先立ち」ということばがある。この「これに先立ち」はとてもあいまいで、時系列的には、ウクライナ首相が「最後まで戦う」とインタビューで答える前ということしかわからない。つまり①のロシアがマリウポリ市街地を完全解放したと発表した後なのか、それとも投降を求める最後通告を出した後なのか。③の記事が事実を伝えているのならば、「投降拒否の指示(たぶんゼレンスキーからの)」をロシアが把握したので、投降を求める「最後通告」を出したのだろう。「最後通告」のあとにゼレンスキーが「全滅なら協議中止」という発言をしたのなら、そのときは「投降拒否」は「絶滅するまで戦え」というウクライナ軍への指示を含んでいるはずだ。これを受けて、②首相は「最後まで戦う」と言っている。ゼレンスキーに歩調をあわせていることになる。
 
 ここでいちばん問題になるのは(きっと、今後、問題になるのは)、ゼレンスキーの指示と、それを首相が追認したという「ことば」の順序である。ゼレンスキーが「投降するな、最後まで(全滅するまで)戦え」という指示を出したのだとしたら、首相が「反対」とはいいにくいだろう。軍隊の体験がないから、テキトウなことを書くが、軍ではトップの指示に対して部下が反対とはいえないだろう。とくに、部外者に向かって「大統領が投降するな、絶滅するまで戦え」と指示を出しているときに(16日)、それを知っている首相が(17日に)「投降の可能性もある」といえるはずがない。「最後まで戦う」と兵士の代弁をするしかない。
 で、そのことと関係するのだが。
 「投降するな(絶滅するまで戦え)」という指示は、大統領に許されることなのか、とうことである。「投降するな(捕虜になるな)」という指示を出す権利はだれにあるのか。だいたい「投降するな(絶滅するまで戦え)」というのは、「戦って死ね」ということである。「戦え」という指示を出すことは軍隊にとって必要だろうが、「死ね」という指示を出すことは適切なのか。とくに指導者の場合、その責任が問題になるだろう。
 私は実際に体験したわけではないから断言はできないが、日本が引き起こした戦争の末期の悲劇は「投降するな/絶滅するまで戦え」という命令に問題があったからではないのか。勝てないと判断したら、投降し、兵士を命を守ることが大事なのではないのか。
 ゼレンスキーの指示(判断)は、完全に間違っている。「投降するな/絶滅するまで戦え」というような命令は出してはいけない。

 さらに、この読売新聞の記事には、もうひとつ問題がある。
 ゼレンスキーは「(自国軍が)全滅すれば、ロシアとの停戦協議は終わりを迎えることになる」と語っただけで、軍に対してどういう「命令/指示」を出したのか、具体的にはわからないことである。
 わからないけれど、

ゼレンスキー氏「全滅なら協議中止」

 という見出しを読むと、どうしても「絶滅するまで戦え」という指示を出していると感じてしまう。そして、その指示が私の「妄想」どおりだとして……。その指示に対して読売新聞はどう思っているのか、それがはっきりとはわからない。
 私には、読売新聞は、このゼレンスキーの態度を「好ましい」ものとして伝えようとしていないか。ウクライナの決意を伝えるものとして「称賛」していないか。また、この見出し、記事を読んだ読者は、「ゼレンスキーがんばれ、ウクライナ兵がんばれ」という気持ちを持たないか。
 これは、とても危険なことだ。
 私はロシアの侵攻が間違っていると思うし、既に書いたが、ロシアは絶対に敗北すると考えているが、だからといってウクライナ兵に対して「死ぬまでがんばれ」とはいえない。死なないために、できることはなんでもしてほしいと思う。「投降する(捕虜になる)」のは、生き延びて、チャンスを見つけて反撃するためだろう。「絶滅」しては、反撃できない。ほんとうに反撃する気持ちがあるなら、いったん投降し、生き延びる道を選ばないといけない。

 プーチンの「ロシアは核をもっている」という発言(核使用を示唆する脅し)も問題だが、バイデンの「ロシアの政権を交代させる」「物価高はプーチンのせい」「ウクライナでジェノサイドがあった」という発言も問題だ。同じように、ゼレンスキーの「絶滅するまで戦え」を暗示させることばも問題だ。(ゼレンスキーの正確なことばは、よくわからない。具体的にどういう指示を出したのか、わからないが……。)
 ジャーナリズムは、どうしても「伝聞」になる。ある発言が、どういう「文脈/時系列」でおこなわれたのかわかりにくいときがある。そのために「ことば」が暴走する。「ことば」を暴走させないで、「事実」を見つめる工夫をしないといけないし、「ことば」にあおられないよう注意して読まないといけない。

 繰り返すが、もしゼレンスキーが「絶滅なら協議中止」と言ったのだとすれば、どこかでゼレンスキーは「絶滅」を想定している。「絶滅」は、指導者が絶対に想定してはいけない事態である。(たとえば、核使用の引き起こす「絶滅」がある。)そして、そういう「決意」は、絶対に「称賛」してはいけない。すこしでも「称賛」のニュアンスが出てはいけない。
 「最後(絶滅)まで戦う」という決意を「称賛」してはならない。死ぬのは、指示(命令)を出したひとではなく、戦っている兵士である。
 権力者の側に立つのか、戦っている兵士の側に立つのか。
 ここから「ことば」を動かして、現実をとらえなおす必要がある。プーチンも危険だが、バイデンも危険だし、ゼレンスキーも危険だ。三人とも冷静さを失っている。

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バイデンのことば(2)(情報の読み方)

2022-04-14 10:09:39 | 考える日記

 2022年04月14日の読売新聞(14版・西部版)1面に、「ウクライナ/米大統領「ジェノサイド」/戦争犯罪 米欧が糾明支援」という見出し。バイデンは、これまで「戦争犯罪」ということばはつかってきたが、「ジェノサイド」ということばでロシアを非難したことはなかった。しかし、
↓↓↓↓
バイデン氏は「先週と違い、露軍が行った恐ろしいことを示す証拠が次々に出てきている」と述べ、より深刻な犯罪のジェノサイドにあたると踏み込んだ。
↑↑↑↑
 さて、これだけでは「証拠」が何かわからない。だれが収集した証拠なのかもわからない。ゼレンスキーが「ジェノサイドだ」と批判するのと、バイデンが「ジェノサイドだ」と認定するのでは「意味」が違う。「証拠」が必要だ。さらに、ほんとうに「ジェノサイド」があったのだと仮定して、それをどうやって「裁く」のか。ロシアに認めさせるのか、という問題が残る。「ジェノサイドだ」と批判すればおしまいではない。
 このことはバイデンもいくらかは理解している。だから、国際刑事裁判所(ICC)が動き出している。(外電面で補っている。(数字は私がつけた。記事は、一部省略している。)
↓↓↓↓
①バイデン米大統領は12日、ロシア軍の行為を「ジェノサイド(集団殺害)」と非難した。ロシア軍の管理下で起きた事件などについて、日本を含む40か国以上が戦争犯罪を裁く国際刑事裁判所(ICC)に捜査を要請し、ICCは証拠集めに着手した。
②ウクライナの捜査当局は12日には、多数の民間人の遺体が見つかったキーウ近郊ブチャでフランスの法医学専門家チームと一緒に捜査を進めた。
③ICCには日本や英国、フランスなど123か国・地域が加盟しているが、ロシアや米国、中国などは入っていない。
④ウクライナも加盟していないがICCの捜査を受け入れると宣言している。捜査の結果、証拠が固まればICCは容疑者引き渡しを求めるが、加盟国でないロシアに応じる義務はない。
↑↑↑↑
 ①からは、戦争犯罪は、当事者でなくても捜査を要請できることがわかる。被害に遭っている国は、それを要請しているだけの余裕がないかもしれない。また、他国の問題といって、当事者ではない国が「戦争犯罪」を見逃すのは、人道的にもおかしいから、これはごく自然なことと思える。
 ②からは、フランスが捜査に参加していることがわかる。フランスのことしか書いていないのは、日本やアメリカは参加していない、を意味する。「証拠」があるとしても、それはフランス経由のものであって、アメリカが直接捜査したわけではない。これだけでも、バイデンの主張が「他人任せ」の要素を含んだあやしいもの、世界でいちばん影響力のある人間が軽々しく口にしてはいけないことばだとわかるが……。
 ③では、なんと、アメリカはICCには加盟していないのだ。たぶん、アメリカが行ってきた「侵略/虐殺」というものを、国際機関で裁かれることを拒否するためだろう。イラクやアフガンでアメリカが行ってきたことを(当時は行っていることを)裁かれたくない。だから、加盟していない。
 ④では、はっきりと、加盟していない国には判決というか決定を受け入れる義務はないと説明している。アメリカは「判決を受け入れる義務」を回避するために、ICCには加盟していないということがわかる。
 それなのに。
 ICCを利用して、ロシアを批判しようとしている。アメリカの主張を正当化するためにICCを利用しようとしている。
 これは、おかしくはないか。いわゆる「二重基準/ダブルスタンダード」というものだろう。

 ウクライナで起きていることは悲惨である。だれだって人が殺されているのを見れば、殺されている人に同情する。殺した人を批判する。そのとき強いことばで批判すればするほど、批判した人は「正義の人」として認められるだろう。
 バイデンは、そういう「正義の人」になろうとしている。アメリカこそが「正義」なのだと言おうとしている。これは、私には、非常に危険なものに思える。
 「正義」を振りかざす以上、「正義の判断」にはしたがうという姿勢を示さないといけない。まず、アメリカ自身がICCに加盟しないといけない。

 私はきのう、いま求められているのは「武力戦争」でも「経済戦争」でもなく「ことばの戦争(外交/対話)」だと書いたが、バイデンの「ジェノサイド」発言は「言いたい放題」であって、議論ではない。議論というのは「同じ場」に立つことが第一条件である。自分にはある規則を当てはめないが、他国には規則を当てはめる、では、「アメリカが法」になってしまう。実際、バイデンが押し進めようとしていることは、すべてをアメリカが決めるままに支配するということである。
 バイデンのことばからは、そういうことがわかる。ロシアがウクライナで行ったこと(行っていること)は厳しく批判されなければならないが、その批判は、「根拠」をもったものでないといけない。バイデンは、きのう取り上げた「物価高はプーチンのせい」ということばが特徴的だが、他人を批判することでバイデンの政策を「隠す」という動きをする。他人を批判せずには、自分を正当化するということができない論理である。

 

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「プーチンのせい」(情報の読み方)

2022-04-13 22:31:19 | 考える日記

 2022年04月13日の読売新聞夕刊(4版・西部版)3面に、アメリカの物価高と、バイデンのセットで載っている。(番号は、私がつけた。)
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 【ワシントン=山内竜介】米国のバイデン大統領は12日、同日発表の①3月の消費者物価指数上昇率が前年同月比8・5%と約40年ぶりの伸びとなったことについて、②「70%はプーチン(露大統領)が引き起こしたガソリン価格上昇によるものだ」と述べた。ロシアのウクライナ侵攻に伴う燃料価格の高騰にいらだちをあらわにした。
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 記事の書き方からわかるように、これは①3月のアメリカの物価が8・5%上がった②その原因をバイデンが「プーチンのせいだ」ということだが、①の方は既にニュースとして報道されているので、見出しは「物価高、70%プーチンのせい、バイデン氏主張」ととっている。
 戦争も、物価高も、みんなプーチンが悪い、と言いたいのである。戦争はたしかにプーチンが悪い。しかし、物価高は、一概にプーチンだけが悪いとは言えない。貿易が機能せず、いろいろなものが不足しているのはたしかだが、輸入に頼らない国家を作り上げれていれば、ロシアからいろいろなものが輸入できなくなったからといって物価が上がることはないだろう。
 で、ここから思うのだが。
 アメリカは石油も農業産品も輸出している。(輸入もあるだろうけれど。)国土も広ければ、資源も多い。人口だって、多い(労働力が不足するということはないはずだ)。そういうアメリカで物価が高くなるということは、どういうことなのだ。
 というよりも。
 資源大国と言えるアメリカで物価が高くなるなら、資源をもたない国の物価はもっと高くなるだろう。日本の場合、8・5%でとどまるかどうかわからない。
 フランス大統領選は、物価高の影響でマクロンが苦戦している。新聞では報道されていないが、スペインでも物価はどんどん上がっている。(数人の友人に聞いただけだから、厳密な情報ではないが、私と同世代の男性が実感しているくらいだから、あらゆる商品が値上がりしているのだろう。)
 だから。
 今回のパイデンの「物価高はプーチンのせい」というのは、単にアメリカ国内向けの発言ではなく、外国向けのメッセージでもある。もっと極端に言えば、バイデンが率先して「物価高はプーチンのせい」とアピールするから、各国とも物価をどんどん上げてしまえ、そうすることで反プーチン感情をあおれ、と言っているのである。物価高に対して(価格転嫁に対して)、バイデンが「お墨付き」を与えたのだ。
 日本では、きっと、これからもっともっと値上がりがつづく。企業は悪くない。プーチンが悪いのだ。

 それにしても、と思うのだ。
 アメリカはNATOにアメリカの軍備を売りつけることで金を儲けるだけでは満足せず、その他の原料も高値で売りつけ、金を稼ごうとしている。アメリカ国内でもものが不足している。それを輸出にまわしているのだから、アメリカからの輸出品が高くなるのはあたり前、ということだ。「高くても、輸出してもらえるだけありがたいと思え」というわけだ。
 ニュース(ジャーナリズム)は、プーチンの引き起こすかもしれない核戦争に人々の注意を引きつけるのに躍起だが、核戦争が起きなくても、多くの国で多くの市民が物価高/生活苦にあえぎ、死んでいくことになるかもしれない。この物価高による貧困死は、戦争のように目立たない。じわじわと侵攻していく。
 そのとき、その一方で、金儲けができたと喜ぶひとがいる。
 そのことに、目を向けなければならない。

 私は何度も「経済戦争」ということばをつかってきたが、ロシアに「侵攻をやめろ」と叫び続けると同時に、アメリカに「経済戦争をやめろ」ということも必要だと思う。それぞれの政府に対して「経済戦争をやめろ」と叫ばないと、私たちは、ほんとうに貧困(物価高)のために死んでいくことになる。
 悠長に聞こえるかもしれないが、戦争をするなら「言論戦争/外交」をしろ、と言いたい。プーチンを言論で説得するための努力を、アメリカをはじめ多くの国はすべきなのだ。アメリカは米ロ対談がうまくいかなかったらアメリカの責任が問われると思っているのだろう。こんな事態になっても、まだプーチンに対話しようと呼びかけてはいない。(報道されないところで交渉があるのかもしれないが、表には出てきていない。)マクロンが何度もプーチンと対話しているのと比べてみるといい。武器を売りつけ、アメリカの商品を売りつけ、「おいしいところ(金儲け)」だけをしている。
 そのあげくに、国民から物価高の批判を受けると「プーチンのせい」と言って逃げてしまう。

 

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「経済戦争」の行方(フランス大統領選から考えたこと)

2022-04-12 09:56:26 | 考える日記

「経済戦争」の行方(フランス大統領選から考えたこと)

 2022年04月12日の読売新聞(14版・西部版)一面に、フランス大統領選が決選投票に持ち込まれたことが書かれている。現職のマクロンと、極右政党のルペンが決選投票に進んだ。ロシアのウクライナ侵攻以後、一時、マクロンが人気を回復したが、最近はルペンにその差を追い詰められている。決選投票は接戦になると予想されている。

 私が注目したのは、次の「解説」。
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 ルペン氏は、物価高騰に苦しむ低・中所得層にエネルギー関連の減税を訴え、支持を急拡大した。自国政策の優先を訴え、EUやNATOとの関わりには消極的な立場で、大統領に就任すれば、欧州政治の混乱は必至だ。
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 私はもともと今回のウクライナ問題は「領土問題(領土をめぐる戦争)」というよりも「経済戦争」ではないか、と感じている。そのことは何度も書いた。コロナで経済が停滞し、どの国も苦しんでいる。アメリカも例外ではないだろう。アメリカはアフガンから撤退したために、軍需産業は武器を売る相手がいない。米軍には売れない。なんとしてもヨーロッパ諸国(NATO加盟国)に武器を買ってもらう必要があったのだ。さらに、ロシアは豊かな資源(天然ガス、石油、小麦)を抱え、ヨーロッパ相手に金を稼いでいる。アメリカがヨーロッパで金を稼ごうにも、ロシアに比べると「地理的」に不利なのである。それをなんとかしたかった。「武力侵略」に抗議する、その対抗手段として「経済制裁」をする、というのがアメリカ資本主義(金儲け主義)があみだした作戦だが、これはロシアからの輸入に頼っている国にとっては大打撃になった。とくに原材料の高騰を商品に転嫁して利益を確保できる企業に比べると、消費者(資本家ではない国民)には大打撃だ。物価が上がり、いままでの生活ができない。この「経済戦争」の犠牲に、フランスの貧困層がいち早く反応したのだと私は思う。
 この動きは、世界に広がるだろう。SNSを初めとするインターネットの情報は、「ロシアの虐殺」情報を素早く世界中に拡散したが、これからは「物価高で苦しむ消費者」の情報も次々に拡散するようになるだろう。そして、この「物価高で苦しむ消費者」の情報は「ロシアの虐殺」のように「刺戟的」ではないが、「事実」を自分の目で、自分の暮らしで確かめることができる。「嘘」というか、「情報操作」のしようがない。ガソリンが値上がりした、ガス代、電気代が高くなった、パンが値上がりした、ひまわり油が値上がりした。それは、だれもが自分の目で目撃できることである。
 一方で、消費者はしだいに気づき始める。消費者の「家計」は赤字になっているが、企業はどうなのか。企業は利益を確保し続けているではないか、と。価格転嫁によって収益を確保し、その収益を消費者が値上がりした商品を買うことで支えている。なぜ、資本家だけが優遇されるのか。
 (こういう批判を先取りしてのことだと思うが、トヨタは、今年の春闘で早々と「満額回答」をしている。従業員の給料を上げることで、物価高に備えている。このニュースのときも書いたが、トヨタは、アメリカ資本主義が展開する「経済戦争(経済制裁)」の行方を最初から知っていたのだ。もちろん独自判断ではなく、政権と「打ち合わせ」ずみなのだろう。)
 フランス国民が投げかけた「疑問」は、これから世界に拡大する。「フランス革命」が世界を揺さぶったように、フランスの「消費者革命」が世界を揺さぶる。
 ブッシュを初めとする政治的権力者(アメリカ資本主義の代弁者)は、NATOを前面に打ち出してロシアの危険性(さらには中国の危険性)をアピールするが、消費者はロシアの脅威など気にしていない。いま、目の前にある暮らしに困っている。貧困に困っている。やがてNATOが存在しなければ、もっと豊かになれるはずだということに気づくだろう。消費者(一般市民)は、すでに「国境」というものを意識しなくなっている。「国境」を越えて、情報も商品も、自由に行き来している。それを阻んでいるものがあるとすれば、それは「軍事同盟」である。「軍事同盟」が「国境」を生み出し、その「軍事同盟」と「資本主義体制」を重ね合わせようとしている。

 私はルペンの「極右政策」に賛成しているわけではないが、ルペンは決選投票で勝つかもしれないと期待している。たぶん、2週間後ではなく、フランス大統領選挙が2か月後なら、ルペンは確実に勝つだろうと思う。物価は、これからもどんどん上がる。便乗値上げも起きる。みんながおかしいと気づき、怒り始めるだろう。
 誰もが「世界平和」について考えなければいけない(自分だけの平和を考えてはいけない)というのは「真理」だが、そのために「ほしがりません、勝つまでは」という精神を生き抜くというのは、はっきり言って間違っている。
 早く戦争終結へ向けての議論(外交)を展開しろ。なぜ、交渉(議論)をしないのか。様々な提案をしないのか。妥結点を探そうとしないのか。
 もともとルペンが台頭してきたのは、フランスの「経済問題」が背景にあると思う。フランスは「多国籍文化」の国である。フランス(パリ?)の小学校で、祖父母を含めて、その「家族」のなかにフランス人以外の人がいる人は、児童の4人にひとり、という記事を読んだことがある。祖父母までさかのぼって「家系」を見ると「純粋のフランス人」というのはどんどん減っている。移民も多い。フランスの「豊かな生活」を求めてやってくる人たちの影響で、それまでフランスで生きてきた人たちの暮らしが変化し、そのことに対し不満を持つ人が増えている。その結果、「移民は出て行け(移民を制限しろ)」というような主張が生まれたのだろうが、この問題、よく考えてみるといい。NATOとは別次元の問題なのだ。経済問題ではあるが、軍事力によって解決できる問題ではないのだ。豊かな暮らしをしたいというのは人間の共通の願望なのだ。
 既にイギリスはEUを脱退したが、経済問題と軍事問題は別であり、いまほんとうに問われているのは「経済問題」なのだ。「経済戦争」の行方なのだ。このままアメリカ資本主義が世界を支配してしまうとどうなるのか。資本家だけがもうかり、消費者は貧困に苦しみ続けるということが起きるのではないのか。そのことに、フランスの消費者は「実感」として気づき始めた。それが、今回のフランス大統領選挙にあらわれている。
 かつてアメリカの政策に対して「ノン」を言い続け、フランスの独自性を維持していた大統領がいたと思う。(名前は忘れた。)ふたたび、そういう「健全」で「多様」な世界がはじまるかもしれない。読売新聞は「(ルペンが)大統領に就任すれば、欧州政治の混乱は必至だ」と書くが、その「混乱」はいまのアメリカ資本主義の「混乱」であり、そこからの「脱出」を意味するかもしれない。「アメリカ資本主義」という「基準」を捨てて、世界を見つめる必要があると思う。「自分の暮らし」から世界を見つめる力が、世界を変えていく。
 私は、フランス大統領選挙が、いまの「アメリカ資本主義」を見直すきっかけになることを期待している。アメリカ資本主義のための「経済戦争」の犠牲になど、私はなりたくない。

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書かれないことば

2022-04-09 10:17:40 | 考える日記

書かれないことば

 きょう、2022年04月08日の読売新聞(14版・西部版)の一面トップ記事は「露産石炭 輸入禁止へ/追加制裁 エネ分野も/G7と協調」。ロシア軍のウクライナ住民虐殺の疑いが高まったことから、経済制裁措置を拡大するというもの。
↓↓↓↓
 日本の石炭の輸入先のうち、主に発電用に使う「一般炭」の13%、製鉄などに使う「原料炭」の8%をロシアが占める(2021年速報値)。このため、政府はこれまでエネルギー分野での制裁に慎重だった。だが、ロシア軍の非人道的行為に批判が高まっていることを踏まえ、ロシアの基幹産業に打撃を与えて戦争継続を困難にするため、先進7か国(G7)で歩調を合わせることにした。
↑↑↑↑
 ここまでは何の疑問もなく読むことができる。
 私が、疑問に思ったのは、次の部分。
↓↓↓↓
 首相は、「非道な侵略を終わらせ、平和秩序を守るための正念場だ」と訴え、国民に理解と協力を求めた。
↑↑↑↑
 これも、もっともらしく聞こえるんだけれど、なぜ「国民に理解を求めた」のか。ロシア産の石炭を輸入しなくなる結果、国民がなぜ困る? わかっているじゃないか、発電に必要な石炭を他の国から調達しないといけない。製鉄につかう石炭も他の国から調達しないといけない。石炭代がかさむ。電気料金や鉄の値段が上がる。物価が上がる。国民はこの物価上昇に我慢しなければならない。値上げを受け入れなければならない。世界平和、ウクライナの住民を支援するために。
 そうなんだけれど。
 もし、ロシア産よりも安い石炭を他の国から輸入できたら? 物価は下がる? もし、他国から安い石炭を輸入できないにしても、なぜ、「国民」が協力しないといけない? 電力会社や企業が国の政策に協力すればいいのであって(つまり燃料が高騰した分を企業が負担する、赤字を抱え込めばいいのであって)、国民に転嫁しなくてもいいのではないか。電力会社、製鉄会社の事情は知らないが、企業の内部保留(黒字をため込んだもの)が膨大にあると報道されている。企業が協力して、資金を融通するという形で、今回の、ロシアへの経済制裁によって生じる「赤字」を負担するという方法があってもいいのではないだろうか。
 なぜ、「国民に」理解と協力を求めるのだろう。なぜ「企業に」理解と協力を求めないのだろうか。
 簡単だね。企業に、内部保留を吐き出し、協力しろ、企業は底部保留の金を融通しあい、この難局を乗り切れ、なんて言ったら「もう献金はしません」と言われるからだね。自民党の「収入源」がなくなる。だから、そんなことは言わない。
 どういうことを言うか。物価が上昇するということは、国民向けにアピールする。世界平和のため、ウクライナの犠牲者を助けるため、と言えば、誰だって反対はしない。だから原料高騰の分は、気にしないで商品の値段に転嫁すればいい、と言うのである。企業が赤字を抱え込む必要はない。国民の家計が赤字になればいいだけである。
 と、そこまで「露骨」に言うかどうかはわからないけれど。
 でも、ロシアのウクライナ侵攻の背後で動いている「経済システム」は、そういうことだろうと思う。ロシアに対する経済制裁をすることで、日本の企業経済も苦しくなる。でも、それは商品へ転嫁することができる。だから、実際に、企業そのものが赤字を抱えて倒産してしまうということはない。
 ここから、私は、こんなことも思う。
 いまはコロナの影響であらゆる経済が停滞している。企業が苦しんでいる。これを打開するためには、商品を値上げし、収益を確保するしかないのだが、「名目」がない。ロシアへの経済制裁の結果、原料が値上がりしたということがアピールできれば、商品への転嫁も受け入れられやすい。いまは、商品を値上げするチャンス、利益を拡大するチャンスなのである。それぞれの商品に占める原材料の割合を市民は知らない。少し余分に値上げしても、それに気づく国民は、たぶん、いない。
 私の「妄想」だが。
 コロナがこんなに長引かなかったら、今度の戦争は起きなかった。アメリカが、どたばたとアフガニスタンから撤退することもなかった。つまり、アフガンで消費される軍備を購入してもありあまる税金収入があれば、アメリカはアメリカ内部でアメリカの軍需産業を支えることができた。でも、それができなくなった。アフガンに金をつぎ込んでいるから、経済対策ができない、不景気だ。撤退してしまえ、という国民の声が強くなった。でもね。じゃあ、アフガンで消費されなくなった軍備をどこで消費するか、アメリカの軍需産業が金儲けができなければ、アメリカ政府への見返りもなくなってしまう。どうやって、金を稼ぐか。そんなことを、考える必要もなかった。でも、考えないと、どんどん経済は悪化する。(一方で、中国の経済は発展する。)
 私には、「経済システム」が引き起こした戦争に見えてしようがない。
 現代の戦争は「情報戦争」とも呼ばれているが、ロシアを挑発し、ウクライナへの侵攻を誘い出す「情報」は、果たしてなかったのか。ロシアとヨーロッパとの経済関係を断ち切り(ロシアにヨーロッパの金が流れ込まないようにし)、アメリカの経済を立て直す方法はないか、と模索している過程で、ロシアを挑発するという作戦が立てられたかもしれない。
 もちろん、私の「妄想」を「妄想ではない、正しい理解だ」と保証する「証拠」はどこにもない。でも、値上げ、値上げへと一斉に動いている社会を見ると、どうしても疑いたくなるのだ。私たちを支配しているのは「武力」よりも「経済力」なのだ。「経済システム」なのだ。私は「経済学者」ではないし、経営者でもないから、実際に金がどう動いてているか、それが社会にどう影響しているか、わからないのだが、どうしたって変である。
 この「経済戦争」の犠牲者は、きっと日本でも出てくる。金がなくて食品が買えず困った。電気代、ガス代が払えずに困った、という人は出てくる。そして、そのなかから餓死する、凍死する、熱中症で死亡するという人も出てくるだろう。そのひとたちには「銃創」はない。だれが殺したのかわからない。いや、そうではないのだ。それは「国」が殺したのだ。いまでも、貧困による死亡があるが、それは「国」が殺したのだ。その殺人は、ゆっくりと進む。明確な「傷痕」がない。しかし、そういう「国民」を巻き込んだ「経済戦争」がはじまっているのだ。

 私はウクライナで起きていることを、ほんとうに知っているわけではない。「情報」として知っているだけである。でも、身の回りで起きている「商品の値上げの動き」は実感として知っているし、働こうにも仕事がない、金が稼げないということは現実に体験しているので、そこから「世界」を見つめる、新聞で報道されているものとは違う世界が見えてしまう。新聞には書かれていないことが多すぎる、と思う。

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ロシアの戦争犯罪について考える

2022-04-08 11:49:24 | 考える日記

ロシアの戦争犯罪について考える

 きょう、2022年04月08日の読売新聞(14版・西部版)を読みながら、私は、またいやあな気持ちになった。一面に「国連人権理/露の理事国資格停止/緊急会合採択 賛成93、反対24」という見出し。記事の内容は、見出しでほぼ言い尽くされている。見出しからは、「国連人権理事会」が「ロシアの理事国資格を停止を決議した」とも読むことができるが、決議したのは国連総会。見出しにある「国連人権理」とは、主語ではなく、この記事のテーマ。そのことが、見出しからだけではわからないのだが、さらに見出しだけではわからないのは、次の部分。
↓↓↓↓
 投票の結果は賛成93、反対24、棄権58。中国は、ウクライナ情勢を巡り露軍の即時撤退や人道状況の改善を求める過去2回の総会決議でいずれも棄権したが、今回は反対に回った。米国との対立が目立つ北朝鮮、イラン、シリアも反対した。(略)
 決議案は米国が主導して作成した。ロシアによるウクライナでの人権侵害や国際人道法違反に重大な懸念を表明し、理事国の資格を停止する内容だ。
↑↑↑↑
 決議案はアメリカが主導し、24か国が反対したのだが、その「反対」した国を「米国との対立が目立つ」という修飾語で定義している。まるで、アメリカと対立しているからアメリカの案に反対した、という書き方。アメリカの案に反対するものは許さない、という感じがつたわってくる。アメリカの案(考え)に反対するものは、間違っている、という印象を与えたいかのようだ。北朝鮮、イラン、シリア以外の20か国は、なぜ「反対」したのか。その20か国もアメリカと対立しているのか。
 また「反対」した中国についても「ウクライナ情勢を巡り露軍の即時撤退や人道状況の改善を求める過去2回の総会決議でいずれも棄権したが、今回は反対に回った」と書いてあるが、「理由」は書いていない。なぜ今回は「棄権」ではなく「反対」なのか、理由があるはずなのに、それについては触れていない。
 この記事からわかることは……。
 奇妙なことだが、「反対」した国が、なぜ反対したのか、その根拠がわからないということである。中国、北朝鮮、イラン、シリアはなぜ「反対」したのか。「反対」した国から、その「理由」を取材したのか。そんなことは取材しなくてもわかるというかもしれない。でも、それは「思い込み」だろう。もし「米国との対立が目立つ」国が、その対立を引き継いで「反対」したのだとしたら、アメリカとの対立がどうような問題で、どう対立しているか、それを書かないと、アメリカと対立する国は悪い、ということになってしまう。アメリカと対立してはなぜいけないのか。
 もしかすると、「反対」する理由を書いてはいけないのかもしれない。アメリカの案に反対した理由を書いてしまうと、別の問題が明らかになる。だから理由を書いていないのかもしれない。

 さて。
 資格が停止されるとどうなるのか。
↓↓↓↓
ロシアは人権理事会への参加や投票、決議案の提出などができなくなる。
↑↑↑↑
 つまり、人権理事会から排除される。人権理事会はロシアを排除したまま、ロシアのやっている人権侵害を批判できる、ということである。
 いま、日本の裁判では、どんな裁判でも被告に弁護士がつき、被告は自分の行為について弁護することができようになっている。
 国連の人権理事会がどういうことをしているのか私は知っているわけではないのだが、この自己弁護というか、反論を封じたままの状態で、何かを決定していいのだろうか。こういう動きは、私には、民主主義とは相いれないものにしか見えない。
 ロシアの言い分を聞く。聞いた上で、その問題点を指摘し、ロシアから反省のことばを引き出すという「過程」がなければ、何があったとしても、それはロシアが「納得」したものではないだろう。民主主義というのは、議論をつづけることで、議論しているひとが変わっていくということを前提としている。対立するひとの意見を聞きながら、対立を解消する方法を探していくのが民主主義であるはずだ。この意見に反対するものは排除してしまえばいい。そうすれば「全会一致」の決議ができる、というのでは民主主義ではなく全体主義(独裁)というものだろう。
 排除と批判は違う。批判するためには、排除してはならない。受け入れることが前提にあるからこそ、批判が成り立つ。

 議論しながら(対話しながら)、双方がどうかわることができるかを探り出すのが民主主義の外交というものだろう。ロシアのウクライナ侵攻は、その基本を踏みにじったのだから、ロシアが間違っているということはたしかである。しかし、その間違っていることを明確にし、ロシアに納得させるためには、常にロシアを議論の場に引っ張りだす、議論の場に引き留め続けるということが必要なのだ。
 そして、その議論をするときには、読売新聞が書いているような「米国との対立が目立つ」というような安直なことばをつかってはいけないのだ。その対立の構造、原因、対立の過程(歴史)まで視野に入れてことばを動かす必要があるのだ。
 「どうせロシアは嘘をつく。最後は武力に訴える。だからロシアの話を聞く必要はない。ロシアを排除して、世界がアメリカを中心にまとまれば、世界は安定する」というのでは、そうした考え方こそ問題だ(今日の多くの問題の出発点だ)ということにならないか。
 必要なのは、誰か(何か)を排除することで団結することではなく、相手を巻き込み議論することである。決着がつかないから戦争で解決する、経済制裁で解決するというのでは、問題はいつまでも残り続ける。どんなに「排除」しても、「排除されたもの」が存在しなくなるわけではない。「排除」しつづけても、問題は残り続ける。
 議論は終わらなくてもいいのである。なせなら、議論している限り、戦争には突入できないからである。議論をやめたときに戦争がはじまるのである。

 あらゆるところで、ことばが死んで行く。人間よりも先にことばが死んで行く、というのが戦争かもしれない。コロナが発生し、大騒ぎになったときも感じたが、ことばが、ほんとうにつぎつぎに死んで行く、と感じる。

 

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「ウクライナでの虐殺」について考える

2022-04-06 10:44:14 | 考える日記

「ウクライナでの虐殺」について考える

 きのう、2022年04月06日、私は、何も書かなかった。書けなかった。ことばが動かなかった。
 何があったか。新聞がウクライナの状況を報道していた。ロシア軍による住民虐殺があった。それを読んで、私は、私のことばが突然、動かなくなった。
 いま、やっと動かしているが。
 なぜ、動かなくなったのか。そこに書かれている「死」が、私の知っているものではなかったからだ。どう理解していいか、わからなかった。そこから一日かけて、私自身の「死」に関する体験を思い起こしてみると。私は、死を自分の目で見たのは、兄の生命維持装置を停止させたときだけである。父も母も、私が見たときは、もう死んでしまっていて、「死ぬ」とはどういうことかを見ていない。もうひとりの兄についても、「死ぬ」瞬間を見ていない。「死」は過去形として存在したが、現在形としては存在したことがないのだ。(兄の生命維持装置を停止したときは「現在形」といえるかどうか、よくわからない。すでに何の反応も示すことができない状態だった。いわゆる「脳死」状態だった。)
 私は、「死ぬ」ということを語るためのことばを持っていないのだ。私は「死」については、葬儀とか焼骨についてなら語ることができるが、「死ぬ」ことについて語ることばを持っていないのだ。
 
 ここから、考え続けた。
 私はウクライナで起きていることを知らない。ロシア軍による虐殺があったのは事実だろう。軍隊が動けば、どけでも虐殺は起きる。そういう「歴史」を私は知っている。もちろん、「読んで」知っているということであって、目撃して知っているわけではない。「ことば」を知っている、ということである。そういう「知っていることば」と、「新聞に書かれていることば」は一致するものを多く含んでいる。だから、私は、それを「事実」として認識する。
 しかし、そこからことばが動かなかった。多くの政治家がロシアを批判している。当然のことである。彼らの「ことば」は、ごく自然なものだろう。そうは理解しても、私が彼らと同じことばを言えるかというと、どうもつまずいてしまう。私は政治家ではないから、そういうことばを言う必要はないのだが、何かつまずいてしまう。
 「知っている(わかっている)」ことについて語るというよりも、知らないことを、知らないまま、他人のことばで語ってしまうことになる、という感じがするのだ。
 これが、ことばが動かなくなった原因だ。

 きょうは、少し、ことばが動く。動かさなければ、と思ったのだ。「事実」似ついては、私は何もわからないが、「情報」についてなら、わかるというか、疑問に思うこと、名得できないことに対して、ことばが動く。「ことば(情報)」というものがどういうものか、私はある程度、経験として知っているからである。ウクライナで起きていることはわからないが、情報の現場で起きていることなら、ある程度、わかる。その「わかる」ことに対して、私のことばは動く。
 長い前置きになったが。

 ウクライナで起きた虐殺に関する「続報」が読売新聞に載っている。2022年04月06日(14版・西部版)の2面に、「ブチャ/露撤退前 衛星写真に遺体/米報道 露主張の根拠 崩れる」という見出し。見出しからわかるように、読売新聞が直接取材したニュースではなく、アメリカの新聞(ニューヨーク・タイムズ、電子版)の記事を紹介したものである。7人の遺体が放置された衛星写真も掲載されている。AFP時事が配信したものである。これがワシントン・ポストが掲載した写真かどうかは、説明を読んでもわからない。
 ウクライナで起きた虐殺を、ジャーナリズムはどうつたえているか。
↓↓↓↓
米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は4日、露軍が制圧していた3月中旬にブチャを撮影した衛星写真に、住民とみられる複数の遺体が写っていることが確認されたと報じた。ロシアはこれまで、民間人の遺体について、「(3月末の)露軍撤退後にウクライナ側が創作のために遺体を置いた」などと主張しているが、その根拠が大きく崩れた。
↑↑↑↑
 ロシアは、虐殺はウクライナの「創作」と批判しているが、そうではない、とまず結論が書かれている。正確には「(ロシアの主張の)根拠が大きく崩れた」と書いている。見出しも、「根拠 崩れる」というトーンである。
 このあとに、ニューヨーク・タイムズがそう結論を下した「理由(根拠)」が書かれている。番号は私がつけた。
↓↓↓↓
 ①同紙が民間の衛星写真を解析した結果、ブチャの通りでは3月11日時点で少なくとも11人の遺体が横たわっているのが確認された。②3月20~21日以降の衛星写真には、さらに遺体が増えていた。③同紙は、露軍撤退後のブチャの写真を入手し、衛星写真と比較したところ、同じ場所に遺体が写っており、同紙は「ロシアが主張する時点の数週間前から遺体はそこにあった」などと報じた。
↑↑↑↑
 いわゆる「三段論法」だろうか。ロシアは「3月末に、ウクライナ軍創作した」と主張している。しかし、3月末ではなく、①3月11日、11人の遺体があった、②3月20日以降、遺体が増えている(この間に、さらに虐殺がおこなわれた、という意味だろう)③なぜなら、2枚の写真では同じ場所に遺体が映っている。同じ場所で虐殺がおこなわれたのである。
 これは「説得力」があるね。「反論」のしようがないようにみえるね。でも、私は、そこに非常に疑問を感じたのだ。
 今度の虐殺で問題になっていることは、ふたつある。
 ①軍人ではなく、住民が殺された。
 ②その遺体が放置された。
 この場合、①は「誤射」ということがありうる。しかし②は誤って放置した、ということない。だからこそ、その遺体の放置を根拠に「虐殺」という批判が成立する。誤射による殺人も犯罪だが、遺体の放置は「倫理」に完全に反する。
 そして、この「遺体の放置」を理由に、虐殺を「証明」し、ロシアを批判しようとするのならば、なぜ、その「証拠写真」を掲載しないのか。ことばで説明するよりも、2枚の写真を比較させる方が、説得力があるだろう。
 (ニューヨーク・タイムズは、2枚掲載しているのかもしれないが、読売新聞は「AFP時事」配信の写真を1枚つかっているだけで、それがニューヨーク・タイムズが掲載したものかどうかは明記していない。しかも、読売新聞が掲載している写真の説明には「3月19日に撮影」と書かれていて、繰り返しになるがそこには7人の遺体が写っている。ニューヨーク・タイムズの「論理の根拠」である3月11日11人の遺体、3月20日以降の11人を上回る遺体の写真ではない。)
 さらに、私は、こんなことも思う。
 もし、3月11日時点での遺体が、3月20日(あるいは3月19日でもいいけれど)以降も放置されていたとしたら、そして放置が「虐殺」の証拠というのなら、「虐殺」したのはロシア軍だけなのか。ロシア軍だけが遺体を放置したのか。これは、ウクライナの市民にとっては心外な疑問かもしれないが、「遺体」を見たら、それを放置するのではなく、埋葬できないにしてもなんとか遺体が傷つかない場所に移してやりたいと思うのが人情ではないだろうか。一日、二日ではない。十日間以上も放置しているのである。もちろん、そこには住民はもういないから、そういうことはできない、ということかもしれないが……。彼らの遺族、友人たちは、いま、どこでどんなふうにしているのだろうか。その写真を見たら、どう思うだろうか……。
 私は、こういうことを体験したことがないから、映画などで知っていることを積み重ねて考えるだけだが、人は、知っている人が傷ついたり、死んだりしたら、なんとかその人を(その遺体を)安全な場所に移したいと思って行動する。そのときできなくても、あとで、そうしようとして、その場所へ行ったりする。そういう「痕跡」が、ニューヨーク・タイムズからはうかがえない。それを転写している読売新聞の記事からは、さらにうかがえない。
 何か変だなあ。
 遺体の身になっていない。遺体が「私たちは虐殺された」と叫んでいる。その声がニューヨーク・タイムズの記者、読売新聞の記者に聞こえたのなら、その「叫び声」がもっと明確につたわるように表現すべきだろう。「証拠」もつかんでいるというのに、その「証拠」を隠すように、記事には出てこない3月19日の写真を「証拠」として掲載するのはなぜなんだろう。

 きのう、私には、犠牲者の声が聞こえなかった。あるいは、声が大きすぎて、何を言っているのか聞き取れなかった。
 しかし、きょう新聞を読んで、ウクライナで虐殺された人の声が聞こえた。事実をはっきりとつたえてほしい、証拠をはっきりと、誰にでもわかる形でつたえてほしいと、彼らは叫んでいる。
 私には、それをつたえる方法がない。
 かわりに、新聞記事を読みながら、こんなつたえ方はない、と怒りをこめて批判する。もっと犠牲者によりそったつたえ方をしてほしい。

 

 

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「経済戦争」の敗者はだれ?

2022-04-03 10:57:40 | 考える日記

 ロシアのウクライナ侵攻の行方が見えない……とは、私は、一度も考えたことがない。結果は、はじまったときから、私には「見えている」。というか、それ以外のことを想像したことがない。
 どうなるか。
 ロシアは「負ける」。
 理由は簡単。
 ロシアがウクライナに侵略した。侵略者は必ず負ける。日本は中国や韓国に侵略し、負けた。アメリカはベトナムに侵略し、負けた。イラクに侵略し、負けた。アフガニスタンに侵略し、負けた。(アメリカはベトナム、イラク、アフガニスタンに「侵略」したわけではない、という人がいるかもしれないが、それはどちらの側から戦争を見るか、「定義」するかの問題。ベトナム、イラク、アフガニスタンから見れば、アメリカ軍が、わざわざアメリカからやって来たのは「侵略」以外のなにものでもないだろう。)
 古くは、ローマ帝国の領土拡大、ナポレオンのロシア侵略、イスラムのイベリア半島侵略。
 自分の住んでいる土地を離れて戦えば、必ず、負けるのである。みんな土地を知らないから負けたのだ。象徴的なのが、イスラムのイベリア半島侵略。イスラムは長い間、スペインを征服し続けたが、北部は支配できていない。スペイン北部は、雨が多く、緑が多い。それは砂漠とは、土地(気候)がまったく違う。イスラム教徒は、その土地、気候を知らなかったからだ。
 とくに、アメリカは、自分の住んでいる土地を離れて、「異国」で戦争している。そういう人間は勝てるはずがない。
 こういうことは、私はベトナム戦争から学んだ。
 その土地に住んでいる人が、その土地を捨てることをあきらめない限り、よそからきた人間が勝つことはできない。その土地にはその土地を利用した生き方があるからだ。その土地の利用の仕方を知っている人間が生き残る。つまり、勝つ。

 私の知っている例外、侵略者が勝利をおさめ、居すわり続けているのは、スペインのアメリカ大陸侵略くらい。戦うときの武器に差がありすぎた(武器文明に差がありすぎた)のと、侵略された側への「武器の補給(支援)」が他の国からなかったので、負けた。ベトナムにしろ、アフガンにしろ、他の国が武器支援をしている。単独で戦っているように見えて、単独で戦っているわけではない。武器支援のないところで戦わなければならなかったことが、アメリカ大陸が侵略されてしまった理由だ。
 そして、このアメリカ大陸侵略には、もうひとつ注目しないといけない点がある。あれは、スペインというよりもキリスト教のアメリカ大陸侵略だったのだ。ほかにもいろいろ目的があるが、宗教を広める、「未開の人間を文明に目覚めさせる」という目標があった。そして、それが「成功」した。武力侵略、経済侵略が、そのまま「宗教侵略」として定着した。
 アメリカは、このあたりの「事情」を勘違いしている。「理念(宗教)」を掲げて戦ったから勝ったと思っているのではないのか。歴史のことを何も知らない私の見る限り、宗教(理念)による侵略の成功(?)が、今のアメリカに引き継がれている。アメリカは「資本主義=自由」という、「宗教」に似た理念で世界で戦争を繰り広げている。「理念」を掲げさえすれば、勝てると思っている。けれど、やっぱり負けた。「自由主義/資本主義」の理念を掲げて戦っているが、やっぱり負けた。アメリカ大陸に存在したいくつもの国に「武器支援」がなかったけれど、ベトナムにもアフガンにも、他国からの「武器支援」はあったからね。一方、ベトナムに侵略したアメリカへは、そういう直接的な武器支援はなかった。アメリカは「自前」で武器を調達し続けた。まあ、アメリカの武器が最先端であり、他国の武器支援など役に立たないという事情もあるかもしれない。

 いま、アメリカがやっているのは、この戦法だね。自分は戦争に参加しない。「武器支援」でウクライナを支援する。ここでおもしろいのは、アメリカが直接戦争しようが、間接的に戦争しようが(武器支援しようが)、そのときもうかるのはアメリカの軍需産業ということだね。

 脱線した。

 ロシアに、もし「勝つ」要素があるとしたら、アメリカの他国への侵略と違って、ロシアがウクライナと「地続き」ということ。「武器支援」の補給路が、どこにでもつくれるということ。ゲリラ攻撃ができるのだ。だからこそ、ロシアがウクライナから撤退したとしても、それは「負け」を意味しないかもしれない。油断させる作戦かもしれない。それにねえ、なんといっても、ロシアもまた、ウクライナの土地を知っている。同じ風土を生きているひとが多い。
 ということは。
 この戦争は「ベトナム戦争」以上に泥沼化することになる。

 問題は、これに「金(経済)」が絡んでくることだなあ。(先に「脱線した」と書いたが、実は、これから書くことを書くための準備として、あえて横道に逸れておいたのだ。だから、これから書くことこそが、私のいいたいこと。)ベトナムは、世界経済に占める位置が低い(低かった)。簡単に言いなおせば、ベトナムから何かが輸入できなくなって困る国というのはあったかもしれないが、少なかった。
 けれど、今度は違う。
 ロシアから石油、天然ガス、小麦を輸入している国は多い。それらが輸入できなくなれば、輸入に頼っていた国の経済は、とたんに狂い始める。それは、あっという間に世界中に拡大していく。コロナウィルスの感染拡大よりも早い。そして、めんどうくさいことに、この拡大(たとえば物価の上昇)というのは直接的に人間を死に至らしめるわけではないから、とてもみえにくい。逆に言えば、その物価上昇で儲けているひとの、もうけもみえにくい。資本家は、何よりも「戦争」を利用して「便乗値上げ(利益の確保)」ができる。「ロシアの戦争のせいで、原料が値上がりしているから、仕方ないんですよ」。
 で、ちょっと思い出すのだが。私は直接テレビを見ていたわけではないので勘違いかもしれないが、NHKが原料費の高騰と商品の値上がりについてグラフで解説していた。(音を聞いただけ。)なんでも、原料の高騰幅に商品の高騰幅が追いついていない(一致しない)、というような説明だった。テキトウに言いなおすと、原料の石油・天然ガス、小麦が10%値上がりしているのに、商品の値上げは10パーセントではない。企業は原料の値上がり分を転嫁できずに困っている、というのがNHKの説明である。
 この説明、どうしたっておかしい。
 ある製品が原料だけでできているなら、原料が値上がりしたら商品も同じだけ値上げしないと原料が値上がりした分だけ赤字になる。けれど、どんな商品(製品)も原料だけてできているわけではなく、製造にたずさわる人間がいる。労働力も原料にあわせて値上げする(賃上げする)なら商品は原料の値上がりに正比例して値上がりするが、労働者の賃金を据え置いたままなら、商品は原料の値上がりに正比例しない。石油が10%値上がりしたら、バス代が10%値上がりする、電気代が10%値上がりするわけではない。石油が10%値上がりしたけれど、電気代は5%の値上げ。電力会社は赤字を覚悟で消費者のために働いている、とは言えないのだ。「生産過程」のコストをあえて除外して、原料の値上げと商品の値上げが正比例していない、なんて、なんのための説明なのか。企業の便乗値上げを追認するための、子供だましの説明ではないか。

 ここからわかること。

 ロシアのウクライナ侵攻に歩調をあわせて、金儲け主義(アメリカ資本主義)が、巧妙に動いているということである。キリスト教が大勝利をおさめたアメリカ大陸侵略も、単に「理念(宗教)」の侵略ではなく、経済の侵略だった。アメリカ大陸には、ヨーロッパの金儲けに役立つものがたくさんあった。それを搾取した、ということを忘れてはならない。
 経済的搾取を、ひとはどう呼ぶか知らないが、それはやはり「戦争」なのだ。「武力の戦争」と同時に、「経済戦争」が、いつでも起きている。そして「経済戦争」はいつでも「搾取」という一方的な形で展開される。資本家が必ず「勝つ」。「搾取」と戦い、耐え抜き、それに勝つため(反撃するため)の「土地/気候(風土)」のようなものを、私たちはまだ手にしていない。「搾取」に対する「ゲリラ戦」の基盤は、消費者独自の経済網だが、これはほとんど不可能だろう。もうひとつの基盤は「思想(ことば)」である。どんなことば(理論)で資本家の「搾取」、それに加担することばの嘘を暴いていくか、そういうことをめざさないといけないのだが、ジャーナリズムに横行している「学者」のことばを読むと、彼らは自分の地位に安住するために、ただ資本家(アメリカ資本主義)のことばを補強することに専念しているように思える。

 ロシアはウクライナから撤退する。ロシアは、この戦争に負ける。そのとき、私たちを動かしている「経済」は、どういう形をとっているか。搾取の構造はどうなっているか。私たち市民は、この戦争で「勝った」と言えるのか。勝ったと喜ぶのは、資本家だけではないのか。

 

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日本郵便株式会社の対応

2022-03-11 10:07:56 | 考える日記

スペインの友人(2人)に、冊子を送った。
いつまでたっても届かない。
追跡調査で調べると、マドリッドで「通関手続き中」になっている。
それで、日本郵便に問い合わせた。(問い合わせ窓口がある。)

その経緯。

①問い合わせメール

*******************************************
2月15日と2月18日にスペインあてに2個の小包を送った。内容は印刷物。
配送履歴をみると、マドリッドで「通関手続き中」になっている。
どうして通関手続きに長期間かかるのか。
問い合わせ番号はRN025******JP
                             RN025******JP

*************************************

②すると、こういう返信メール。

***************************************************************

この度は、国際書留の送達におきまして、
ご心配をおかけしておりますことを、謹んでお詫び申し上げます。
お問い合わせにつきまして、国際郵便が名宛国に到着後は、追跡情報も含め、スペインの郵便制度による取扱いとなり、スペインにございます国際郵便について、詳細をお調べすることがいたしかねます。
当該国際書留の取扱い・送達状況について、より詳細な確認をご希望の場合は、お手数とは存じますが、スペインの郵便事業体に、受取人様等を通じ、直接、お問い合わせいただきますようお願い申し上げます。
当センターではお力になれず、大変恐縮ではございますが、上記案内につきまして、何卒よろしくお願い申し上げます。

*************************************************************
これ、納得できますか?
「書き留め郵便」(特別料金をはらっている)のに、どこへ行ったかわからない郵便物の追跡はしないと言っている。
さらに、問い合わせ先の詳細もいっさい書いていない。
あまりにもいいかげんな対応。

③いま、以下のメールで、問い合わせ中。
***************************************

当該国際書留の取扱い・送達状況について、より詳細な確認をご希望の場合は、
お手数とは存じますが、スペインの郵便事業体に、受取人様等を通じ、
直接、お問い合わせいただきますようお願い申し上げます。
↑↑↑↑↑
と、書いていますが、日本から問い合わせるにはどうすればいいですか?
スペインの郵便事業体の問い合わせ先を、日本郵便株式会社は知らない(把握していない)ということですか?
送った郵便は「書き留め」です。
料金だけとって、その「書き留め」の郵便物がどこへいったか知らない、問い合わせもしないということでしょうか。

そうであるにしても「 スペインの郵便事業体」だけでは、どこに問い合わせていいかわからない。
最低限、事業体の名称、電話番号、メールアドレスなどを連絡してください。
さらに。
スペインの受取人が問い合わせるときに、必要な事項は何でしょうか。
問い合わせ番号は、共有されているのでしょうか。

 

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ことばに、何ができるか。

2022-03-04 13:13:30 | 考える日記
ロシアがウクライナの原発を攻撃した、というニュースがある。
原子力発電の危うさ。
プーチンは「核は使用していない」という詭弁をつかうだろうか。
妥協点をみつけることが、むずかしくなるばかり。
一気に核戦争に突入しそうな不安。

その一方。
↓↓↓↓
【お知らせ】ヨーロッパ諸国宛てEMS・航空小包の引受一時停止、ラオス宛て航空通常郵便物の引受再開について  3/1更新
2022年3月2日(水)から、ヨーロッパ諸国等宛てのEMS及び航空小包郵便物について、航空会社による減便及び搬入制限を受け、輸送力が回復するまで引受けを一時停止します。(国際郵便のホームページから)
↑↑↑↑
こういう小さなニュースがある。そのことを気にするひとは少ないかもしれない。
でも、私は気になる。
こういうあまり気にならないところから、じわじわと生活がかわっていく、というのが戦争なのだ。
爆弾が突然落ちてくるわけではない。
ということは。
戦争を縮小するには、こういう「小さなこと」を完全にもとにもどす工夫からはじめないといけないということだ。
航空便の減少させないためにはどうするか。
民間機の飛行の安全を各国が保障する。
「制空権」は戦争の重要なポイントだけれど、重要なポイントだからこそ、それをどこかの国が「握ってはならない」という具合に政治が動いていかないといけない。
ことばは無力という。たしかに、銃の前では無力である。逃げ出すしかない。
けれど、ことばがなければ、逃げるということも考えることができない。
考えるためには、ことばが必要だ。
ことばがなければ何もできない。
その、人間の「原点」へどうやって引き返すか。あるいは、その「原点」をどうやって守り通すか。
そのことが大事だ。
インターネットは、戦争が起きても「通信(情報交換)」ができるようにするために生まれたという。
戦争を引き起こさないために、いま、どんなふうな利用ができるか。
私に、ロシアの友人(FB)はいたか、ウクライナの友人はいたか。
どちらかを排除するのではなく、どちらともつながりながら、どんなことばを動かすことができるか。
そのとき、私のことばは、どんなふうに変わっていけるか。
私の「基準」はひとつ。
「権力」には与しない、ということ。
連携するならば「権力」ではないものとの連携になるが、そのときでも、その「非権力(反権力)」が「反権力(非権力)」という別の権力にならないように向き合いたい。
いま、ほんとうに、私自身のことばが問われている。
何を語ることができるか。
わからない。
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ことばの読み方

2022-01-24 00:36:00 | 考える日記

ことばの読み方

 私は特別変わったことばの読み方をしているとは思わなかったが、マルケスのサイト(スペイン語)で対話していて、私の読み方が他の人とは違うことに気がついた。みんなが「文学を楽しめ」としきりに言うのだ。私は私で楽しんでいるのだが、どうも楽しんでいるようには見えないらしい。あまりに何度も言われるので、みんなのやっていることとどこが違うのか考えてみた。多くの人が、作品の「一部」だけを引用して、何もコメントしていない。これ何? これが「楽しむ」ということ?
 で、気がついたのだ。

 音楽を例にすると、きっとわかりやすくなる。
 音楽は、たいていは「聞く」。聞いて楽しむ。ところが、音楽にはほかに「演奏する」楽しみもある。私は「聞く」ではなく、「演奏する」という方の楽しみ方なのだ。
 楽譜がある。読むと音が聞こえてくる。あ、この音(メロディー)がいいなあ。この部分をもっとも印象づけるにはどういう演奏方法があるだろう。それを考えるように、私はことばを読むとき、これはどんなふうに全体のなかで位置づけ、どこを強調すればいちばん強烈に印象に残るか、と考え、そこで考えたことを書いている。それを考えるのが楽しみ。
 全体を「聞く」だけでは満足できないのだ。「聞く」で満足するときも、ある人の演奏、別の人の演奏と聞き比べて、こっちの方が好き、という感じで聞いてしまう。「ここの演奏の仕方が好き、嫌い」という感じ。
 読むときは、読みながら、こういう書き方の方が好き、と思ってしまうのだ。「書いてあること(テーマ、意味)」ではなく、「書き方」の方に興味があるのだ。

 飛躍するが。

 たぶん、これは「一元論」と関係している。私はあらゆる存在は、そのときそのとき、必要に応じて、私の目の前にあらわれ「世界」をつくりだしていると考えている。そのつど「世界のあらわれ方」があるだけで、確固とした世界はない。あるとすれば「混沌」があるだけ。
 ことばは「世界のあらわし方」なのだ。音楽は「演奏の仕方」なのだ。楽譜に戻していえば「作曲の仕方/音符の組み合わせ方」なのだ。実際に「演奏されたもの」「書かれてしまった作品」よりも、それが「あらわれてくる、そのあらわれ方」に興味があるのだ。「出現(させる)方法」に興味があるのだ。
 世界は「出現(させる)方法)」によって違ってくる、「世界=世界出現(させる)方法)」なのだ。

 だから、私は、どの作品を読むときでも、他の作品とほとんど関係づけない。関係づけるとしたら「ことばのあらわれ方/あらわし方」だけを関係づける。外国の思想家のことばをもってきて、詩を解説するということをしないのは、そういう理由による。その思想家にはその思想家の「世界のあらわし方」がある。それはいま読んでいる詩人の「詩のあらわし方」とは関係がない。その思想家と、その詩人が交渉して、それぞれに影響を与え合っているというのなら別だが。ふたりが交渉していないなら、それは「無関係」としか言いようがない。私にとっては。私とその思想家、私とその詩人という「一対一」の関係以外の何も存在しない。

 

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「パイドン」再読(3)

2022-01-23 12:12:38 | 考える日記

「パイドン」再読(3)(「プラトン全集」1、岩波書店、1986年6月9日第三刷発行)

魂は、存在していたのだ、シミアス。この人間というもののうちに存在する以前にも、肉体からは離れて、しかも知をともないつつ、存在していたのだ(219)

 私は魂の存在を感じない。ソクラテス、プラトンは好きだが、私は、ここは同意しない。
 私は、ソクラテスが「魂」と呼んでいるものを「ことば」と置き換えて読む。
 私が生まれる以前(人間という存在になる前)にも、私の肉体から離れて、しかも知をともないつつ、存在していた。
 何の矛盾もない。「ことば」は語られると同時に書かれていた。書かれたことばが残されている。私の肉体は、その「ことば」のなかに生まれてきた。この世に生まれるということは「ことば」のなかに生まれるということである。
 「ことば」には、それまで生きてきた人の「肉体の記録」も残っている。「動詞」がそのことを教えてくれる。「肉体」はどう動くか。その結果、そこにあるものに対してどう働きかけるか。その具体的な証拠が「動詞」だ。

 ソクラテスは、「魂」を「想起」と関係づけて語っている。「想起」とは「学ぶ」ということである。

学び知ると呼んでいるはたらきは、本来みずからのものであった、かの知識をふたたび把握することとはならないだろうか。そこでそのことを、想起することというのは、ただしい言い方とはならないだろうか(217)

学知は想起だということになろう(217)

 「魂」はみずからが持っていたものを想起することでふたたび手に入れる。学ぶこと、知ることは、みずから知っていたことを想起すること--。この不思議な「論理」はどこから出てきたのか。なぜ、「魂」が「記憶」をもっていなければならないのか。
 私は、ソクラテスが「書かなかった」ということと関係していると考えている。
 ソクラテスは語ったが、ことばを書き残さなかった。書き残したのはプラトンである。ソクラテスにとって、ことばとはつぎつぎに消えていくものである。声そのものである。語るということは、過去に語ったことばを思い出し、点検することである。これを「学ぶ」と言っている。自分が言ったことばだけではなく、他人が言ったことばも「思い出し」(想起し)、それを動かしてみる。きちんと動くかどうか確かめてみる。これが「学ぶ」ということ、「ことばの働き」を学ぶ。そして、それが確立された(他人と共有された)とき、その「学び」は「知」にかわる。
 ことばが声に限定されるとき、魂は、たしかにそれを予め知っていなけばならないかもしれない。予めもっていなければならないかもしれない。そうしないと、「思い出す」ということができない。
 でも、ことばが「肉体」を離れて「文字」として記録されて残るならば、それは人間の肉体が覚えている必要はない。肉体とは別のものに託しておくことができる。この「消えない文字」こそが、「ことばの肉体」の証拠なのだ。人間の肉体は死とともにつかいものにならない。存在しないに等しくなる。でも「ことばの肉体」は残る。
 そして「ことば(の肉体)」のなかには「肉体の動き(動詞)」も含まれる。「動詞」に触れることで、「肉体」は「肉体」の動かし方を知る。そこから「肉体のことば」が生まれる。「ことばの肉体」と「肉体のことば」が交錯しながら、人間を作り上げていく。これを、私は「学ぶ」と呼びたい。

 ソクラテスが「魂」と呼んでいるものを、私は「ことば」と置き換える。そうすると、すべてが納得できる。「魂」は「学び知る」という働きをする。それは「魂」みずからがもっているものを想起するのではなく、「ことば」を肉体に還元しながら、つまり肉体の動かし方を学びながら、学んだことを蓄積するのである。

 

 

 

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