和辻哲郎『古寺巡礼』。「倫理」ではなく、「哲学」としての「道」。たとえば、次の部分。
この二か所の「より高き」の「より」には傍点がついている。ここに「哲学」としての「道」がある。「より」はいまそこにないものへ向かっての運動の意欲をあらわしている。いまそこにない何かを実現するための「道」は「運動」と呼べるかもしれない。
和辻の感想(批評)は非常に生き生きとしている。ことばに躍動感がある。対象を描いているというよりも、対象の「動き」を描いている。
そういうことも「倫理」ではないもうひとつの「道」につながっているのではないかと感じさせる。
(芸術は)まだ実現せられないより高き自己を自分の前に展開して見せることによって、実生活にいい刺戟を与え、実行の動機を生み出すことがある。
芸術は、衆生にそのより高き自己を指示する力のゆえに、衆生救済の方便として用いられる可能性を持っていた。
(22ページ)
この二か所の「より高き」の「より」には傍点がついている。ここに「哲学」としての「道」がある。「より」はいまそこにないものへ向かっての運動の意欲をあらわしている。いまそこにない何かを実現するための「道」は「運動」と呼べるかもしれない。
和辻の感想(批評)は非常に生き生きとしている。ことばに躍動感がある。対象を描いているというよりも、対象の「動き」を描いている。
そういうことも「倫理」ではないもうひとつの「道」につながっているのではないかと感じさせる。