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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

池澤夏樹のカヴァフィス(112)

2019-04-10 08:44:13 | アルメ時代
112 時が彼らを変える前に

二人は別れるのが本当に辛かった。
そんなことはしたくない。状況がそれを強いたのだ。
生活費を得るために一人が遠くへ行かざるを
得なくなった--ニューヨークか、カナダへ。
二人が感じていた愛は、実は、前とは違ってしまっていた。

 三行目の「一人が」という表現が不思議だ。奇妙な「客観化」がある。それが五行目の「実は」と響きあう。「実は」ということばのなかにも「客観化」がある。
 そして、この詩の最後。

一人の姿はもう一人の中にずっと残るだろう、
二十四歳の美しい若い男として。

 こでも「客観化」されたことばがつづくのだが、私は、ふとこんなことを思う。二人はともに二十四歳だったのか。もしかすると一人が二十四歳で、もうひとりは違う年齢かもしれない。二十四歳は、移民としてギリシャを去る男だろうか。それとも見送る男だろうか。
 二人が別れたのは「事実」だろう。しかし、「二人が感じていた愛は、実は、前とは違ってしまっていた」というのなら、一人がもう一人のもとから去ったというだけのことかもしれない。それを「虚構」を借りて、違うストーリーにしているのかもしれない。
 そのとき去って行った男が二十四歳ではなく、カヴァフィスが二十四歳で、ということもありうる。せめて、去って行った男には「二十四歳の美しい若い男として」記憶しておいてほしいという願いをこめて書いているかもしれない。

 池澤は、こういう註釈を書いている。

 ギリシャ人はもともと離散的な性格なのか、古代にもまた現代でも積極的に国外へ出てゆく。




カヴァフィス全詩
クリエーター情報なし
書肆山田


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9 食卓を分類する

2019-04-06 22:45:22 | アルメ時代
9 食卓を分類する



   1
椅子が硬い。これは正しくない。硬さが椅子である。硬く感じるものの一つに椅子があると言い換えてもいい。硬さは、自在な形を夢見る力が否定されたために感じる、一つの存在形式である。

   2
 カップは硬い。自在な形態を否定された存在である。しかし、椅子と同質ではない。硬さを椅子にあずけるこころには、カップは、たとえば、もろい。あるいは、はかない。成形、焼成などの工程が、衝撃を受けとめる力を奪ったためだろうか。

   3
 時間の経った紅茶も硬い。硬いものは冷たい。椅子にもカップにも共通する性質である。しかし、椅子やカップを硬く冷たいものとして分類するとき、紅茶には、別の性質がしのびこむ。徐々ににごってくる。物理的形容詞ではとらえられない何かである。

   4
 沈黙は硬い。ふれると激しい音をたてる。この点では紅茶に似ていないが、紅茶の硬さに近いところもある。形がつかみにくい。椅子やカップがもつ輪郭がない。このために、私は自在な変化を否定され、硬さを強いられている。それを支える椅子やカップであることを強いられている。














(アルメ233 、1985年05月10日)








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8 金星

2019-04-06 22:43:14 | アルメ時代
8 金星



「夕暮れの空に最初に輝くのは金星です
私たちは宵の明星と呼んでいます」
女は帰っていった友との会話を反芻した
「カルカッソンヌでも
夕空に一段と輝くのは金星です」
それから私たちは現代の郷愁について話した
天体の運動も郷愁になるのだ とか
コスモポリタンの郷愁の源泉は普遍的な事実である とか
それはなれないことばから解きはなたれて
気ままに動いた精神の幻かもしれない
私たちの定義は……
「ほんとうは何を言いたかったのだろう」
しばらく私たちは川のように流れる国道をみつめた
急ぎ足の重さに歩道橋が揺れ
ビルの上に星が輝く時間になっていた

















(アルメ233 、1985年05月10日)

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7 空を見る男

2019-04-05 15:26:58 | アルメ時代
7 空を見る男



角を曲がろうとして体が傾く
ビルがなくなっているからである
新しい土の色の上まで空が降りてきて
視線をひっぱるからである
何度も経験していることである
だが慣れることはできないのである
「消えることによって存在を
知らせるものがある」
「消えることによって向こう側を
みせるものもある」
人事のようにふいに動いていくものがある
我われはビルの裸に視線でふれる
隠されていたものは無防備であり
無防備なものは我われを恥ずかしくさせる
春風がのぼっていく非常階段のとなりの
小さな窓から男が水色が散乱する空をみているのである
空にすいこまれまいと直立しているのである
「まっすぐに進みすぎるものは暗い
ものを含んでいる」













(アルメ232 、1985年03月25日)
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6 触覚を分類する

2019-04-05 15:24:58 | アルメ時代
6 触覚を分類する

           さわる
           木目の汁にさわる
           女のはるかな曲線にさわる。   ――大岡信

   1
 特徴a/視覚よりも支配力が強い。
 証明a/木目にさわってみるといい。みずみずしい罠にふれることができる。人間にひそむ水分をひきこもうとする誘い水が、ぎりぎりのところまでやってきている。ふれてしまえばおしまいだ。きみの水分を吸って、木は一気に生長する。触覚をさかのぼって枝を広げ、感覚のすみずみに葉を繁らせる。木目など見えなくなる。目を凝らせば、しっとりぬれた肌がある。やわらかい光がにじんでいる、と言ってみたところで遅い。「しっとり」とか「やわらかい」とか、触覚に根ざしたことばが侵入してきているではないか。
 対策a/対象には道具を使って接すること。つまり、自己と対象を分離し、対象のありようを両者の距離内の変化で再現すること。たとえば髪と鉛筆を用意し、木目の凹凸を図として明るみに出すこと。
 蛇足a/気にさわると言われたら、他者と自己を区別する道具を捨てること。

   2
 特徴b/説得力がある。
 証明b/女にさわってみるといい。輪郭のはてしなさを知るだろう。はてしなさとは形ではなく、掌によってひきだされ、触覚の内部にしのびこんだ曲線の属性である。分離、独立させられないものである。きみにもきっとあるはずだ。逃げていく一方で反撃を仕掛けてくる肌から掌をはなせば、陰影のない絵画的曲線にかえってしまうかもしれないと、だらしない絶望におそわれたことが。神経をあまくする力に負け、女からのがれられなくなったことが。
 対策b/なし。
 蛇足b/気がふれているという批判に敏感になってはいけない。他者とふれあうことで姿をあらわしたものに向かって、はてしなく自己解体を試みる生もあるのだから。










(アルメ232 、1985年03月25日)

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5 屋上で

2019-04-04 14:39:00 | アルメ時代
屋上で



どこで飼っているのだろうか
鳩が真昼の空を広がっていく
広寿山禅寺あたりでひるがえり
旋回をくりかえす
冬の光が反射して白い
「少し増えたようだ」
髪がバサバサあおられる
両手をズボンのポケットにつっこんで
猫背の棒になって
「円の大きさは鳩の数に正比例する
ように思われる」
頭のなかをみつめている
視野は東西南北に開かれるのに
中心が気になって動けない
「まるで、あれだね」
風に背を向けて
たばこに火をつけようとするが
うまくいかない
ことばも発火しない
「まるで、なんだい」
男はたばこを捨てる
「忘れてしまったよ」
白いチョークが隅へ転がっていく
大きくなりすぎた輪の
遠心力にはじかれた鳩のように






(アルメ231、1985年02月10日)
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4 古本市

2019-04-03 15:26:32 | アルメ時代
4 古本市



川を越えてカーブする電車を追ってみる
右に傾いて赤い色が消える
音は遅れてビルの間を風になってやってくる
「色と音 空気のなかに存在するズレが
街の層を剥がしていく」
見上げればアルミニウムを割ったような銀が散乱する空だ
イチョウの葉も厚みを失い金箔細工の軽さで降ってくる
自然はすべて鉱物の冷たさで輝いている
人間だけが生ぐさい
自分を剥がすことばを探しに古本市へやってくる
ふれると皮膚が剥がれるような冷たいことばが欲しい
もっともっと硬く冷たいことばが



(アルメ230、1984年12月25日)
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3 28系統のバスで

2019-04-03 15:25:35 | アルメ時代
3 28系統のバスで



路面電車の軌道をまたいで
砂津の角を曲がった
右手から夕暮れの空が
ビルの角を鋭角に切った

小文字通りの交差点で
ビルの影を切った色が一面に広がった
建物の稜線が光っている
失われる寸前の冷たい光が
一点透視の構図を作る

「夕陽と夕焼けの色には
ずいぶん違いがあるのね」
意味を探すように
沈んでいく太陽を探したが
アメリカスズカゲの実
しか見えなかった
読売新聞の角で
女といっしょに振り向いてみたが
赤く濁った空に
段電光社のアンテナが
黒く透けているだけだった

街の内臓みたいだ
灰の構造みたいだ
だがうまくことばにならない
「日が落ちるのがはやくなった」
言い古されたことばに頼って
こころとは違うことしか言えなかった


(アルメ230、1984年12月25日)
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アルメ時代(2)

2019-04-02 20:19:44 | アルメ時代
室町ふたき旅館



磨き込まれ水のように光る玄関の板の間
おばあさんが夕刊を読んでいる
奥の柱や階段が板に映って黒く透き通る
広げられた新聞は小さな舟
おばあさんは夕暮れの光を利用して
短い旅に出る
けれどすぐ引き返してしまう
「人間はどうして同じ道ばかり
たどるんだろう」
それからおじいさんに小さな嘘をつくために
きれいに四つに畳んで
まがった腰で奥へ消える
「読み終わったら世の中のこと
おしえてくださいね 私には
わからないことばかりだから」



(アルメ229、1984年11月10日)

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