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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(30)

2020-04-13 19:17:28 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (小さな駅を)

丘の上に見ながら歩いていった
その日におまえにはじめて出会ったのだ

 どこで出会ったのだろうか。
 丘の上の駅だろう。だから、このとき嵯峨は、まだ、「おまえ」に会ってはいない。これから会うのだ。
 丘の上からは何が見えるだろうか。いままで見えなかったものが見える。そして、そのいままで見えなかったものとは、いままで見たかったものであり、二人だからこそ見えるものなのだ。







*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(29)

2020-04-12 21:34:41 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (辛うじて哄った)

もしその哄いが時の愚かなまちがいなら
ふた足み足ぼくは余分に歩けるはずだ

 「時」は何を指しているのだろうか。「時」に人格を与え、「時」が間違えたということなのか、それとも「ぼく」の「その瞬間」という意味か。
 「時」というのはだれにも属さない「客観的」なものだから、間違えるということはない。間違えたのは、「その時のぼく」ととらえるのが普通かもしれない。このとき「時」は「主観的な時(時間)」ということなる。
 けれど、私は「客観的な時」、存在として「絶対的な時」そのものが間違え、「ぼく」に反映してきていると読みたい。
 理由はない。単なる私の欲望である。
 そう読んだから、意味がどうかわかるのか、ということは考えない。「結論(意味)」は保留して「時」(絶対)そのものが「間違える」ということを想像したいのである。
そのとき「ふた足み足」の「肉体(足)」そのものが生まれ変わる。「ぼく」が「足」なになる。






*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(28)

2020-04-11 17:24:24 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (昨日とは)

一歩ごとに消えていった一日だ

 このとき嵯峨はどこへ向かって歩いていたのか。
 「消える」は、歩いていく「前」が消えるのか、歩いてきた「後」が消えるのか。
 それとも「前」も「後」も消えて、歩くという運動だけがあるのか。


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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(27)

2020-04-10 12:19:12 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (言葉のはてに)

時の墓が立っている

 「言葉」と「時」は嵯峨にとって同じものか。
 ことばが生きているときは、時が生きている。ことばが死んだら、時が死ぬ。
 モーツァルトなら、音のはてに/時の墓が立っている、というだろうか。
 マティスなら、色のはてに/時の墓が立っている、というだろうか。

 人間のはてに(いのちのはてに)/ことばが立っている

 というのは、誰だ。





*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(26)

2020-04-09 10:06:51 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (何にでも一を加えると一つだけ多くなるというふしぎなおもいは)

だれかが遠ざかっていく背ろ姿に
その人をひとり加えて考える

 付け加えた「ひとり」は「その人」であるというよりも、嵯峨が考えている「その人」である。だから、嵯峨自身を付け加えるということでもある。
 そのとき「ひとつだけ多くなる」のは、どちらだろう。
 「その人」か、嵯峨か。
 「その人」がひとりならば、嵯峨に「一つ」が付け加わったのか、「その人」に嵯峨が付け加わったのか、他人からはわからない。
 だが、あくまでも嵯峨は「その人」に「一つ」が付け加わり、「多くなった」と思いたい。それは「嵯峨自身」を捨てることになるかもしれない。
 「遠ざかる」ではなく、「近づく」の場合は、どうなるだろうか。考えると、ことばが錯乱する。




*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(25)

2020-04-08 12:56:57 | 『嵯峨信之全詩集』を読む

言葉

そのことは誰にもしゃべらなかった
言葉とは人間からそんなにも遠いのだろう

 「人間」はだれを指しているのだろうか。
 「相手」だろうか。「自分」だろうか。
 相手にはとどかないとわかっているから、ことばを発しないのか。そしてその相手は、すべての人間なのか。

 むしろ、自分自身にとって遠い。遠くて、自分にもはっきり聞こえない。だから相手に伝えることなどできない。ことばにならない「気持ち」だけがある。





*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(24)

2020-04-07 10:25:13 | 『嵯峨信之全詩集』を読む

白い雨

ゲルニカの時はアコーデオンの
      馬の白い歯にまごうゆるやかな
    怒り

 何のことが、わからない。
 「ゲルニカ」はピカソの絵で有名な「ゲルニカ」だろう。アコーデオンの白い鍵盤を馬の歯に見立てたのか、ゲルニカの絵の馬の歯からアコーデオンを連想したのか。そして、それが「怒り」ということばに結晶しているのか。
 わからないが「まごう/ゆるやかな」ということばが印象に残る。
 なにかがことばになるとき、突然ことばになるものと、ゆっくりと時間をかけてことばになるものがある。
 どちらにも、それぞれの不思議な力がある。
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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(23)

2020-04-06 09:35:48 | 『嵯峨信之全詩集』を読む

海辺抒情2

思うことのない日だ
わたしの傍らには白紙のような一日がある

 「傍ら」とは、どういうことだろうか。
 「思うことのない日」であるなら、「白紙のような一日」の真ん中にいてもいいような気がする。いや、真ん中にいるのではないか、と思う。
 でも、嵯峨は「傍ら」という。
 それはまるで「人格」のようだ。「友達」のようだ。「スタンド・バイ・ミー」という歌がある。ふと思い出した。そばにだれかがいてくれる安心感。無為の一日ととなりあわせにいて、嵯峨が「白紙の一日」になってゆく。






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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(22)

2020-04-05 19:24:28 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
「旧小詩篇」から

水溜り

水溜りに手を触れるな
水溜りは小さな楽器のように壊れてしまうだろう

 目で見ていた風景が、突然音の風景に変わる感じ。音楽が突然風景のなかに流れ込んでくる感じ。
 それは聞こえないことによって存在する沈黙の音楽。
 






*

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「戦死」ではないのか。

2020-04-05 18:53:50 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
「戦死」ではないのか。
       自民党憲法改正草案を読む/番外334(情報の読み方)

毎日新聞デジタル版(2020年4月5日 16時49分、最終更新 4月5日 18時08分、https://mainichi.jp/articles/20200405/k00/00m/040/076000c?fbclid=IwAR38Az-7OBYJ39BprVMRfP2LoAvaVpoDxU9fPrGVR7mvEFqFhbpK6ipUlUY)の見出し。


「都内感染者の増え方、ほぼ想定内」東京都、1日最多の143人感染 2日連続の100人超


その記事のなかに、こんな文章がある。


感染経路が不明の患者の中には、感染者数が増えたことによって調査が追いついていなかったり、症状が重く聞き取りができなかったりする人も隠れているだろう。

↑↑↑↑
感染者の数も脅威だが、この記事部分は非常に重大な問題点を含んでいる。
感染が判明した段階で「症状が重く聞き取りができなかった」人がいるというのは、感染が判明した段階で「重症化」していることを意味する。
言い換えると、「重症化」するまで検査を受けられなかったということだ。
「検査しない」政策が、「重症化」した感染者を増やしている。
もし、その人が亡くなった場合、それは「安倍の未必の故意」にあたるのではないか。
政府の無策によって、国民の命が奪われるのだ。
これは多くの医療事故と同じように、きっと将来、「医療訴訟」を引き起こすことになる。

安倍の「東京五輪のとき首相でいたい、ぼくちゃんが首相、いちばん偉いんだと五輪で言いたい」という欲望のために、国民が死んでいくのだ。
新型コロナとの戦いを「戦争」とメルケルは呼んでいたが、日本国民は安倍の欲望のために「戦死」するのだ。無残な「戦死者」が、すでに何人も生まれているのだ。














#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(21)

2020-04-04 21:32:48 | 『嵯峨信之全詩集』を読む

詩篇

稲妻が走るたびに
闇のなかに盲目の顔が浮かぶ

 この二行は、どこかの詩に組み込まれているかもしれない。はっきりとは思い出せないが、読んだ記憶がある。(もちろん、この詩で読んだという記憶かもしれないが。)
 なぜ「盲目の顔」なのか。
 「盲目」と「闇」が重なり、自分が「盲目」になって稲妻に浮かび上がっているという自画像を連想してしまう。







*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(20)

2020-04-03 10:49:42 | 『嵯峨信之全詩集』を読む

自由人

ぼくは呪う
ぼくは拒む

 と書いて、そのあと「何を」呪うのか、「何を」拒むのかを書き続ける。
 そして、それはだんだん長くなる。
 それがおもしろくない。
 書き出しの短いリズムのまま、ことばが展開するなら、「自由」が強烈に輝く。ことばが長くなると「叫び」ではなく言い訳になる。
 「呪う」「拒む」という動詞が「言い訳」といっしょに動くのは、感情を論理が上回るからである。これは、おかしい。
 論理を突き破って動く何かが「呪う」ということである。「拒む」ということである。「論理的」である限りは「自由」とは言えないのだ。「論理の自由」さえ、そこにはないのだ。




*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(19)

2020-04-02 09:58:39 | 『嵯峨信之全詩集』を読む

それだけのものだが

ぼくは籠の中に見知らぬ花をいれる
息を切らしている小さな花を
あざむかれた昨日の花を

 「見知らぬ花」。しかし、それが「息を切らしている」ことがわかる。花の肉体に、嵯峨の肉体が同調する。
 道にうずくまる人がいる。そうすると「腹が痛いのだろう」と感じる。腹が痛いとき、腹を抱えてうずくまった経験が肉体の中に残っているからである。おぼえているからである。肉体は体験したことを忘れない。
 「息を切らしている」は「あざむかれた」ということばに変わる。「息を切らす」には原因がある。花の場合は「走る」ということはない。肉体を激しく動かすわけではない。しかし、肉体が動かないときでも、意識、感情は動く。動き回り、動き疲れて、「息を切らす」。
 花は「女」であるかもしれないし、未熟な「少年」(嵯峨の記憶)であるかもしれない。




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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(18 )

2020-04-01 11:14:53 | 『嵯峨信之全詩集』を読む

ぼくを愛する女は

どんな小さな器の中でもぼくをとらえ
どんな大洋の中でも目ざとくぼくを発見する

 「未収録詩篇」にはことばの動きがつかみにくいものが多い。嵯峨自身の肉体のなかでことばが整理されていないのかもしれない。未整理の部分が多いのは、無意識が無意識のまま動いているということだろう。
 「小さな器」と「大洋(大きな海、器には入りきれないもの)」が対比されたあと、「とらえる」が「発見する」と言い直される。その運動のなかに「目ざとく」ということばが入ってきている。
 この「目ざとく」がこの詩のポイントだ。私の印象では「目ざとく(目ざとい)」には何か批判的なものが感じられる。愛してくれる女を、「ぼく」はそれほど愛していないのかもしれない。





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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(17)

2020-03-31 09:59:35 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
祭典

あなたがあなたであるよりも
時が時であるよりも
よりいつそうあなたになり ぼくになり 時になつたときに

 単なる「祭典」というよりも「祝祭」という感じだ。堅苦しさはない。
 「なる」という動詞の力だ。いまとは違うものになる。そのよろこび。それもただ違うものになるのではなく、そこには「融合」がある。「あなた」と「ぼく」と「時」が融合し、動いていく。
 そのとき「新世界」が生まれる。




*

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