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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(44)

2020-04-30 15:57:12 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (時が大ゆれにゆれているときがある)

霙がふっている街はずれの
一軒の家は何年も空家になっている

 そこでは「時」がとまっている。揺れていない。
 嵯峨の「時」が激しく揺れているから、止まっているものが見えるのだろう。「空家」は死を象徴しているかもしれない。世界に存在する客観的な「時」ではなく、個人の「固有の時」が動かなくなったときが死であるなら。
 いまの時代なら、嵯峨は「街はずれ」ではなく、街の真ん中に「空家」を置いたかもしれない。「街はずれ」では、死の寂しさが先行してしまう。衝撃がない。抒情になってしまう。抒情が嵯峨の世界ではあるけれど。





*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(44)

2020-04-29 22:26:08 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (ぼくにとっての美は)

あるときは足早に去っていくが
夜はぼくの傍らにきて眠る

 このとき、「ぼく」は起きているのか。眠っているのか。眠っているのだろう。
 そうすると、「ぼく」と「美」の区別はないことになる。
 「無意識のぼく」が「美」である。
 嵯峨が何歳のときに書いた詩なのかわからないが、ここには詩人の特権としてのナルシズムがある。



*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(43)

2020-04-28 10:07:30 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (ぼくにとっての美は)


時がぼくのなかに眠りこんだときに現われる

 「眠りこむ」を「動かなくなる」と言い直せば、時がとまったとき、美が現われる。この「とまった」をさらに言い直せば「時」が「なくなる」かもしれない。「時」は動いていてこそ「時」だ。

 「美」は「時」を超越している、ということかもしれない。


*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(42)

2020-04-27 17:01:21 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (第三者が二人に近づいてきたが気づかずに通りすぎた)

そのまま丘の向こうへ消えていった
どこでも人生のくりかえしがある

 「第三者」とはだれだろうか。
 嵯峨である、と私は読む。二人がいっしょにいた。それは貴重な時間なのに、その貴重さに気づかずに、その時間と場所を通りすぎてしまった。
 過去の、あるとき、ある場所を思い出している。
 だから「通りすぎた」「消えていった」と過去形で書かれる。そして、過去形で書くことで、過去を思い出している。

*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(41)

2020-04-26 16:13:42 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
                         2020年04月26日(日曜日)

* (愛よ)

ぼくらの寝所へひっそりと素裸でやってきて
一時に熟れてしまう

 「愛」は抽象的である。「素裸」「熟れる」は具体的である。
 あらゆるものは「熱」によって熟れる。「冷やす」と熟れない。
 そして、「熟れる」は「時間」を必要とするが、この詩では「一時に」と時間を欠いている。
 「情熱」という「熱」が時間そのものを焼き尽くすのだ。
 しかし焼尽派のバタイユなら「ひっそり」とは書かなかっただろう。

*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(40)

2020-04-25 10:26:00 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (どうしてぼくは荒野と人間とを忘れたいのか)

その二つのものはぼくには関りがない
空気のように 光のように存在じたいそれだけで充分だ

 「忘れたい」は「忘れたいけれど、忘れられない」だろう。この「忘れたいけれど、忘れられない」は「関わる」という動詞で言い直される。「関わる」には自分の方から関わるというのと、他者が関わってくるという二つのあり方がある。その両方とも断ち切らないと「関わる」という動詞は残ってしまう。
 「関わる」の反対の動詞は「孤立する」かもしれない。この詩には「孤立する」ということばはないが「存在じたい」ということばがある。そして、それは「充分」ということばで言い直される。「自己完結」ということを言いたいのだろう。
 しかし、「空気」「光」ははたして「関わる」という動詞とは無関係なものか。「自己完結」しているか。むしろ、常に「他者」と「関わる」のが「空気」「光」だ。
 「関わる」、つまり「広がる」のではなく、「空気」「光」のように「透明」なものとして、「自己完結」したいという欲望が書かれているのだろう。


*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(39)

2020-04-24 15:38:59 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (だれもいないとき)

泪はすがたをあらわす

 この「泪」は、だれの涙か。ふつうは嵯峨の涙(筆者の涙)を想像する。しかし、嵯峨は、こう書く。

だれがながしたのか泪は小さな玉を結ぶ
それでも一言が生まれるにはまだほど遠い

 「他人」の涙だ。だれかが泣く。しかし、この「だれが」は複雑である。ほかの「だれか」ではなく自分であるけれど、それを「だれが」と客観化している。
 「一言」を「生む」のは嵯峨にほかならないからだ。
 詩のなかでは「主客」は融合してしまうのだ。



*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(38)

2020-04-23 10:17:10 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (水辺へぼくは石段を下りていった)

言葉は夕方までに生き返らずに
雨は大きな空白を濡らしながら川口までひろがっていった

 「言葉」と「雨」は不思議な関係にある。異次元的につながる「比喩」になっている。「言葉」は「空白」とつながっている。
 つまり、

言葉は大きな空白を濡らしながら川口までひろがっていった

 と書き直せば、これはこれで詩になる。
 このときの「言葉」は、もちろん「生き返らない言葉」である。死んだというよりも、「不能の言葉」といえばいいのか。
 「不能の言葉」の前にあるのは、「ひろがり」である。それは「空白」よりも広い。



*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(37)

2020-04-22 11:03:03 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* 

ぼくは未知のところで生れ ぼくの知っているところで終るだろう

 「知る」は「体験する」と言い直すことができる。
 生まれることで体験がはじまり(知るがはじまり)、死ぬことで体験が終わる(知るが終わる)。
 しかし、逆に考えてみることもできそうだ。
 「どこで、いつ」生まれたか、ひとは知っている。しかし「どこで、いつ」死んだかは、その人は知らないのではないのか。少なくとも、それを「語る」ことはできない。だから、それは「知識(知る)」にはなり得ない。
 ひとが「自宅で死にたい」というのは、死の先は何もわからないから、わからなくなる瞬間までは「知る」のままでいたいということかもしれない。
 こんなふうに「知る」ということにこだわりつづけなければならないとしたら、人間というのは、なかなかつらい生きものだと思う。






*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(36)

2020-04-21 21:51:38 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (数かぎりないぼくの文字綴りから)

新しい酸素は発生する

 「酸素」はだれもが知っていることばである。だが、それを「見る」ことはむずかしい。「聞く」ことも、手で「つかむ」こともできない。
 そういうものを、どうやって「理解」するか。
 激しく走った後、あるいは泳いだ後。荒い息をする。そのとき「肉体」のなかを「酸素」が走る。「血管」のなかを。息が整ってくる。それを支えてくれるのが「酸素」だと、だれかが教えてくれる。そして、「理解」する。
 それは、「ことば」によって可能になることだ。「ことば」を身につけることが「理解」する、ということだ。
 遅れて「肉体」がついていく。
 だが、「肉体」がことばをつかわずにつかみ取ったことを、「ことば」が後からととのえるということがあるかもしれない。
 力強い比喩は、後者である。
 この詩では「酸素」よりも「発生する」という動詞の方が、強い。「酸素に、なる」のだ、嵯峨のことばは。






*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(35)

2020-04-20 10:06:13 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (われわれは未知の手のうちに在るものではない)

飛躍の召使いでもない

 「未知」と「飛躍」は、きのう読んだ「死」に通じるだろう。
 「召使い」ということばも、きのう読んだ「所有」につながる。

われわれは、死の召使い(所有物)ではない

 という「意味」になるかもしれない。しかし、「意味」は詩ではない。だから、嵯峨はこの二行を詩集には収めなかったのかもしれない。









*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(34 )

2020-04-19 19:16:42 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (死という言葉には)

ただ所有だけがある

 何を所有するのか。「意味」か。

 抽象的なことばは、その抽象性ゆえに、どんなふうにでも「論理」になりうる。「かなしみ」も「よろこび」も死ということばはもたらすことができる。そのとき「死という言葉」は「かなみしみ」も「よろこび」ももっていたことになる。
 「希望」「絶望」「拒絶」も、あるいは「非所有」さえも。
 こういうとき、読むのは、嵯峨の「ことば」ではなく、読者自身の「肉体」(時間)ということになる。
 ひとはだれでも自分を読むことしかできない、と知らされる。







*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(33)

2020-04-16 08:53:29 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (どんな光りをあたえても)

蛇をたちあがらせることはできない

 「蛇」は現実の蛇か、それとも比喩か。
 もし比喩ならば、「光り」も比喩になるし、「与える」「たちあがる」も比喩になるだろう。
 比喩ではないのは「できない」という不可能性だけだ。
 しかし、どんなときでも、ことばを動かすこと、考えることはできる。もう考えることはできないとさえ、ことばにできる。
 ことばの絶望は、そこからはじまる。そして、それは希望というの名の絶望である。
 






*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(32)

2020-04-15 20:45:41 | 『嵯峨信之全詩集』を読む

「雑草詩篇 Ⅱ」から

* (ぼくは誰にも動かされないように)

自分の舌の上で眠る

 「舌」はことば。自分のことばで、動く。詩人の決意である。
 「舌」という「肉体」でことばをとらえなおしているのがおもしろいが、なぜ「舌」なのだろう。「二枚舌」ということばがある。他人のことばを借りるとき、人間は「二枚舌」になる。そうは、ならない、という決意と読むことができる。
 「自分の舌」だけで生きていく。「ぼく」を「自分」と言い直す。「二枚」を拒否し「一枚」を強く自覚するために、それを自分に言い聞かせているのだ。








*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(31)

2020-04-14 21:48:15 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (一つの夜が終わる)

芝生の上に窓から灯りがながれている
時のながれに逆らうようにひとりの男がアプサンを飲んでいる

 「ながれ(る)」が二回繰り返されている。そして、それは「夜が終わる」の「終わる」のなかにも隠されていたことばだ。
 男の中をアプサンが「流れる」と引き継ぐこともできる。
 だが、男は、それに逆らいたいのだ。あらゆる「ながれ」を逆にひきもどしたいのだ。

女は昨日通った橋の上をむこうの町へ帰っていった








*

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