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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(54)

2019-12-22 10:28:47 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (ただ白く広々としていて)

どこにも焦点がない
人それぞれ立つているところが焦点になつて

 焦点はあるのか、ないのか。
 「焦点がない」というときの「ない」と「焦点になつて」というときの「なつて」は意味が似ているが、違う。「焦点がない」から「焦点になる」。「なる」はそこにあたらしく生まれてくるということ。
 これを嵯峨は「眼覚める」と言い直す。

人それぞれが眼覚めると
時間は駱駝のようにむくむくと首をふりふり重く静かに立ちさつていく

 「時間」は「駱駝」という比喩になる。「さつていく」よりも「むくむく」「ふりふり」ということばが持っている実感の方が重い。駱駝というよりも「人」が、つまり目覚めた私(嵯峨)の姿のように見える。「焦点」になって、「焦点」として消えていく。











*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
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嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(53)

2019-12-21 11:13:20 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (驢馬は描かれた輪の上をぐるぐると廻つている)

人間はいつも己れ自身を求めている
二つの眼で世界を見ているためかも知れない

 「二つの眼」ということばに私はつまずく。
 驢馬には眼は二つないか。二つある。そうだとしたら「驢馬はいつも己れ自身を求めている/二つの眼で世界を見ているためかも知れない」とも言えるのではないか。なぜ「人間」なのか。
 「二つの眼」は肉眼のことではなく、肉眼の眼とこころの眼(精神の眼)のことか。感覚と知性のことか。そう言い換えても、やはり奇妙である。驢馬にも感覚もあれば知性もあるだろう。
 「知性」を「ことば」と言い換えるとどうだろうか。
 きっと驢馬にしたって、それなりの「ことば」を持っている。人間が理解できないだけだ。
 むしろ、この「人間」は「私」と読み替えた方がいいのかもしれない。「私はいつも己れ自身をもとめている」。それは「他人が共有していることば」と「私自身のことば」の「ふたつのことば」で世界を見ているためではないか。
 「ことば」は常に「ふたつ」に分裂する。ひとつは、自分自身にしかわからないことば、まだ「生まれていないことば」。そして、それこそが「己れ自身」であると嵯峨は語っている。











*

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嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(52)

2019-12-20 08:58:02 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (駝鳥は熱い砂地をもとめて身を焦す)

そして感情に熱い風が吹きはじめる

--地平線にはげしい豪雨が来ている

 「豪雨」は「感情」が招きよせたものだろう。
 この駝鳥が動物園にいるのだとすれば、砂地も熱い風も地平線も豪雨も想像かもしれない。しかし、それがひとつになるとき、その「感情」は想像ではなく「事実」になる。
 そして「感情」には「事実」しかないのだ。








*

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嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(51)

2019-12-19 10:01:01 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (象は)

海の重圧の底から生まれる
象は千年の昔から言葉を忘れている

 たしかに海の底の重圧を生き延びるには巨大なからだが必要だろう。重圧に耐えるということが千年つづけば、ことばを忘れるだろう。堪えることだけで精一杯でことばを語ることを忘れるだろう。
 象の大きなからだのなかには、ことばにならなかったことばが詰まっている。語られなかったことばが象の肉体をつくっている。







*

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嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(50)

2019-12-18 08:40:50 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
動物詩篇

* (駱駝は砂漠のなかを大きな数字を踏んで歩いていく)

 「大きな数字」とは何か。

「無限」ということを考えよう

 嵯峨は「無限」と言い換える。駱駝は砂漠を無限を踏んで歩いてく。無限に向かってではなく、踏んで。
 そのあと「蛇」と「蝶」の比喩があり、最後にこう書かれる。

--いま「僕」というものを考えている

 「駱駝」も「蛇」も「蝶」も、「無限」も「僕」である。ことばにするとき、つまり「考える」とき、すべては「僕」になる。







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嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(49)

2019-12-17 08:45:17 | 『嵯峨信之全詩集』を読む

* (かの女の紅葉の一枚のような言葉の周りを)

 この詩は何度か転調するが、なかほどあたりに次の二行がある。

あなたはぼくらのステージに白い鴎を放たないか
豪雨を越えてきたあの白い鴎を

 「紅葉」から「白い鴎」への変化は色の変化とともに、落下から舞い上がる運動への変化でもある。また「放つ」という動詞の主語は「あなた」である。ここから「主語」が「ぼく」から「あなた」へ変化していることもわかる。「あなた」に「ぼく」は希望のようなものを託している。
 「白」は最終行で、もう一度復活してくる。

誰も知らない白いハンカチのようなふたりの小さな幸福のために

 「ぼく」と「あなた」は「ふたり」に変わり、「ふたり」であることによって「誰も知らない」存在にもなる。そして、それは「白」に象徴される生き方なのだ。







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嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(48)

2019-12-16 08:14:53 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (山火事のようなものが)

あなたの眼のなかからずり落ちた
その向うに暗い海が見える

 「山火事」と「暗い海」の対比。
 「山火事(のようなもの)」が「眼のなかからずり落ちた」ために、「暗い海が見える」と書いているが、「山火事」は嵯峨にはずっと見えていたのだろうか。たぶん、違うだろう。何かのきっかけで「山火事」が見えた。それは「あなた」の怒りのようなものかもしれない。燃え上がる激情。それがおさまったあと「暗い海」が見えた。
 これは逆にとらえなおすこともできる。
 最初は「あなた」の眼のなかにあるものが何かわからなかった。「のようなもの」は、不確定さをあらわしている。「暗い海」に気づいたあと「のようなもの」が「山火事のようなもの」ということばになった。
 「暗い海」には「のようなもの」ということばがついていない。比喩なのだから、ついていてもいいのだが、ついていない。直喩と暗喩。その違いのなかにこそ、嵯峨の詩がある。






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嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(47)

2019-12-15 08:21:10 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (あるおもいがことごとく崩れさろうとも)

やがて川の水が澄みはじめるのをじつと待つていよう
ひややかな早春の水面に帽子の影が生あるもののように映るとき

 詩を読むとき、一行一行読む。詩につづきがあっても、つづきがないかのように、一行終わるごとに、ことばの動きを確かめる。味わう。
 この詩にもつづきがあるのだが、私は、つづきがないものとして読む。そうすると書き出しの三行は、倒置法で書かれたことばのように動き始める。
 早春の川もに帽子姿の自分が映る。たぶん学生帽だろう。嵯峨はまだ学生だ。そして、川の流れのなかで「あるおもい」が崩れて流れていく。崩れるときに、それは濁る。しかし、濁りもかならず澄む。そう信じて、川の流れを見ている。
 「早春」は「青春」でもある。青春のある時間に、そういう思いで、川の流れを見たことがあるひとは多いだろう。青春は駆け抜けてゆくが、同時に青春には何かを「待つ」時間もたっぷりあるのだ。







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嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(46)

2019-12-14 08:24:47 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (ぼくをゆるしてくれ)

流れる水はぼくを涯のない悲哀へおしながす
水よ どうしてその手でなにもかもゆするのか

 私は、この部分を「誤読」する。私は、こう読んでしまった。

水よ どうしてその手でなにもかもゆるすのか

 「ゆする(揺する)」ではなく「ゆるす(許す)」。悲哀へおしながすこと、それが「許す」。悲しむことで「許される」ことがある、と。
 ひとは、ときには悲しむことが必要なのだ、と。









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嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(45)

2019-12-13 08:32:13 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (わたしが夢のなかで手折つた花を見せましよう)

これをあなたの心の一輪ざしに挿しましよう
すると未知の世界がそつとあなたのものとなるでしよう

 美しいイメージだが、このイメージを「厳密」に追いかけようとすると、かなり困惑する。「あなたの心に」花を挿すのは、「わたし(嵯峨)」の空想である。その空想のなかで「未知の世界」が「あなたのものとなる」。これもまた空想なのである。
 でも、きっと、そんなふうには「厳密」に考えない。
 「あなたのために花を持ってきました。あなたのこころに挿してください。そうすればあなたのこころに、未知の世界が広がるでしょう」と呼びかけている、いや呼びかけようとしている嵯峨の姿を思い浮かべる。同時に、その花を受け取った女の気持ちにもになる。
 ことばのなかでは作者と読者はあっと言う間に入れ代わるし、作品のなかの「わたし」と「あなた」も瞬時に入れ代わってしまう。そして、この入れ代わりの速さ(スムーズさ)が「美しい」と感じるひとつの要素だろう。嵯峨は、そのスピードを加速させる方法として「すると」という論理的なことばをつかっている。








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嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(44)

2019-12-12 08:31:54 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (われは海に住む青銀の飛び魚)

きみは空に咲く一抹の雲の花

 「ぼく」と「あのひと」から、「われ」と「きみ」へと呼称が変わっている。この詩は、こうつづく。

あこがれて飛びはすれど
落ちてはかなしもとの寂しら

 描かれるのは「われ」のことだけである。「きみ」はどうなったか書かれない。そして、「われ」の描写には、意味がわからないわけではないけれど、いつもとは違うことば(ふるめかしいことば)がつかわれる。
 「かなしも」「寂しら」
 直接的な「響き」がない、と感じるのは私だけだろうか。










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嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(43)

2019-12-11 10:39:47 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (薊の花が蝶をひきつけるように)

愛情が時間をひきつける

 このとき「時間」とは何だろうか。「過去」だろうか、「未来」だろうか、「いま」だろうか。時間をひきつけると時間は、どうなるのだろうか。「愛情」ということばは抽象的すぎるが、愛のさなか、とくに肉体の愛のさなかには、時間は消える。時間を忘れてしまう。
 ひきつけられたものは、自分の存在を忘れてしまう。「愛情」にひきつけられ、「愛情」は「愛情」がどういうものであるか、忘れてしまうだろうか。
 簡単には言えないのは、「愛情」も「時間」もかわりつづけるものだからだろうか。

水が空気をひきつけるように
憎悪が壁をひきつける

 「憎悪」は「愛情」、「壁」は「時間」を言い直したものか。











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嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(42)

2019-12-10 00:00:00 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (花藤の下に立つて)

朝に夕にあのひとを憎むこころは癒えない

 「花藤の下に立つても」ではない。花藤の下に立って、憎むこころが、その憎しみを暴走させているのを見ているのだ。想像しているのだ。こころは、どんなふうに、あのひとを憎むのか、と。

砂の上にその名を書きちらし
はては罵りつつ力をこめて踏みつける

 「名」を踏みつけるとき、こころを踏みつけるのだろう。あのひとの、こころを。そのとき、嵯峨のこころと、あのひとのこころが直に触れ合うのだ。










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嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(41)

2019-12-09 08:27:58 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (一輪の花ということはできよう)

 「一輪の花」は比喩。女を「一輪の花」ということはできる。嵯峨は、その「一輪の花」を、次のように言い直す。

瞬時の風ということはできよう

 比喩を重ねるとき、比喩を貫くものは何だろうか。感覚か、知性(精神)か。区別はむずかしいが、そこに「ない」ものを結びつけることで、いままでつかみきれなかったものを明確にする。それは精神の運動といえるだろう。ことばは「精神」なのだ。
 だから、こんな描写が可能になる。

あのひとはつつましい足どりで感情のうえをたち去つていつた

 女を対象としてみているだけではなく、「感情」を対象としてみている。「精神」で世界をとらえなおしている。嵯峨の感情の上をと読むのが一般的だろうが、私は、女が女の感情の上を、と読みたい。愛が消えるとは、女そのものが変わることだからだ。








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嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(40)

2019-12-08 15:27:47 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (いつになつたらぼくの口の中が銀色の夜明けになるのだろう)

 これは、どういう感覚なのか、私にはわからない。後半に女との交渉が「今日もまだぼくの舌は海鼠のように腫れあがつている」ということばとともに書かれているから、セックスの疲れが口の中にも広がっているということか。「銀色の夜明け」は疲れがとりはらわれる感じだろうか。
 しかし、冒頭の一行は、

二日つづきの休日が晴れた日と雨の日で、
ぼくは黒白の市松模様に染まつてしまつた

 とつづいている。
 これが、わからなさに、さらに拍車をかける。




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