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日々是愉快♪

笑いながら愉快に生きていけたらいいなぁ~

「国際常識を身につけるため、国旗、国歌に敬意を」 by 最高裁

2011年06月03日 | Weblog
この裁判の行方、ちょっと気になっていたんですよね。


以下、内容引用です。

「卒業式の国歌斉唱で起立しなかったことを理由に、
 退職後に嘱託教員として雇用しなかったのは違法として、
 東京都立高の元教諭が都に損害賠償などを求めた訴訟の上告審判決で、
 最高裁第2小法廷(須藤正彦裁判長)は30日、起立を命じた校長の
 職務命令を合憲と判断し、元教諭側の上告を棄却した。」

更に詳しくはこちら


最高裁、よくぞ言ってくれました。
いやぁ~、国会があんなことになってるから、そのすぐ近くの最高裁まで
おかしくなってたらどうしようと思ってたけど安心しました。

以前『滝山コミューン』という長い記事を書いた時の内容で、
僕の小学時代は“君が代”を教わらなかったと書きました。
周辺の小学校はみんなです。

そんな自分でも、国旗や国歌に敬意を払っています。
それって当然でしょ、だって日本人なんだからね。

それにしてもこの元教員たちというのは何なんでしょうねぇ?
自分の思想や哲学を貫き通したいのなら先生という職業を選らばなきゃいいのにぃ。

オリンピックやW杯などでの“日の丸”に関してはどう見ているのでしょうか?
目を背けちゃうのですかねぇ?

野球観戦に行くと試合前に国歌が流れ国旗に向かいますが、観客席で起立していない人
って結構いるんですよね。
あれって面倒だから立たないのかなぁ、ビール飲んでたり、飯食ってるからとかは
理由にならんような気がするけど、どうなんですかね?

そもそも自分の国の国旗や国歌に敬意を表せないというのは、この国際社会で
どういう立場を取るのか不思議でなりません。
それも教員という職にある人たちですからね・・・。

まぁ「国旗とか国歌なんか特に関係ねぇよ」と思ってる人も多々いると思いますが、
それでも何となく起立したり、国旗に向かったりすると思う。
それはもう日常の挨拶みたいなもので、そんな感じでもいいと思うんですよ。

それを意固地になって入学式や卒業式で周りはみんな起立してるのに、その先生
だけは何故か着席してるというのは、やはりおかしい光景ではないでしょうか?
子どもたちは不思議に思うでしょうね。

これも以前に書いたかなぁ。
アイルランドに行った時にユースホステルに泊まったんですけど、アメリカ人、
ドイツ人、フランス人と日本人の僕がテーブルで雑談をしてたんです。
雑談といえども、自然と「君の国ではどうなの?」みたいな話になるわけですよ。

全員違う国の人たちなんだからバックボーンが当然違うわけで、ちゃんと説明
して伝えないと「ヤバイ、誤解を招いちゃイカン」となるわけです。
こういう状況だと知らないうちに“日の丸”を背負っちゃったりしてね。

例えば今回の件の先生がこういう場面に遭遇して国旗や国歌の話題になったら
どうしたろうか?なんて思いましたよね。


僕は右とか左とか全然関係ないけど、この国の旗は美しいと思いますよ。






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いくつになってもHappy Birthday ~ 39

2011年05月27日 | Weblog
いよいよ30代最後の年になりました。


その30代最後の年の最初の日にライブをやります。
バースデーライブですね、嬉しく思います♪


来年もいっそ誕生日にライブをブッキングしちゃおうかな。
40代最初の年にライブをやるのもいいかも。
毎年恒例になっちゃったりして(笑)


まぁ、来年は来年として。
まずはこの30代最後の年を突っ走ります!




「いくつになってもHappy Birthday」

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無題

2011年05月21日 | Weblog
ゴールデンウイークの頭に宮城に行ったことは書きました。

実際に見た被災地は、あの時も携帯から投稿しましたが、
正直なところ言葉にならないものです。
少なくとも僕にとって、あの状況は言葉でどうこう説明できるような
ものじゃなかったです。

行く途中に感じたこと、行ってみて感じたことをつれづれに
書きたいと思います。

そもそも何で行きたくなったのかですが、
それは歌を唄ったり、こうやって文章を書いたりしている表現者として
実際に見てどう感じるのかということと、経営者として何を思うのか、
それが今後の自分にとってどう影響してくるのか、ということを肌で
直接感じたいというのがありました。

思い立ったその週末(ゴールデンウイークの前の週末)に行こうと
思いましたが、
「何か他のこと(観光など)と一緒なら行く」という奥方の発言を尊重し、
楽天の観戦を組み込みました。
だから野球観戦はあくまでもオマケです。

ボランティアという方法もありましたが、いろいろ調べたところ、
個人一般の受け入れは中止で、物資の持ち込みも大口以外は受け付けられない
とのことで断念しました。

行くことそのものが迷惑(例えば渋滞の原因)になるのが一番心配でしたが、
ゴールデンウイークの2日目に出たので東北道も空いてたし、現地に入っても
渋滞らしいものはなく、予定よりスムーズにいきました。

東北道では、福島の郡山を過ぎたあたりから道の破損を感じましたよね。
緊急補修のつぎはぎがあり、それが多少の段差になっているので運転していると
よくわかります。
これは宮城に入ると、つぎはぎが多くなり、更にガードレールが傾いていたりして
地震の爪あとをまず感じました。

東北道がいち早く復旧したのは、ここが東北にとって生命線だからですね。
新幹線はダメだし、国道や県道じゃ時間かかるから、東北道の復旧を急いだのも
分かります。

宮城に入って海沿いの高速、仙台南部有料道路から東部有料道路に入り、
松島方面に向かって走りました。

高速沿いの一面の畑に津波の痕跡が広がり、車がひっくり返ってたりして
津波の凄さを最初に感じたのはここでした。

予定よりスムーズにいったので松島に行くことにしました。
松島は点々とする島々が防波堤の役割をしてくれて大きな被害をまぬがれたんですね。
遊覧船も僕たちが行った前日から再開、地元の飲食店やお土産屋さんも元気に
オープンしていました。ただ、所々閉店したり、深い傷を負ってしまったお店もありました。

ここで少し遅めのお昼にしました。
それは携帯から投稿した通りです。

注文してすぐに地震があったんです。
これは東京で感じるものとは違いました。
目の前は海だし、津波の恐れもあるし、着いた途端に恐怖心が・・・。
結果的にこれは余震でしたけど、これは怖かったです。

松島では遊覧船には乗りませんでしたが、国宝の瑞巌寺を拝観。
本堂は大改装中で見れませんでしたが、その代わり350年間開帳されなかったという
本尊と伊達政宗の位牌を特別展で見ることが出来ました。
これはラッキーでしたね。

その後、ここでお土産を買いました。
その中の1軒のお店の店長さんかなぁ、家族でやってると思うんですけど、震災当初の
写真をレジに何枚か貼っていて、その時のことを説明してくれました。
ヘドロが一番ヤバかったと話してましたね。

その話っぷりが凄い明るいんですよ。
「もう対処の仕方が分かったから次来ても大丈夫だね、なんてみんなで話してるんですよ」

次来てもって・・・。
次来たらマズイでしょと思いつつも、彼らの強さというか逞しさを感じました。

松島を後にして運転してる時にその若い店長の彼の姿や言葉が胸に響きましてね、
彼に会えただけで来た甲斐あったなと思いましたよ。
ひとりだったら泣いてたと思う。
隣りに奥方がいたから遠慮してこらえてしまったけど、いま書いてて思い出しても
泣きそうですもんね。

芸能人とかが避難所行って逆に元気をもらったって言ったりしてるじゃないですか、
アレ、本当だと思いますよ。
僕は彼から元気をもらいましたし、人間のもつ逞しさをみた気がしました。

それから石巻に向かいました。
石巻は中村雅俊のふるさとってことで知ってましたが、まさかこんな形で来るとは
思いもしなかったです。

幹線道路から住宅街の中に入ってみました。

車が通れる分だけの道はあるのですが、あとはほぼ壊滅状態の町。
人もほとんどいなくて不気味な静寂に包まれていました。
アクセルはほとんど踏まずゆっくりでしたが運転してて怖かったです。
ここに入っちゃいけないんじゃないか、長くいちゃいけないんじゃないか、
両サイドから瓦礫が襲いかかって来るような雰囲気。
学校と体育館が見えて「避難所かな?」と思ってみたら、完全にやられてました。
自衛隊の人たちが1軒1軒チェックした【スミ】と【アリ】という印がまた
痛々しかったです。

それからまた移動して、だだっ広い畑と川を隔てた住宅街に。
道路が破損していて簡易的な橋がかけられていました。
交差点脇に車を停めて降りました。
今日の写真がここです。

持って来たお線香をここでたきました。
せめて線香だけでもと思い、両手を合わせました。

本当に立ち尽くすしか無かったです。
言葉も出ません。

住宅街をほんのちょっとだけ歩きました。
大きい船が傾き、運送会社の4トントラックは変形してました。

写真も何枚か撮ったのですが、帰ってから見てみると現場で見たものと写真が
違い過ぎてしまって・・・。
伝わりきらないと思うので、冒頭の写真のみにしました。

ここで日が暮れてしまったから仙台市内の宿に向かいました。

次の日の野球観戦での現実、少し離れた海沿いのところでの現実。
両方とも日常生活のひとコマ。
この現実のギャップに違和感を感じずにはいられませんでした。

ギャップといえば、被災地とのギャップがありすぎるのは永田町だなぁと思いました。
日本全体に政治に対する非難、批評が渦巻いていますが、あの現実を見ると政府の
対応に怒りを覚えます。

どうにかならんもんかなぁ・・・。



以上、風景の描写ばかりになってしまいましたが、こういう形でしか・・・。
文章力の無さ、表現力の無さを痛感します。

更に突っ込んで現地の様子を知りたい人は、誰かの現地レポを検索してみると
いいかも知れません。
プロのカメラマンが乗り込んで撮影したブログを見てみましたが、リアルな迫力が
ありましたから。
カメラマンとかルポライターとか記者とか、そういう人たちはどんどん現地入り
して自分なりの思いをまとめているでしょうからね。

あの震災から2ヶ月以上が過ぎて、少しずつ復旧、復興してきているようです。
TVでも2ヶ月後の今という形でどれだけ元に戻ったかを特集したりしてました。

ただ、僕が見た場所はしばらく時間がかかるんじゃないだろうかと感じました。
海が近いところだったし、今後住宅街として機能する土地なのかどうか、という点です。
政府の土地区分で危険地域みたいに指定されてしまったらもうダメですもんね。

何年か経ってまた行ってみたいです。
復活した町をこの目で確かめたいです。
松島の遊覧船にも乗りたいし・・・。

日常会話などでは、今書いたようなことをかいつまんで話したりしてます。
知り合いや友達に聞かれたら、可能であれば実際に行ってみるといいと話してます。
TVや新聞、雑誌などで見るものとはまた違ったものを感じると思うからです。

美味しい料理や買い物でお金を使ったりもいいと思います。
自然とそうなるんじゃないかなぁ。

今回行ってみて、自分自身の足元を強く見つめ直しました。
生きていること、生かされていることへの感謝。
今ある生活、暮らし、会社、仕事、趣味など自分を取り巻く環境。
守っていんだ!ということを強く思いました。







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団鬼六 死す

2011年05月07日 | Weblog
作家の団鬼六が亡くなりました。
僕の中では少なからずショックな話題です。

SM小説の巨匠として世の中では知られていると思うのですが、
僕はいずれのSM小説も読んでいないし、杉本彩や最近だと小向美奈子が
主演の、団鬼六代表作の映画化『花と蛇』も見ていません。

僕が興味をもったのは、断筆宣言後初の作品『真剣師 小池重明』という
作品を読んでからです。

賭け将棋の天才小池重明の人生を描いた作品ですが、小池というアウトローを
非常にうまく描写していて、その小池の晩年に関わりをもった団氏とのやりとり
も絶妙で、団氏にも興味が湧いたのです。

将棋好きが高じて将棋雑誌を買い取り自分で出版をはじめ、ところがそれが
赤字赤字で最終的には自宅まで競売にかけられてしまうという・・・。

その後『快楽なくして何が人生』というエッセイ風の新書を読みました。
末期の腎不全でありながら唯一の治療法である人工透析を拒否したこと、
それまでの人生、これからの人生について書いてありました。
波乱、豪快、破天荒・・・、成功と失敗を繰り返し繰り返し、それでも人生を
謳歌するというのがこの人の生き方で、その部分に深く共鳴したんですよね。

今日付けのニッカンスポーツの裏1面で大きく掲載されていました。
こんなに大きく扱われる人だったんだぁ、という驚きがありました。
それだけ大衆に受け入れられていたということでしょうか?

最終的には食道ガンということで、僕もその後どうなったのかなぁと気になって
いたのですが昨日亡くなってしまったそうです。

食道ガンの手術も拒否し、
「我は死なぬ為に延命するは望まず。
 大いに仕事し、大いに楽しみ、
 生を満喫するために
 死ぬまで生きることを欲す。」

いかにも団鬼六らしいです。

アウトローというのは短命であるからこそアウトローだと僕は思っているのですが、
団鬼六というアウトローはちょっと長生きしすぎたのかも知れない。
でもそれは生に対する執着心、揺るぎない死生観というのをしっかり持っていた
から79才まで生きたのかも知れません。
アウトローと呼ぶには人生を愉しみすぎとも思いますが・・・(苦笑)




合掌














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無題

2011年04月30日 | Weblog
正直、言葉がありませんでした。



簡単ではないけれど、
自分なりの言葉、表現で改めて追記しようと思います。

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松島

2011年04月30日 | Weblog


日本三景のひとつ、松島に来ました。


仙台のみの予定でしたが、ちょっと足を伸ばし松島まで。


点在する島々は芸術のようです。



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新宿タイガーマスク

2011年04月27日 | Weblog
新宿をフラフラしたり、新宿を遊び場にしてる人、またはしてた人には
お馴染みのタイガーマスク。

たまたま新宿に来て偶然にも見たことがある人はラッキー。

超ド派手なカッコをして自転車で颯爽と新宿の街を駆け抜けて行くタイガー。

突然前から登場するのを見ると、ちょっとビックリしてしまいます。
そんな大勢のリアクションを楽しんでいるようなタイガー。

この写真も一瞬だけどカメラに目線をくれ、すかさずきびすを返し、
またまた颯爽と夜の街へ消えて行ったタイガー。

僕が学生の頃からタイガーは新宿の街を駆けているから、もう随分とこの人は
長いことタイガーを演っていることになる。
本家タイガーマスクより長いかも知れない。

一度歌舞伎町の映画館で出くわしたことがあった。
前の方に座り、タイガーのお面を取って映画を観ていた。
結構なおじさんだった。
タイガーも映画を観たかったんだね。

ド派手なカッコをして、新宿に来た人たちを「アッ」と言わせたいのかなぁ。
何十年も続けているということは大きな意味があってやっているんだと思う。

いっときだけじゃなく、ずっと演り続けているということは凄い。
なかなか出来ることじゃないと思う。

次はいつ会えるかなぁ~♪
コメント (1)
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看取る 看取られる

2011年04月25日 | Weblog
元キャンディーズで女優の田中好子さんが亡くなりました。

享年55才ということで、まだまだこれからという時だったと思うので
本当に無念だったと思います。

最期の瞬間は、親族や元キャンディーズのお2人も一緒に側にいて
看取り、看取られたとのこと。

愛されて逝ったんですね。

TVでの弔辞を聞いていて、親父の最期を思い出しました。
やはり親父の最期も同じようだったからです。

もう側にいる人たちは、ひたすらに名前を呼び続けるしかない。
それでも反応が無かったり、少しだけ反応してくれたり・・・。

多くの人に囲まれ旅立てるというのは幸せなんじゃないかなぁと
思うのです。

それまでの人生が豊かだったからこそ、そこに人が集まり、必死になって
名前を呼んでもらえると思うのです。

最期の最期の瞬間に間に合ったというのも何かが呼び寄せたのでしょう。
愛する家族や元キャンディーズのお2人に看取られての旅立ちは・・・。

生前録音されていた遺言は本当に切なくて泣けてしまいました。
死の淵にいながらも、あのようなメッセージを送れるという。
きっとあれは絶対に遺したかったものだったんだと思います。

最後の最後に田中好子さんにしか遺せない作品を遺して旅立っていったんですね。




合掌



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帰ってきた『BOSS』

2011年04月21日 | Weblog
ドラマ『BOSS』が帰ってきました。

ちょうど先週からスタートしたのですが、前作と同じ流れで小気味いいテンポも
変わらずで楽しませてくれました♪

キャストに若干の変更はあったようですが、また今日からの流れでどうなるか・・・。
犯人役のゲスト出演も楽しみです。

このドラマは是非とも続編をやって欲しいと最終回後に書いたと思うのですが、
期待通りパート2をやってくれて嬉しく思います。

いや~、しばらく楽しめそうです♪


前回書いた記事ありました、こちら

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新宿 末広亭

2011年04月16日 | Weblog
末広亭に行きました。

最近落語にハマッていることは当ブログでも書きましたが、
帰宅途中の車の中だけじゃ飽き足らず、生の落語を見たくて。

それと今企画しているライブに活かすための勉強も含めて
というのもありました。
これについては後日追ってまた。

末広亭はおじぃちゃんが生きていた時に連れて来てもらったことがあります。
おじぃちゃんは本当に文学的な人で、映画、演劇、落語など知らないうちに
手ほどきしてくれていたのかも知れませんね。

あの時も寄席って面白いなぁ~と思いました。
その後、自分から寄席に行くということはなかったけれど、これをきっかけに
たびたび行くようになるかも・・・。
初めて行った時と変わらない、いい雰囲気でしたよ。

寄席というのは、その字面の通り落語だけをやってるわけではありません。
落語もあれば漫談もあるし、奇術や紙切り、マジックもあります。
いろんな芸を一気に楽しめるんですよね♪

小道具を使った奇術なんてのは、江戸時代から脈々とつながって今に
至っているんだろうなぁ、ひょっとしたら高杉晋作や坂本龍馬なんかも
酒の席で楽しんだんじゃないかなぁと思ったりしてました。

昼の部の12時~4時半までを見たんですけどね、本当に幅広い年齢層の
人たちでほぼ満席でした。これには本当にビックリ。
若いカップルとか、青年とか、もちろん年配のご夫妻、老夫婦とかね、
みんなでゲラゲラ笑ったりしてね♪

入れ替え制なしだったので、時間のある人は夜の部をそのまま見てもいいから
1日中寄席を楽しめるという、何とも贅沢な時間を過ごせるんですね。
つまらなかったらそのまま寝てもいいし、面白いのは腹かかえて笑えばいいし、
の~んびり過ごすには最高な場所です。

なんかまたひとつ楽しい場所見つけちゃって愉快愉快です♪



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