地方で考える ●oyajiの侃々諤々

北信濃の豊かな自然と歴史に抱かれて過ごす日々・・・

ちょっと斜に構えてみれば
???と思うことも多いですね~

信越本線「上田―長野」間は、前年の明治21年(1888)に開通していました  なかなかの旅行プランですね

2024-10-03 | Weblog

10月3日(木)                23/17℃

 

 

次の大河は『べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~(つたじゅうえいがのゆめばなし)・・・

今年はすっかりご無沙汰しました

来年? 

どうなるでしょう 

でも

商いモノはあまり好きでないことは確かです

 

 

直接のつながりはないとしても蔦屋書店・・・

フィーバするかもしれません

京阪奈新書、「廃寺のみ仏たちは、今」を2冊注文しました

NHKが1年放送してくれるのですから、宣伝効果は大きいでしょう

 

 

 

 

 

 

 

 

木曽路の三度目は、東方の「奈良井宿」・・・

京に旅したご先祖様が、木曽路で最初に泊った宿場です

そこは意識しました

135年前 

家からここまでで2泊・・・

すごい行程です

フィルムを巻き戻したつもりです

☟ この峠を越えて次の宿までいきたいところですがもパワーはありません

 

 

 

さて

泊った宿はどの家かな?

そこは記載がありません

見事に残る宿場町です

 

 

重要伝統的建造物群保存地区・・・

 

 

宿場で一番怖いのは、火事・・・

今もその名残がありました

 

(消火器が入っています)

 

 

 

 

長野県には重要伝統的建造物群保存地区が8地区あります

でも

維持するのは大変でしょうね 

グルッとまわりましたが

  ・神社にお賽銭100円也

  ・休憩して「ちょっとイッパイ」 (jiiji baaba 流の心配り 

 

(ご先祖様は酒壱合に、にしめでした)

 

  ・土産品は何もなし

漆器の類ももう不要なのです

 

 

☟ 癒された光景・・・

宿場を守る人々の「思い」を感じました

 

 

 

 

 

 

 

 

明治22年・・・・

旅人高祖父(?)の、帰路のコースは

 

ーーーーー中津川宿(3月23日)―飯田宿(24日)ー赤穂村宿(25日)―諏訪宿(26日)ー長久保宿(27日)ー上田宿(28日)=======長野宿(29日)

 

・・・となっています

きしゃ代 弐拾八銭」からすると、上田からは汽車に乗ったことがわかります

信越本線「上田―長野」間は、前年の明治21年(1888)に開通していました

なかなかの旅行プランですね

情報はどこから得ていたのか?

同行者はいたのか?

費用はどうやって捻出したのか?

わからないことばかりですが、タフなご先祖様がいたわけです

 

 

木曽路は、これでお終いにしたいと思います

今度は北・・・

ですね

 

コメント
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