10月7日(月) 25/17℃
調査方法:インターネットサービスによる任意回答(自由回答式)
調査実施日:2024年10月3日
調査対象:全国の20代~60代
有効回答数:229名
そんなに少ない回答で
この手のランキングにはそんな “チャチ” を入れてしまうのですが、結果をみて、これは「ま、イイカ・・・」
❸ 長澤まさみさん
❷ 綾瀬はるかさん
❶ 吉永小百合さん
で
そのタイトルは
《『綾瀬はるか』『長澤まさみ』を抑えた!「国民的女優」と聞いて一番にイメージする女優は?堂々の第1位に…「この人しかいない」》 (10月7日TRILL News)
吉永小百合さん・・・
彼女の人間的な魅力にも「1票」です
で
「国民的女優」としては、これからの可能性も含めて “芸達者” な長澤まさみさんを「一推し」します
『真田丸』の「きり」役もピッタリでした
その一体が、四天王の「多聞天」・・・
他のみ仏たちとともに、ご縁があって、大和の廃寺から遠く信濃にお見えになりました
大正7年(1918)・・・
父が生まれる前の年です
み仏たちは、荘厳な隊列に迎えられて信濃清水寺へと進んでいきます
「多聞天」・・・
別名「毘沙門天」
戦の神で、上杉謙信は「毘」の文字を旗印にしていたことは有名です
勿論
北信濃のjiiji は謙信が好きです
「風林火山」は、信玄の侵略戦争そのものを感じさせます
対して
「義」のために「毘」を掲げる謙信・・・
そう思いませんか?!
同じ歳頃の、某氏の回顧・・・
親代わりに育ててくれた祖母のことです
―さらに大学が終わり就職する時も、長野に帰って来いとは一言も言わず、「もしお前が東京で働きたいなら働いていい。 わしもこの松代のボロ屋を売って一緒に東京で暮らす」と言ってくれた。逆にこの一言があって、私は内定が出ていた家庭用品プロダクトメーカーを蹴って信毎を受けた。
当時としては、稀有なケースでしょうね
「お前は跡取りだから、帰ってこい」
・・・が当たり前の頃です
jiiji なんぞは
「決して東京にはやらない!!」
・・・という父の思いの中で、上京での学び(働きながらではあっても・・・)も消えて、地元に就職することを余儀なくされました
そんなこんなで家に残って60年近く・・・
「一所」な暮らしです
昨日は
区(集落)の掃除と祭り+総会でした
総会の後の直会(宴会)・・・
隣りは1年先輩のHさん、向かいは小・高の同級生Mさん
話題は「神社」と「寺」に及びました
勿論
「これからは大変になるよな~」
・・・が結末です
「家」の形態は、大きく様変わりしています
支える家意識も薄くなりました
年金生活者に寺社の “負担” は重荷です
そんな話題で盛り上がった直会でした
祭りは、集落の中にある小さな「観音堂」で、経をあげてそれで全て・・・
村の子どもたちには昔からキャラメルが配られます
で
そのお堂には戸がありません
いつもオープン
観音様も石仏
他に何もありません
写
☟ 最近、「民話の会」が伝承されていた話からこんな創作をしました
「子どもが大好きな観音さま」
よく表現されています
―夢中になって遊んでいた子どもたちが、知らず知らずにお堂の中を泥だらけにしてしまい、怒った大人たちはお堂に戸を立ててしまいました。すると子どもたちはだんだんとお堂に集まらなくなってしまったのです。その後、村に疫病がはやり始め、多くの子どもたちが苦しむようになり、親たちはわらにもすがる思いで、あの石の観音さまに手を合わせました。すると驚いたことに、しばらくして子どもたちが元気になっていったのです。
以来
村びとたちはお堂の戸を外したままにしてきた、というお話です
秋が進んでいます
名産の蓮根も、あとは掘るだけ・・・
寒い冬場の仕事です
(蓮の実の、枯れた風情は絵になります)