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異邦人人4


4 オヤジはもう覚悟していたのかもしれないね。


(おかあさん、)

あれだねえ、
オヤジはもう覚悟してたのかもしれないね。
もう何回も自分の中で
考えられる最悪のことを

医者から言われてもいいように
自分に言い聞かせてきたのかもしれないね。

そして、それがあんまりその通りなものだから
す
きま風みたいな返事をしていたのかもしれないね。

主治医の先生は、約束の時間に遅れてきたんですよ。

でも、それがどういうことを意味しているのか、
われわれは分からなかったんですよ。

言いにくいけれども言わなくてはならない、

職業上の義務を果たさなければならない、

それをまだ若い先生が
押しつけられたのかもしれないと今なら思うけど

先生が遅れてくるのを弁解していた看護婦さんたちは
彼が抱えた重荷を察してくれていたんだね。


病室に戻ると、
あなたのねえちゃんが看病にきてくれていましたよ。

現役のベテラン看護師の義姉がいるのもかまわず
あなたのとうちゃんは、
「おまえの顔がそんなに黄色いのは、
 石が詰まっているからだそうだ。
 あれはなんといったか、あの石は」と、
あなたのとうちゃんは振り返ってぼくに聞いたんですよ。

「胆石だよ、胆石」
あなたのとうちゃんは、妻の方に向き直り、
「その胆石というのがつまってるから、
 なかなかその黄色いのがとれないんだそうだ」と
難しいことを医者からいくつも聞いて、
それをなんとかここまで覚えて帰ってきたのだという苦労に満ちて
ひょうひょうとしていたんですよ。


また手術か、と落胆したので、
あなたもうそれ以上、
われわれに質問しませんでしたよね。

それがありがたかったです。
もうあんまり尋ねてほしくなかったんです。
脱兎のごとく去っていった主治医の先生と同じく
われわれもこの部屋から逃げ出したかったんです。

オヤジは
「あとでまた来るときに
 リンゴでも買ってこようか」と言っていましたが、
われわれはその場だけの流暢なこしらえごとを
あなたに納得させることで
じつはもう
いっぱいいっぱいだったんです。
そしたら、あなたは
三つパックのプリンを頼んでくれましたね。
なんてたやすい願い事なんでしょうか。

廊下に出たわれわれに
あなたのねえちゃんはついてきて、

小さすぎるひそひそ声で、

さっき言ったことは先生の言葉通りかと尋ねたんです。

返事をしたかったけれど、
ぼくはあなたの気配を感じたんですよ。

(聞いてる、
(あなたはいまこれを聞いてる。
(いま持っている全部の力を振り絞って
(病室の壁を越えて耳を派遣して
(廊下で交わすわれわれの会話を聞こうとしてる。

(だめだ、
(筒抜けだ。
(せっかく作り上げた話が無駄になってしまう。

われわれは手を横にふって、

「あとで」、とだけ言って
あなたの耳を追い返しました。
ひとつ危機を切り抜けることができたんですよ、


(おかあさん。)


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