札幌のクリスチャン鍼灸師

札幌市中央区山鼻地域、石山通沿い側で、脈診流による経絡治療専門の鍼灸院をしています。

志だけで牧師になってはいけない

2015-07-18 22:33:44 | 宗教・カルト問題
ここ札幌は、なんだか蒸している感じです。

そう気温は高くなさそうですが・・・・。

当鍼灸院の患者さんですが、扇風機を回して欲しいという人と、回さなくていいと言う人と別れます。

 

前回の続きみたいなものです。

というか、前にも似た様な事を書きました。

元不良・元やくざだったが、罪を悔い改めてクリスチャンになったという話を、よく聞きます。

そして彼らの中には、牧師になったという人の話もよく聞きます。

一時期よく「ミッションバラバ」という、元やくざだった牧師の宣教団体も話題になりましたね。

やくざが改心してクリスチャンになる事は、素晴らしい事ではあります。

が、誰でも彼でも志だけで安易に牧師になってしまう・・・・、それは違うように思うのは、けして私だけではないはずです。

一般信者はともかく、牧師である以上、それ相応の倫理観が求められることは当然です。

少なくとも彼らの言動から、「やっばり元やくざか」などと言われてしまうような人には、牧師になんかなってもらいたくないですし、その様な人は牧師になるべきではないと思います。

時効とはいえ、数年前、元やくざの牧師が、神学聖時代に覚せい剤をしてしまったことがあるということも、ネット上で論議を呼んでました。

2006年だったか、不自然な死に方をした、つまり覚醒剤を使用し、愛人をラブホテルのまどから投げ落として自分も飛び降り自殺をした、元やくざの牧師もいましたね。

いや、元やくざが牧師になってはいけないという意味ではないので、誤解無く・・・・。

また、 人それぞれ好みがありますから、まぁ賛否はともかくとして、

元やくざである事を売り物にする、それを私は否定するつもりはありません。

と、ここまで元やくざの牧師について、思う事を書きましたが、これはやくざに限った事ではありません。

進路に迷い、「それなら神学校に行って牧師にでもなるか」みたいな人達が、あまりにも多すぎると思うのは、はたして私だけでしょうか?

いや、たまにはその様な牧師もいてもいいのかもしれませんが、あまりにもそんな牧師が多すぎる様に思えてなりません。

牧師業は、そんなに簡単なものなのですかね。(笑)

何も牧師だけが伝道する訳ではありません。

牧師にならなくとも、自分が与えられた場所や役割で、伝道を出来るのだという事を、私は声を大にして言いたいです。

まぁ、新興宗教の教祖と一緒で、自分が牧師である事を公言すれば、誰でも牧師になれてしまうなんていうような問題もあるのですけどね。

新約聖書「ヤコブの手紙」 3章1節

わたしの兄弟たちよ。あなたがたのうち多くの者は、教師にならないがよい。わたしたち教師が、他の人たちよりも、もっときびしいさばきを受けることが、よくわかっているからである。






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