札幌のクリスチャン鍼灸師

札幌市中央区山鼻地域、石山通沿い側で、脈診流による経絡治療専門の鍼灸院をしています。

帯広市大成川 懐かしい

2017-07-27 19:21:06 | 時事ネタ・その他社会
私は小中学と、帯広盲学校で学び、寮生活をしてました。
1972年4月から、81年3月までの事です。
昨年Twitterでも触れましたが、たまたまその頃を思い出してネットサーフィンしていたら、帯広市大成川(タイセイガワ)に関連して書いていたブログを見つけました。
http://ameblo.jp/junk-39/entry-11301082308.html
というか、大成川について書かれているサイトは、他には見つかりませんでした。
ここで帯広ろう学校~芽室町境での調査をされてますが、このあたりによく行きました。
ただ、盲学校・聾学校共々、私が居た頃は、西24条南1丁目、今のJR根室本線の北側に在りました。
1989年の11月に、今のところに移転しました。
(↓以下Twitterからです。)

子供の頃遊んだ事懐かしいけど、ずいぶん生息している水中動物の種類変わったな。
当時、ウチダザリガニは生息していなかった様な気がする
近年はウグイやタニシは生息していないのかな?
当時護岸整備も殆どされていなく、川底は石で、水草も多かった。
(↑以上Twitterからです。)
また、この記事に

さらに興味深いことに、地元の農家の人などの話を聞くと、30年くらい前の
農地改革で川の水がいったん途切れた事、それと農薬の流出という
いわば「ダブルパンチ」でニホンザリガニがいなくなったという事実もわかった。

という事、私が中学を卒業して帯広を去って間もなく、川がそんな状態になっていたとは知りませんでした。
読んでのとおり、これは公式な調査ではなく、一個人のものですが、あの頃が懐かしくもあり興味深くもありました。
ただ、当時はこの川が「大成川」という河川名であった事は、これまで知らなかったのが正直なところです。




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私はクリスチャン 日曜日に教会に行く事よりも鍼灸の勉強会を優先

2017-07-22 15:25:51 | キリスト教
今年の2月12日に
「私はクリスチャン 聖書を読む暇があるぐらいなら」
http://blog.livedoor.jp/shinqroom/archives/52464212.html
として書きました。
それに関連してです。
表向き熱心なクリスチャンにありがちな話として、
自分はクリスチャンで日曜日教会に行かなければならないから、仕事よりも教会を優先する、はなはだしいものになると、日曜日にクリスチャンは教会に行くべきで、仕事をしてはならないなどと、的外れな事を言う人がいたりします。
あそこでも書きましたが、
鍼灸氏としてやらなければならない事を疎かにしてまで、自分の信仰に対して自己満足する事はしないという事です。
たとえれば、仕事など、社会人としてやらなければならない事を無視して教会に行く、それが日曜日だったとしても、仕事より教会を優先して同僚や取引先に迷惑をかけるとしたら、本末転倒です。
これは極端なたとえかもしれませんが、私にとっては似たような感覚です。
鍼灸の勉強会は、日曜日に行われる事が殆どです。
それだけに日曜日に教会を優先するのではなく、私が2013年から札幌支部の支部長を努める、脈診流による経絡治療による鍼灸の研究団体である、東洋はり医学会の例会などの研究会活動、その他の勉強会を優先して、積極的に参加するという事です。
だからこそ今私は、鍼灸師として経絡治療かとして、この様にいられる訳です。
そもそも、もしもキリスト教人工が100パーセントの地域で、日曜日に働いている人がいなくなれば、社会の機能は止まってしまうし、日曜日働いている人達がいるからこそ、われわれらクリスチャンもその様な人達に日曜日お世話にもなるという事です。
ものの本によると、古代イスラエルの安息日、ユダヤ教では土曜日ですが、今日ででいう労働基準法で定休日が保障されていたという事らしいです。
神も七日目には休んだのだから、われわれ人間も七日目を定休日として休みなさいという様な、意味合いだった様です。
新約聖書
マタイによる福音書 12:8
人の子は安息日の主である」。
マルコによる福音書 2:27
また彼らに言われた、「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない。
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今年もこの時期豆抜きの玄米ご飯

2017-07-17 09:07:08 | 医療・健康
昨年7月22日に、「今年ようやく豆を入れない玄米ご飯を炊きました」
http://blog.livedoor.jp/shinqroom/archives/52461776.html
として書きましたが、ようやくといいますか、この夏も、アズキなしの玄米ご飯を炊くようになりました。
早い年では6月25日ぐらいに、アズキ無しで炊いていたかと思います。
そういう事で、今年一昨日の朝、初めて、アズキ無し、いや、最近はクロマメも入れて炊いているので、豆を入れないで炊きました。
また今年も繰り返しになります。
毎年この時期に同じことを書いているのですが、何時もアズキを、最近では黒豆も入れて玄米ご飯を炊いています。
栄養面ということもありますが、玄米ご飯にはアズキが定番といいますか、その方が味が良かったりします。
ただ気温が高くなると、豆はいたみやすくなります。
10年前、今の所に引っ越しました。
マンションの最上階のせいか、夏場はけっこう室温が高いようです。
そのせいか、玄米ご飯を炊いて数時間でへんな匂いがするようになりました。
もしかしてこれは小豆のせいかと思い、小豆を入れないで炊いてみました。
すると、全くへんな匂いはしなくなりました。
昼間屋根が日光で熱くなってて、その余熱で室温が高くなるとか、西日が入るとか、悪い条件が重なっているのだと思います。
通気性の問題なんかもあると思います。
どうも今の住まいは、そのように悪い条件が重なってしまっているようです。
そんな時ラジオを聴いていると、餅屋さんの事に触れていました。
そこは無添加で餅を作っているそうですが、夏場は豆が傷みやすいとの事で、豆餅は売っていないそうです。
保存料などの添加物を使えば問題無いのでしょうが、その店は無添加で作っているのでそうはいかないようです。
現代は季節感が無い世の中になってしまいましたが、本来豆を煮る事一つとっても季節がある訳です。
朝昼兼用、つまり「ブランチ」で、久しぶりに豆無し玄米ご飯を食べましたが、やはりアズキなどが入った方が、口当たりがいいですね。
なんだか少々物足りない気がします。
一食分だけのご飯を炊けば、すぐ食べてしまうので小豆入りにするのですが、やはりそこは男の一人暮らし・・・・、最低でも二食分のご飯を炊きます。
そこで毎度の事ですが、玄米食に理解ある嫁さんを何時でも募集していますので、よろしく
鍼灸治療も兼ねると、有る意味病気知らずで過せますよ。(笑)
あーぁ、またばかな事最後に書いてしまいましたーーー!!!(笑)



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私のキリスト教信仰と聖霊運動との関係

2017-07-11 17:06:03 | キリスト教
私は1986年に今の日本バプテスト連盟所属の教会に行き、そこでバプテスマを受けました。
多くの場合、たまたま行った教会が○○派だったという事が多いかと思いますが、私の場合はそれなりに教派についても素人なりに調べて、いろいろな教会に行ってみて自分に合った教会を選ぼうとしました。
それほど多くの教会に行かずに、今の教会にたどりついたというところではありましたが、意味もなく「あれもだめ・これもだめ」という教会は避けてました。
というのは、英会話目的ではありましたが、それ以前にモルモンに2年近く行ってました。
日曜日は数えるぐらいしか行きませんでしたが、今の教会を選んだのは、少なかれモルモンでの影響が大きかったかと思います。
あと、科学を否定する様な教えには抵抗がありました。
たとえば、進化論などです。
進化論を肯定したままではクリスチャンでいられないという事であれば、たとえキリスト教に関心を持っていても、少なくとも教会に通う事はまずなかったかと思います。
で、それなりに他教派の事を意識していたわけで、クリスチャンになってからも、異端も含めて、他教派の事も調べる様になりました。
そして聖霊運動に関心を持ち、1990年代半ばから10年ほど、今の自分の教会に留まりつつ、聖霊派の人達と接触する様になりました。
それだけに、私が聖霊派の人達と接触している事に対して、自分の教会内に、それを良く思わない人もいた事も事実です。
ただ、前にも少し触れましたが、
http://blog.livedoor.jp/shinqroom/archives/52384274.html
カルロス・アナコンディアの集会で危険な体験をするなどして、聖霊運動の悪い面も知る様になり、行き過ぎた聖霊運動に対して批判的になりました。
とはいえ、うちの教会ではというと、当時はリバイバルミッションが全盛期で、また教会成長論も言われていただけに、まずは1998年の特別伝道集会で、同じ日本バプテスト連盟所属ではありますが、聖霊派の浜崎栄一牧師を招きました。
次の年は、大和カルバリーチャペルの大川従道牧師を招いたりもしました。
大川牧師に対しては、役員会でも賛否が分かれた様です。
私としては聖霊運動に関心を持っていただけに、うちの教会も大きく変わるのだろうかと期待したものでしたが、基本的にはそう変わらなかったというところです。
そして正直なところ、私としても、近年の大川牧師の言動に対しては批判的に見てます。
その後うちの教会に赴任した前主任牧師は、うちの教会からの招聘状を受け取った時、伝道集会で大川牧師を招いた事を知って、札幌バプテスト教会はその様な教会なのかという事で、躓いたなどと冗談紛れに言ってました。(笑)
そういう事で、基本的にうちの教会は、聖霊運動に対しては否定的です。
社会運動に対しては、札幌キリスト教連合会に所属している教会は、リベラルから福音派・聖霊派まで在りますが、積極的に関わっているのはリベラルな教会だと言えるし、うちの今の主任牧師が委員長です。
https://sapporo-kirisutokyo-rengokai.jimdo.com/
このHPから、札幌キリスト教連合会の活動がお分かりだと思います。
ただ断っておきますが、私がこれらの活動に必ずしも賛同している訳ではない事も、付け加えておきます。
また、日本バプテスト連盟全体からしても、一般メディアでよく取り上げられる教会員として、奥田知志牧師
http://blog.livedoor.jp/shinqroom/archives/52434054.html
パキスタンやアフガニスタンで活動している医師、ペシャワール会中村哲氏
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/
また、ルワンダで活動している佐々木和之氏
http://rwanda-wakai.net/
などからしても、日本バプテスト連盟全体の雰囲気がお分かりかと思いますし、うちの教会はバプテスト連盟の主流派の部類です。
ですから、行き過ぎた聖霊運動は否定するものの、それでも少しは聖霊運動の影響を受けてもいますが、そのあたりは分けて考えています。
というか、完璧に自分に合った教会が存在すればそれに越した事はありませんが、それはまずありえない事なので、妥協すべきところは妥協しているという感じです。
ただ、ある意味すでに聖霊運動から冷めてしまっている事もたしかですけどね。
リバイバル・リバイバル、祈りが足りないなどなど、そんな事考えていたら疲れてしまったという感じです。
今考えてみても、あの頃はけっこう熱心だったかもしれませんね。
その反動なのか、祈る事も聖書を読む事も、かなり疎かになってますが、それでいいと思ってます。



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